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第10話 サムネ一枚にも、かわいいは宿る

 グラフィックソフトのキャンバス上で、拡大倍率を四百パーセントまで引き上げる。

 ペイントツールのカーソルを、一ピクセル単位で左右に滑らせた。


「……違う。ここじゃない。あと二ピクセル、右下」


 カチ、と静かなクリック音が部屋に響く。

 切り抜かれた星祈ミウの立ち絵――その左肩の輪郭線に、背景の淡い夜空色がわずかに回り込むよう、境界線のぼかし幅を〇・三ピクセルだけ微調整した。


 引いて全体像を確認する。

 画面には、明日の夜に予定している雑談配信のサムネイルが表示されていた。


 深い群青色から夜明けのペールバイオレットへと移ろうグラデーション。

 画面の右側三分の一を占めるのは、神絵師・花守しずく先生が描いてくれた、小首を傾げて悪戯っぽく微笑むミウのバストアップだ。

 左側には、明日の配信タイトルが配置されている。


『夜更かしの言い訳、聞いてあげる?』


 フォントは、優美さと可憐さを併せ持つ明朝体をベースに、文字の角をわずかに丸めたカスタム仕様。

 行間、文字間(カーニング)は、一文字ごとに手動で詰めている。

 特に『言い訳』の二文字と『、』の間隔は、スマホの小さな画面でサムネイルが縮小表示された際、視線が自然に一呼吸置けるよう、絶妙な余白を確保していた。


「サムネは……単なる看板じゃない。配信の『プロローグ』なんだ」


 手元のホットココアに口をつけ、私は熱い息を漏らした。


 世間の多くの配信者は、サムネイルを単なる『告知の道具』や『クリックさせるための釣り針』として扱っている。

 ド派手な原色の極太フォントで画面を埋め尽くし、誇張した煽り文句を並べ、驚いた顔の立ち絵を大きく貼る。

 いわば『本日大特売! マグロ解体ショー開催!』とデカデカと書かれたスーパーののぼり旗だ。


「……って、夕方の鮮魚コーナーのチーフ目線で例えないの! 脳内議事録から即座に抹消!」


 頭を振って前世のスーパーの特売チラシの記憶を追い払う。

 危ない。あやうく『目玉商品』とか『タイムセール』の文字が脳裏に浮かぶところだった。


 私が創り上げたいのは、安売りの大衆魚じゃない。

 夜空に一筋だけ輝く、手が届きそうで届かない、神秘的で愛らしい一番星なのだ。


 私の持論において、リスナーの体験は配信開始ボタンが押された瞬間から始まるのではない。

 タイムラインやおすすめ欄で、このサムネイルを目にした〇・五秒の間――そこからすでに、星祈ミウの魔法は始まっているのだ。


 サムネイルを開いた瞬間に受ける印象が、その後の配信の解釈を決定づける。

 ガサツなフォントで置かれた文字からは、ガサツな空気しか伝わらない。

 けれど、細部まで計算された色彩と余白、光の粒の散らし方からは、『この子は繊細で、可憐で、大切に扱わなければならない存在なのだ』という無言のメッセージが、リスナーの無意識に刷り込まれるのだ。


「問題は……差分なんだよね」


 私はディスプレイの前で腕を組み、唸り声を上げた。

 キャンバスのレイヤーパネルには、しずく先生から納品されている複数の表情差分が並んでいる。


 候補その一。

 両目を細めて柔らかく微笑む『慈愛の笑顔』。

 包容力があり、疲れた現代人を癒やすには最適だ。けれど、今回のタイトル『夜更かしの言い訳、聞いてあげる?』に合わせると、少しだけお姉さんぽくなりすぎて、ミウの持つ少女特有のあざとさが薄れてしまう。


 候補その二。

 口元をキュッと結び、上目遣いでこちらを見つめる『拗ね顔』。

 これも破壊力は抜群だ。けれど、初見のユーザーが見た時に「何か怒っているのかな?」と警戒心を抱かせるリスクがある。


 そして、候補その三。

 右目だけをわずかに細め、唇の端をほんの二ミリだけ吊り上げた『小悪魔な微笑み』。

 見る者を試すような、けれど絶対に突き放しはしない、甘やかな共犯関係を誘う瞳。


「……やっぱり、これだ」


 候補その三を選択し、不透明度を百パーセントにする。

 瞳の中に宿る星のハイライトが、サムネイル全体の視線誘導の終着点になるよう、文字の配置を右下がりに微調整する。

 視線誘導のZの法則。

 左上の『夜更かし』で視線を捕まえ、右下のミウの青紫の瞳へと滑り込ませる完璧な導線。


 さらに、Xの告知ポスト文の作成に入る。

 メモ帳を開き、キーボードを叩く。


『明日の21時から、まったりお話ししましょう!』

 ――だめだ。消去。


『明日21時、みんな来てね!』

 ――雑すぎる。消去。


 何度も書いては消し、スマホの実機を取り出してプレビューを確認する。

 Xのタイムラインでは、ポストの冒頭数行しか表示されない。

 改行の位置、句読点の有無、絵文字の色彩。

 すべてが『星祈ミウという人格』のフィルターを通っていなければならない。


 三十分の推敲の末、完成した文面がこれだ。


『ねえ、明日の夜って……少しだけ時間ある?

 怒らないから、君が夜更かししちゃう理由、ミウに教えてよ。


 明日の21時。

 ふたりだけの秘密のお話、しよ?


 星祈ミウ雑談配信【待機所URL】

 #星祈ミウ #ミウの星語り』


「……よしっ」


 思わず小さくガッツポーズを作った。

 業務連絡ではない。呼びかけであり、語りかけであり、読んだ者の心に小さな波紋を広げる文体。


 時計を見ると、すでに深夜一時を回っていた。

 告知ポストの予約投稿をセットし、私はベッドに倒れ込んだ。


 翌日の夕方。

 高校の放課後、通学電車の座席でスマートフォンを取り出し、Xを開く。

 正午に投稿された告知ポストの通知欄を確認した私の目は、思わず丸くなった。


 リポスト、百二十件。

 いいね、四百五十件。

 いつもの告知ポストの、およそ二・五倍の反応が集まっていた。


 リプライ欄を開く。


『サムネのミウちゃん、表情あざとすぎて変な声出た』

『ふたりだけの秘密って言われたら行くしかないじゃん……』

『フォントの配置おしゃれすぎる。待機所入りました!』

『おすすめのTLに流れてきて一目惚れした。今日の配信見に行きます』


「おすすめに……流れて、一目惚れ……!」


 最後のリプライを読んだ瞬間、胸の奥がきゅっと熱くなった。

 届いた。

 見つけてもらえたのだ。


 サムネイルの一ピクセル、フォントの一ミリ、告知文の一文字。

 妥協せずに詰め込んだ私の美意識が、見知らぬ誰かのスクロールの手を止め、星祈ミウの世界へと引きずり込んだのだ。


「ふふ……あはは」


 マスクの下で、堪えきれない笑みがこぼれる。

 もちろん、これで満足したわけじゃない。まだ改善できる余地はいくらでもあるし、今日の配信本番で期待以上の可愛いを届けられなければ意味がない。


 けれど――私の進んでいる方向は、絶対に間違っていない。


 スマートフォンを胸に抱きしめ、私は夕暮れの街を軽やかな足取りで駆け抜けた。

 今夜の配信は、いつも以上に最高のものにしてやると、心に強く誓いながら。

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