第19話 見つかるほど、雑音も増える
数字というものは、一度加速を始めると、こちらの心の準備など待ってはくれない。
先輩個人勢・橘ユイカさんとのコラボ配信から、一週間。
私のYouTubeチャンネル『星祈ミウ Channel』の登録者数は、ついに一万五千人を突破していた。
ダッシュボードの折れ線グラフは、まるで美しい放物線を描くように右肩上がりを続けている。
アナリティクスのリアルタイム視聴者数も、以前の倍以上。Xの通知欄はスクロールしても追いつかないほどで、切り抜き動画にはたくさんの高評価とコメントがついていた。
「すごいな……本当に、見つけてもらえてるんだ」
学校から帰宅し、自室の遮音ドアを閉めた後、私は思わず手鏡を前に呟いた。
前世の冴えないサラリーマン時代、企画書が通って売上が前年比二割増になっただけでも居酒屋でビールをあおって喜んでいた私だ。それが今や、一万五千人もの生身の人間が、私が創り上げた『星祈ミウ』というひとつの世界に集まってくれているのだ。
嬉しくないはずがない。
花守しずくママが授けてくれた至高のガワに、私が魂を削って吹き込んだミリ単位の所作と声。
それが外の世界へと届き、認められている。私の人生の祈りは、確実に実を結びつつあるはずだった。
――けれど。
その日の定期雑談配信を始めて三十分が過ぎた頃、私はモニターに流れるチャット欄の異変に、かすかな引っかかりを覚えていた。
『ミウちゃん今日も天使!』
『ショールの星チャーム揺れるのほんとすき』
『宿題終わらせて待機してたよ〜!』
初期から支えてくれている常連リスナーたち――星見守の温かい言葉の合間に、見慣れないデフォルトアイコンや、英数字の羅列のアカウントからのコメントが、かつてない猛スピードで濁流のように流れ込んでくる。
『この子前コラボしてた子か』
『顔面つよ』
『あーね、声作ってる系ねw』
『テンプレ萌え声助かる』
『ガワが神絵師だから勝ててるパティーン』
『中の人何歳? 女子大生くらい?』
マウスを握る指先が、ほんの一瞬だけピクリと強張った。
悪意というほどのものではない。
直接的な誹謗中傷でも、荒らし行為でもない。
巨大な動画サイトの片隅に流れる、ごくありふれた、軽薄で無邪気な「通りすがりの感想」だ。
彼らはただ、おすすめ欄に流れてきた可愛いアイコンをクリックし、テレビのバラエティ番組を流し見するような気軽さで、思いついた単語を打ち込んでいるだけにすぎない。
「ふふっ、初見さんもたくさん来てくれてありがとね。ミウの声、ちゃんと届いてるかな?」
私は瞬時に表情認識カメラを捉え、目元のトラッキングを三度細め、小首を右に八度傾けて微笑んだ。
声帯の振動数は正確に二百十ヘルツ。鈴を転がすような高音の倍音を乗せ、小悪魔な愛嬌を振りまく。
『うおおおお笑顔かわええええ』
『初見だけど即チャンネル登録した』
『釣られたわw』
コメント欄が歓声で埋まる。
表面上は、いつもの完璧な星祈ミウの配信だ。何ひとつ破綻していない。初見リスナーも綺麗に惹きつけられている。
――だけど、私の内面にある分析器官が、冷たい違和感をチクチクと告発していた。
(声を作ってる……テンプレ萌え声、か)
胸の奥に、針で突かれたような鈍い痛みが走る。
作っているのではない。何十時間もボイストレーニングを重ね、肺活量と吐息のバランスを秒単位で制御し、雨宮澪という生身のノイズを完全に濾過した果てに抽出した「星祈ミウの真実の声」なのだ。
それを、ただの「テンプレ」という一言で片付けられる。
まるで、丹精込めて仕込んだフレンチのコンソメスープを一口すすって、「あ、市販のブイヨンうめぇw」と言われたかのような居心地の悪さ。
……いけない、またおっさん臭い比喩が出そうになった。脳内議事録から即座に破棄。
(落ち着け、雨宮澪。ビジネスの世界じゃ、認知が広がれば客層の多様化とノイズの発生は必然だ)
前世の営業経験を引っ張り出し、理性で感情をねじ伏せにかかる。
百人のファンコミュニティなら、全員が阿吽の呼吸で文脈を共有できる。だが、それが一万人、十万人と広がれば、背景など知らずに表面だけを消費するライト層が入ってくるのは統計学上の真理だ。
全員が私の美学を理解してくれるわけがない。
そんなことは最初から分かっていたはずだ。見つけてもらうということは、そういう雑音も一緒に引き受けるということなのだから。
「それじゃあみんな、今日も夜遅くまで付き合ってくれてありがとう。また次の星空の下で、絶対会いに来てね? 約束だよ」
両手を胸の前で合わせ、星瞳のハイライトを揺らして配信を終える。
配信ソフトの停止ボタンを押し、モニターが静まり返った瞬間。
私は深く息を吐き出し、椅子の背もたれに体を預けた。
「……ふぅ」
いつもなら、配信直後の私は高揚感に満ちている。
すぐに細縁メガネをかけ、手帳を開いてアーカイブの反省点と改善点を書き連ねる「至福の研究時間」が始まるはずだった。
だが、今夜は違った。
机の上のノートに手を伸ばしたものの、ペンを持つ指先が妙に重い。
同接は過去最高を記録した。登録者もまた数百人増えている。
客観的な数字で見れば、完全な大成功だ。反省すべき致命的なミスなど、ひとつもなかった。
なのに、喉の奥に、乾いた砂を飲み込んだようなざらつきが残っている。
見つけてもらえることは、幸せなはずだった。
愛されることは、私の人生の救いのはずだった。
けれど、広がり続けるモニターの向こう側の世界は、私の思っていたよりもずっと広く、雑多で、そして――冷たかった。
静まり返った自室のデスクで、私は手鏡に映る自分を見つめる。
小さな違和感のトゲが、私の胸の奥で、静かに毒を放ち始めていた。




