表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私を捨てた殿下が、雨の門前で「犬にしてください」と跪いています  作者: イレニス
番外編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
51/60

番外編・リュシー いちばん高い棚

帝都を出る前に、一度だけ、ロゼリア様にお会いした。


詫びじゃない。詫びは、受け取ってもらえない。あの人は、礼も詫びも、費目の合わない品物みたいに、棚に戻してしまう人だから。


わたしが渡しに行ったのは、もっと、ずるいものだ。あの人が、見られなかったもの。——あの人は、自分の勝ち戦を、まだ一度も、見ていない。



「お預かりの件でしたら、メルロー嬢。礼には、及びませんわ」


座らせてもらえないまま、わたしは切り出した。


「あなたが、出ていったあとの王宮の話を、しに来ました」


ペンが、止まった。


「結構ですわ」声は、平らだった。「あの国は、もう、わたくしの帳簿には、ございません」


「知っています。だから、わたしが、持ってきたんです。あなたが帳簿から外したところで——起きたことは、起きたので」


「メルロー嬢」あの人が、初めて、顔を上げた。「その話を、わたくしが聞きたがっていると、本気で?」


「いいえ。聞きたくない、お顔です」わたしは、退かなかった。「だから、話します。聞きたくないことの中にしか、本当のことは、ないので」



「最初の晩餐会で、大使が、席を立ちました。料理に、手もつけずに」


「……席次の不手際など、どこにでも」


「あなたなら、しなかった席です。睨み合う二家門を、隣同士に。あなたがいた頃は、一度も、なかった」


「もう、結構と——」


「セドリック様は、笑っていらっしゃいました」


その名前で、あの人の言葉が、切れた。


「何が起きたか、わからなくて。場を温めようと、関税の話を、ご自分から。南の伯爵様に。——あなたが、十年、出させなかった話を」


「……おやめなさい」


声が、低くなった。初めて、低くなった。


「やめません。あの人の周りの、あたたかさ。あれ、あなたが、毎朝、窓を開けて、入れていた空気でした。あなたが出て、窓を開ける人が消えて、部屋は、すぐに、冷えた。あの人には、温める術が、何も——」


「いい加減に、なさい!」


ぴしゃり、と来た。


初めて見た。ロゼリア様が、声を、荒らげた。灰青の目が、まっすぐ、わたしを射ていた。わたくし、の鎧の、継ぎ目が、一瞬、ほどけて見えた。


——よかった。


「……怒って、くださった」わたしは、息を、吐いた。「よかった。あなたが、ちゃんと、怒れる人で」


「何が、言いたいの」


「あなた、ぜんぶ、帳簿にするでしょう。痛かったことまで。費目をつけて、棚に仕舞って。『回収不能債権』とでも、書いて。——痛い、って、認めないために」


あの人は、答えなかった。


「そんなに固く、蓋をするのは。それが、いちばん、痛かったからですよね。いらないものなら、そんなに固く、閉じなくて、いいんです。あなた、捨てたふりをして、いちばん痛いものを、いちばん——」


「——訂正を、して差し上げますわ」


声が、戻っていた。さっきの平らとは、違う平らだった。低くて、底が、見えなかった。


ロゼリア様は、窓のほうを向いて、それから、短く、笑った。怒りでも、泣きでもない、もっと、底のほうの笑いだった。


「あなた、勘違いをしておいでね。——帳簿に綴じるのは、捨てることでは、ございませんのよ」


「……え」


「いちばん痛かったものは、いちばん高い棚に、いちばん丁寧に、綴じてございます。鍵を掛けて。誰にも、見せずに。——なかったことにして消すのと、誰にも見せずに残すのとは、まるで、違いますの。あなた、あちら側で、ずいぶんご覧になったようだけれど。肝心のところは、何ひとつ、見えていなかったようね」


わたしは、しばらく、言葉が、出なかった。


そうだ。この人は、消す人じゃ、ない。残す人だ。世間が、あの人の十年を、「よく気がつく妃」の一言で、残高ゼロにした。——でも、この人だけは。自分で、いちばん高い棚に、鍵を掛けて、ちゃんと、残していた。世間に消されたものを、本人だけが、守っていた。誰にも、見せずに。


わたしが、心配することなんて、何も、なかったんだ。


「……すみません」わたしは、笑ってしまった。今日、初めて。「わたし、いらない心配を、しに、来たみたいです。あなたが、自分を、なかったことにしてたら、いやだな、って。——でも、ぜんぜん、違った」


「ええ。お節介な、娘」


あの人は、もう、こちらを見ていなかった。けれど、追い返しも、しなかった。



帰り際、振り返ると、ロゼリア様の手が、胸元の、細い鎖に、触れていた。


その仕草で、わかった。


——いちばん高い棚は、たぶん、あそこだ。鍵の掛かった、胸の上の、小さな、何か。


わたしには、それが何かは、わからない。


わからないけど、見なかったことに、した。いちばん高い棚の中身を、無理に覗くものじゃ、ない。


それくらいの分別は——あちら側で、崩れていくものばかり、数えてきたわたしにも、ちゃんと、ついたんです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ