第15話 知らない誰かと並ぶということ
記念配信は大成功だった。
配信終了と同時に登録者数は一万二千人を突破し、しずくママ描き下ろしの新ショールと困り顔差分は、Xのトレンド下位に食い込むほどの熱狂を生んだ。
私の丹精込めた「儀式」は、完璧な形で祝福されたのだ。
――だが、その熱気が冷めやらぬ翌日の夕方。
活動用のアカウント宛てに届いた一通のダイレクトメッセージが、私の心臓を激しく鷲掴みにした。
『はじめまして、星祈ミウちゃん! VTuberの橘ユイカです
記念配信見させてもらいました! 新衣装のショールもミウちゃんの声もめちゃくちゃ可愛くて、思わずDMしちゃいました……!
もしよかったら、今度ふたりでコラボ配信しませんか?』
「…………えっ?」
スマートフォンの画面を二度見し、それから三度見した。
橘ユイカ。
その名前に、私は激しい目眩を覚えた。
「た、橘ユイカって……あの橘ユイカ先輩……!?」
ベッドから転がり落ちそうになりながら、私は大慌てでパソコンを立ち上げた。
ブラウザの検索窓に名前を打ち込み、チャンネルページを開く。
チャンネル登録者数、三万四千人。
活動歴、およそ一年。
柑橘類をモチーフにしたビタミンカラーのパーカーを着た、ショートカットの元気系個人勢VTuber。
動画一覧には、ホラーゲームの実況から視聴者参加型の参加企画、マシュマロへのキレ味鋭いツッコミ雑談まで、ズラリと人気アーカイブが並んでいた。
平均同接、千人オーバー。
切り抜き動画の総再生数は数百万回。
個人勢の界隈において、押しも押されもせぬ「中堅の実力派」として確固たる地位を築いている先輩ライバーだった。
「な、なんで……? なんで私なんかに……?」
混乱で頭がパンクしそうになる。
一万人を突破したとはいえ、私はまだデビュー数ヶ月のひよっこだ。
登録者数で言えば三倍近く、活動経験でも遥かに上の先輩から、なぜ直接コラボの打診が来るのか。
アーカイブの一つを再生してみる。
スピーカーから弾け飛んできたのは、圧倒的な熱量のマシンガントークだった。
『はいどうもー! 橘ユイカでーす! ちょっと今日のコメント欄、挨拶代わりに煽ってくるのやめてもらっていいですかー!? 草生やすな草を!』
速い。
テンポが速く、コメントを拾う反射神経が異常なまでに鋭い。
リスナーとの小気味よいプロレス、場を一瞬で自分の空気にする圧倒的な陽のオーラ。
私のように「語尾のフェードアウトを〇・二秒残す」だの「上目遣いの角度を十五度に固定する」だのといった、精密な職人芸で間を作るタイプとは、真逆の生き物だった。
「……すごい」
率直な感嘆が漏れる。
と同時に――私の胃の奥が、キリキリと痛み始めた。
「怖い……」
逃げ出したいような冷たい恐怖が、足元から這い上がってくる。
一人で配信している限り、星祈ミウの世界は完璧だ。
私の設計した台本通りに世界が回り、私の計算した通りの間でコメントが流れ、誰もが私の可愛さに酔いしれてくれる。
そこは、私が神として君臨する温室だ。
けれど――他人と並ぶということは、どういうことか。
画面が二分割され、隣に自分とは全く違うタイプの、圧倒的にトークの上手い配信者が立つ。
その瞬間、星祈ミウの「一ミリ単位の可愛さ」は、他人の目線に無防備に晒され、比較されることになるのだ。
『なんかミウちゃん、隣のユイカちゃんに比べて全然喋れてなくない?』
『可愛いだけで、会話のテンポ悪くない?』
『置物みたいになってて草』
そんなコメントが流れる光景が、脳裏をよぎる。
前世のしがないサラリーマン時代、花形部署のエリートたちが集まる大規模プロジェクトの合同会議に放り込まれ、一言も発言できずに縮こまっていたあの惨めな記憶――。
「……って、他部署のプレゼン巧者に圧倒されて隅っこで議事録取ってた平社員の記憶! 脳内議事録から即座に抹消!」
手鏡を握りしめ、前世のトラウマを力づくで振り払う。
危ない。油断するとすぐ胃薬が欲しくなる。
断る理由は、いくらでもあった。
「まだデビューしたばかりで準備が整っておらず……」と、当たり障りのない丁寧な辞退文を送れば、相手も気を悪くはしないだろう。
温室の中に閉じこもり、これまで通り一人で安全に可愛いを磨き続ければいい。
――けれど。
「本当に、それでいいの?」
手鏡の中の雨宮澪が、私をじっと見つめ返していた。
あの日、活動方針を見直した夜に、私は何を誓ったのか。
閉じこもっているだけじゃ、世界は変わらない。
星祈ミウの本当の可愛さを、もっと広い世界へ届けるために、見つけてもらう努力をすると決めたはずだ。
橘ユイカ先輩という、自分より先に進んでいる本物の配信者。
その隣に立つことは、確かに恐ろしい。
自分の未熟さを突きつけられ、傷つくかもしれない。
でも――この壁から逃げ出したら、星祈ミウは「安全な温室の中だけでしか息ができない、ただの操り人形」で終わってしまう。
「……やるしかない」
喉を鳴らし、私は震える指でスマートフォンの画面をタップした。
『橘ユイカ先輩、はじめまして! 星祈ミウです。メッセージ本当にありがとうございます……!
いつもユイカ先輩の配信を楽しく拝見していたので、お声がけいただけて本当に光栄です。
私でよろしければ、ぜひ喜んでコラボさせてください!』
送信ボタンを押した瞬間。
ツン、と指先が冷たくなり、もう後戻りはできないのだという猛烈な実感が、心臓を強く締め付けた。
知らない誰かと、並び立つ。
私の可愛いが、本当の意味で世界と試される夜が、すぐそこまで迫っていた。




