第12話 ママは今日も天才だった
画面越しに聞こえてくる穏やかな声に、私の耳朶が甘やかにくすぐられる。
『――ふふ。澪ちゃん、相変わらず目の付けどころがプロの現場並みだね』
ヘッドホンの向こう側、Discordの音声通話から響くその声は、春の午後の木漏れ日のように柔らかい。
神絵師・花守しずく先生。
星祈ミウという奇跡の少女を生み出してくれた、私の敬愛する『ママ』であり、絶対のクリエイティブ・パートナーだ。
「そ、そんなことないです! しずく先生のデザインが神域すぎるから……私、ただその素晴らしさを一滴もこぼさずに受け止めたいだけで……!」
液晶タブレットを抱きしめるようにしながら、私は前のめりで通話のマイクに語りかけていた。
学校では物静かな女子高生で通っている私が、この時ばかりは早口のオタク全開になってしまう。
前世のくたびれた男だった頃から、職人の卓越した技術には目がなかったけれど、しずく先生の筆先から生み出される造形美は、本当に私の魂を浄化してくれる。
『嬉しいな。じゃあ、さっき澪ちゃんが送ってくれた要望書……これね、すごく面白いと思うよ』
しずく先生が画面共有で開いたのは、私が昨夜作成した『星祈ミウ・新表情差分および装飾追加に関する検討書』のPDFだった。
先日の配信のあとに先生からいただいた「新しい差分やお洋服のデザインも考えてみようか」という温かい提案を受け、私はさっそく三日三晩かけて要望を煮詰めていたのだ。
特に、前回の配信で痛感した「トラブル時の立て直しの力」を補強するための、新しい表情差分。
「えっと……具体的にはですね! これまでのミウの『困り眉』って、少しだけ悲壮感が出やすかったんです。だから、眉尻の下げ幅をあと一・五ミリほど緩やかにして、瞳のハイライトの揺れを二割増しにした『悪戯っぽくて甘えん坊な困り顔』が欲しくて……!」
『うんうん』
「あと、新衣装の小物として、星のレースをあしらったシースルーのショールと、斜めにかぶるベレー帽を提案させていただきました! ショールが肩から少しだけ滑り落ちるような着脱ギミックがあれば、雑談中にリスナーの視線を自然にデコルテへ誘導できて、あざとさの破壊力が三倍に跳ね上がるんです!」
熱弁を振るう私。
冷静になって考えると、女子高生がプロの有名イラストレーターに対して「デコルテへの視線誘導」だの「あざとさ三倍」だのを大真面目に語っている姿は、かなり異様かもしれない。
まるで銀座の老舗テーラーで生地の光沢に恍惚とする頑固な旦那衆だ。
「……って、採寸中の仕立て屋でウンチク垂れるおっさん視点! 脳内議事録から即座に抹消!」
心の中で激しくセルフツッコミを入れていると、スピーカーの向こうから、くすくすと鈴を鳴らすような笑い声が聞こえてきた。
『澪ちゃんの熱量、本当に大好きだよ。……じゃあね、私からも少しだけ提案してもいいかな?』
「は、はいっ! ぜひお願いします!」
『ショールのギミック、すごく素敵。ただね、ただ滑り落ちるだけじゃなくて、布地の端に小さな銀色の星のチャームをつけてみるのはどうかな? Live2Dで動いた時に、ショールが揺れるのとほんの少しだけ遅れて、チャームがチリンと揺れるような物理演算を入れるの。そうすると、ミウちゃんが動いた時の“可憐な重力”が画面越しに伝わると思うんだよね』
「…………っ!」
息が止まった。
可憐な、重力。
『それから、困り顔の差分ね。眉の角度を調整するだけじゃなくて、頬のチークのテクスチャに、ほんの少しだけ淡い紫を混ぜてみるのはどう? 照れ隠しのニュアンスが深くなって、“強がっているけど本当は恥ずかしい”っていう、ミウちゃんの奥ゆかしい小悪魔感がぐっと引き立つと思うんだ』
ササッ、と共有画面の上で、しずく先生のペンが走る。
真っ白なキャンバスの上に、ミウのラフスケッチが描かれていく。
先生の言葉通りに調整されたその表情は――。
「あ…………ぁ…………」
声にならない吐息が漏れた。
可愛い。
あまりにも、可愛い。
私が言語化しきれなかった理想のその先、私が求めていた「完璧な可愛さの余白」が、目の前に鮮やかに顕現していた。
私の細かいこだわりを一切面倒くさがらず、すべて正面から受け止めた上で、さらに一段高い芸術へと昇華させてくれる。
「ママ……やっぱりママは天才です……全人類がひれ伏すべき神の御手です……!」
『ふふ、ママ呼び、配信外でも自然に出るようになっちゃったね』
「あっ……! ご、ごめんなさい、つい口が……!」
顔から火が出るほど恥ずかしくなって両手で顔を覆う。
そんな私に、しずく先生は柔らかく、慈しむように言った。
『いいんだよ。澪ちゃんが星祈ミウちゃんをどれだけ大切に愛してくれているか、私には痛いほど伝わってるから。ミウちゃんが画面の中で生きて笑っているのを見るたび、この子を描けて本当によかったなって、私の方こそ感謝してるんだよ?』
「しずく先生…………っ」
胸の奥が、熱い涙で満たされそうになる。
前回の配信で機材ミスをして落ち込んでいたこと。
完璧にできない自分を責めて、一人で勝手に擦り減っていたこと。
そのすべての痛みが、先生のこの温かい肯定の一言によって、すうっと溶けて消えていくのを感じた。
私は一人で戦っているんじゃない。
この世界で最も信頼できる天才が、私の背中を支えてくれているのだ。
『じゃあ、この方向でラフ詰めておくね。記念配信とか、大きなイベントの時にサプライズでお披露目できるように、準備進めておこうか』
「はい……! 本当に、ありがとうございます……!」
通話を終えた後、私はしばらくの間、静まり返った部屋の中でぽうっと火照った頬を押さえていた。
ディスプレイの中には、先生が画面共有で見せてくれたラフのスクリーンショット。
星のチャームを揺らし、恥ずかしそうに頬を染める星祈ミウ。
「やっぱり……ママは今日も天才だったな」
手鏡を引き寄せ、そこに映る女子高生・雨宮澪の瞳を見る。
そこにはもう、昨夜のような迷いや焦りの色はなかった。
最高の器が、ここにある。
そしてその器は、これからももっと美しく、もっと魅力的に進化していくのだ。
胸を張ろう。
先生が信じてくれた私のプロデュースを、世界中の誰よりも私自身が誇りに思わなくてどうする。
力強い光を取り戻した瞳で、私はモニターの中の最愛の少女へ、深く微笑みかけた。




