第18話 それでも、私の武器で
深夜一時。
静まり返った自室で、私は大型ヘッドホンを首にかけ、反省ノートの罫線を見つめていた。
ペン先が走る。
カチカチと時計の秒針が刻む音だけが、机の上の淡い明かりに溶けていく。
【コラボ配信・セルフ採点シート】
・トークのアドリブ返答力:十五点(時差発生、ツッコミの遅延、話題の展開についていけず)
・状況判断およびゲームサポート:八十五点(索敵とギミック誘導は予習通りに機能)
・リアクションおよび表情管理:九十二点(新表情差分および悲鳴の周波数コントロールは満点近い効果を発揮)
「……惨敗、とは言わないけれど」
手帳に走らせた赤ペンの文字を見つめ、私は小さく息を漏らした。
スマホを手に取り、Xでコラボタグのエゴサーチを開く。
タイムラインには、配信終了から一時間が経った今も、たくさんの感想が溢れ返っていた。
『ユイカとミウちゃんのコラボ最高だった!』
『ミウちゃんの声、ガチで癒やされる……アーカイブ見直してる』
『思ったよりずっと礼儀正しくていい子だったな。ゲームも上手いし』
『ユイカがガンガン突っ込んでミウちゃんがオロオロ照れてる構図、一生見てられる』
『チャンネル登録した! 次のソロ配信絶対行く!』
好意的な言葉ばかりだ。
相手の先輩リスナーたちからも、概ね温かく受け入れられている。
登録者数も、コラボ配信の開始前からさらに千五百人ほど増え、一万三千五百人を突破していた。
数字だけを見れば、大成功だ。
個人勢の新人として、これ以上ないほどのロケットスタートを切ったと言えるだろう。
けれど――胸の奥に残ったチクチクとした痛みは、数字では埋められなかった。
ピロン、とDiscordの通知音が鳴る。
画面を見ると、橘ユイカ先輩からのメッセージだった。
『ミウちゃん、今日はお疲れさまでした!
急な誘いだったのに、ゲームも予習してきてくれて本当にありがとう!
ミウちゃんね、反省とかしてない? 「あんまり喋れなかった」とか思ってないかなって、ちょっと心配で!』
「…………っ」
画面を見つめたまま、私の指が止まる。
見透かされていた。
あの明るい笑顔の裏で、先輩は私の内心の焦りや緊張を、すべて正確に見て取っていたのだ。
『あのね、ミウちゃん。配信の回し方とかツッコミなんて、慣れれば誰でも後から身につく技術だよ。
でもね、ミウちゃんが持ってるあの圧倒的な可愛さと、画面の空気を一瞬で綺麗にしちゃう存在感は、誰にでも真似できるものじゃないよ。
今日、私のリスナーがどれだけミウちゃんに夢中になってたか、数字見れば分かるでしょ?
ミウちゃんはね、そのままでめちゃくちゃ強い武器を持ってるんだよ。自信持ってね!』
「先輩…………」
画面の文字が、じんわりと滲む。
優しい人だ。
本当に、心から後輩を思いやり、背中を押してくれる本物の先輩だ。
さらに、もう一通。
花守しずく先生からも、短いメッセージが届いていた。
『ミウちゃん、コラボお疲れさま! リアタイで見てたよ。
ユイカちゃんの元気な声の隣で、ミウちゃんの銀髪とショールが本当に綺麗に輝いてた。
誰の隣にいても、ミウちゃんは世界で一番愛らしい星祈ミウだったよ』
「……ママ」
スマートフォンの画面を胸に抱きしめ、私は深く息を吐き出した。
張り詰めていた肩の力が、ふっと抜けていく。
私は何を怯えていたのだろう。
町中華の猛烈な火力と中華鍋の音に圧倒されて、自分が丹精込めて煮込んできたフレンチの澄んだコンソメスープの価値を、自分で否定しかけていたんじゃないか。
「……って、深夜の厨房で出汁の味見しながら反省する元おっさん料理人目線! 脳内議事録から即座に抹消!」
手鏡を引き寄せ、すっぴんの女子高生――雨宮澪の瞳を見つめた。
もう、瞳に揺らぎはなかった。
橘ユイカ先輩の持つ、圧倒的なトーク力やアドリブ力。
それは今の私にはないものだし、これからも貪欲に学んでいかなければならない課題だ。
可愛いだけでは回せない現場があるという現実は、しっかりとノートに刻み込んだ。
けれど――だからといって、私がこれまで積み上げてきたものを捨てる必要なんて、どこにもないのだ。
一ミリの妥協もなく設計されたLive2Dの挙動。
語尾のミリ秒単位の残響。
サムネイルの一ピクセルの余白。
そして、花守しずく先生が魂を注いでくれた、息を呑むほど美しい星の姿。
私の武器は、精密に作り込まれた『究極の可愛さ』だ。
誰かに笑われようと、どれだけ不器用だと言われようと、私はこの武器を信じて磨き続ける。
それこそが、雨宮澪が前世から夢見続け、星祈ミウとして選び取った、唯一無二の生き方なのだから。
「……うん」
静かに頷き、手帳に最後の言葉を書き留めた。
【結論:私は私の可愛さで、この世界に星を降らせる】
ペンを置き、自室のカーテンを少しだけ開ける。
東の空が、ほんの少しだけ白み始めていた。
外の世界へ踏み出した。
見つけてもらい、他人と並び立ち、自分の小ささと強さを知った。
あの激動のコラボの夜を越えて、私はまた一つ、確実に強くなった。
――けれど。
窓の向こうに広がる東京の街並みを見つめながら、私の胸の奥で、小さく冷たい予感がさざ波を立てていた。
一万人を超え、先輩と並び、世界に見つかってしまった星祈ミウ。
広がっていくファンの輪の向こう側から、すでにあの無粋な視線――ガワを剥ぎ取り、中身を詮索しようとする冷たい風が、確実に近づいている。
見られるということ。
それは、愛される幸福であると同時に――自分の城が暴かれ、侵食されていく恐怖の始まりでもあった。
「……それでも、負けないよ」
朝焼けの淡い光が差し込むモニターの中、銀髪の少女へ静かに語りかける。
揺らぎの予兆を孕んだ夜明けの中で、星祈ミウは変わらない美しさで、ただ澄んだ星の光を宿していた。




