第17話 かわいいだけじゃ回せない
二分割された配信画面の右側に、ビタミンカラーのパーカーを着た橘ユイカ先輩が映っている。
そして左側には、淡い銀髪に星のショールをまとった私――星祈ミウ。
『さあ始まりましたー! 今夜はなんと、今話題沸騰中の超絶可憐美少女! 星祈ミウちゃんとの初コラボだーっ!!』
先輩のパーンと弾けるような第一声が、二つの配信枠のスピーカーを揺らす。
両枠を合わせた同時接続数は、開始三分で早くも五千人を突破していた。
「み、みなさんこんばんは! 星祈ミウです……! ユイカ先輩、今日はお呼びいただき本当にありがとうございます……!」
私は事前に鏡の前で何十回もリハーサルした通り、小首を七度傾け、鈴を転がすような高めのトーンで挨拶を返した。
画面上の二つのコメント欄が、凄まじい濁流となって流れる。
『きたあああああ!』
『ミウちゃん声かわいすぎだろ!!』
『画面の清濁の差がすごい(褒め言葉)』
『ユイカのガサツさとミウちゃんの透明感で草』
『てぇてぇコラボ助かる』
第一印象は満点だ。
ミウの清楚で可憐なビジュアルと丁寧な所作は、先輩の枠から見に来た初見のリスナーたちにも、鮮烈な引力として突き刺さっている。
――だが。
協力型脱出パズルゲーム『アストロ・エスケープ』がスタートした瞬間、私の背中に冷たい汗が流れ始めた。
『よーし、ミウちゃん! この第一フロアの暗号、どう見ても私の誕生日じゃない!? 運営さん私に忖度してくれたのかな!?』
「えっ……!? あ、えっと……誕生日……!? えと、あの、暗号の数列は十六進法になっていて、おそらく右のパネルのスイッチを――」
『あはは、真面目かーっ! そこは乗っかってよミウちゃん! 「先輩何言ってるんですかー」ってツッコんでいい場面だよ!?』
「あっ……! す、すみません……! えと、先輩、何言ってるんですか……?」
『遅い遅い! 時差がある! でもその困り眉可愛すぎるから許す!!』
コメント欄が『www』で埋め尽くされる。
リスナーはウケている。けれど、私の脳内では冷たいサイレンが鳴り響いていた。
(……拾えない!)
先輩が軽快に投げてくるアドリブのパス。
その言葉の軌道、跳ね返り、ユーモアの温度。
一人でじっくりと台本を設計し、自分のタイミングで間を作ってきた私には、そのパスをコンマ五秒で打ち返すだけの瞬発力が絶望的なまでに欠けていた。
普段なら「語尾の余韻」や「視線誘導」で完璧に成立していた私の可愛いが、猛スピードで展開する会話のラリーの中では、ただの「遅延」になってしまう。
まるで、百戦錬磨のベテラン漫才師の横に立たされ、ボケに突っ込むこともできずに棒立ちになっている若手芸人だ。
あるいは、豪快な厨房のスピード勝負についていけず、包丁を持ったまま立ち尽くす新米板前――。
「……って、老舗居酒屋のラッシュ時に立ち往生する見習い目線で例えないの! 脳内議事録から即座に抹消!」
頭の片隅でセルフツッコミを入れながら、私は歯を食いしばった。
落ち込んでいる暇はない。
トークの瞬発力で勝てないのなら、私の持っている武器でこの場を支えるしかないのだ。
「――先輩! 右から警備ドローン来ます! 私が囮になりますから、今のうちにレバーを!」
『おっ、ミウちゃんナイス索敵! 任せて、ダッシュで引く――って、うわあ挟まれた!?』
「先輩っ!? だ、ダメぇぇぇ! そっち行っちゃダメですぅ……!」
画面の中でキャラクターが挟まれそうになった瞬間、私は息を呑み、両手で顔を覆うようなLive2Dのモーションを咄嗟に起動させた。
マイクに吹き込まれたのは、悲鳴というよりは、小動物が震えるような切実で甘い声。
新表情差分の、淡い紫が滲む『恥じらいの困り顔』。
『うぎゃあああミウちゃんの声が可愛すぎて指が滑るぅぅぅ!!』
『助けて今の悲鳴可愛すぎて心臓止まった』
『ミウちゃんの困り顔マジで国宝だろ』
『ユイカがただの限界オタクになってて草』
ドッと沸き立つコメント欄。
パズルを解く先輩を真摯にサポートし、要所要所で計算された本物のリアクションを差し込む。
会話を回すことはできなくても、先輩の言葉を誰よりも真剣に聞き、声と表情の全力で世界観を彩る。
二時間後。
幾多のピンチを乗り越え、宇宙船からの脱出に成功した瞬間、配信画面は割れんばかりの拍手と祝福のコメントで埋め尽くされた。
『クリアおめでとうううう!』
『最高のコラボだった!』
『凸凹コンビめちゃくちゃ面白かったわ!』
『ミウちゃんお疲れ様! 声可愛くて癒やされた!』
「……ふふ、脱出できて、本当によかったです。ユイカ先輩、本当にありがとうございました……!」
『こちらこそありがとー! ミウちゃん、まじでいい子だし可愛すぎて癒やされたわ……! また絶対遊ぼうね!』
配信ソフトの切断ボタンを押し、通話が終了した瞬間。
「…………っ、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
私はデスクの上に両腕を投げ出し、突っ伏した。
全身の毛穴から魂が抜け出ていくような、途方もない疲労感。
脇の下も手のひらも、汗でびっしょりだった。
「……全然、回せなかった」
自室の静寂の中で、ぽつりと悔しさがこぼれた。
コラボ自体は、大成功だったと言えるだろう。
同接も高く、リスナーの反応も極めて好意的だった。先輩も優しくフォローしてくれたし、ミウの可愛さはしっかりと相手のファンにも突き刺さっていた。
けれど――私は知ってしまったのだ。
可愛いだけでは、配信は回らない。
誰かと並び立ち、生きた言葉を交わし合う現場においては、私の誇りにしてきた「一ミリ単位の設計」だけでは届かない、圧倒的な実力とアドリブの世界があることを。
「……悔しいな」
手鏡を引き寄せ、そこに映る疲れ果てた自分の顔をじっと見つめる。
通用した喜びと、足りなさの痛み。
二つの感情が激しく胸を掻き乱す夜の部屋で、私はぎゅっと拳を握りしめていた。




