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私を捨てた殿下が、雨の門前で「犬にしてください」と跪いています  作者: イレニス
番外編

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番外編・犬の手記② 名前

雨が三晩続いたあと、セドリック・ヴェルダンテは屋敷の中へ入ることを許された。


許されたのは床だった。応接間の、暖炉から最も遠い床。絨毯の上は許可されなかった。彼は示し合わせたわけでもないのに、許される一点を寸分違わず測り、自分からそこに膝をついた。許される場所を当てる目だけは、十年の宮廷で養われていた。違うのは、かつてはどこにでも座れたということと、いまは一点しか残っていないということだけだった。


外套は二晩の雨で死んでいた。仕立ては王宮のものだったが、減価償却はとうに済んでいる。布の形をした水は、門前の晩より、なお重くなっていた。床に膝をつくと、その水が絨毯の手前の板に小さな染みを作った。彼はその染みに気づいていた。気づいて、詫びなかった。詫びれば、また自分が軽くなる。三晩かけて捨てた利息を、入ってすぐに乗せ直すわけにはいかなかった。


椅子に座った彼女は、立たなかった。立って近寄れば、それだけで彼の値を一段上げてやることになる、と知っている座り方だった。


「犬に何ができますの」


問いは短かった。あなたに残っているものを言いなさい、と彼女は続けた。目録のない買い物はいたしませんわ、と。


セドリックは指を折らなかった。淀みなく数えた。剣を一振り。王宮の裏側を十年見た目。それから、いくらでも恥をかける身分を。


三つ目を口にしたとき、彼は自分が何を売り物に並べたかを正確に知っていた。誇りを商品の欄に書ける者は多くない。書けるのは、誇りの値段を知っている者だけだ。没落の市場では、誇りは暴落する。暴落した品を、底値で、自分の手で台帳に載せる。そうすることでしか、買い手のいない男は買われない。買い手は一人しかいなかった。一人で十分だった。


彼女は灰青の目を細めて、その品書きを検めた。剣と目には頷いた。三つ目で、目がほんの少し留まった。留まったが、何も言わなかった。値踏みを言葉にして渡すような人ではない。


検分のあいだ、彼は動かなかった。値をつけられている時間は、長いほうがよかった。値をつけるという行為は、台帳に載せるという行為だ。臣籍に降りて以来、彼はどの台帳にも載っていなかった。元王子でもなく、客でもなく、罪人ですらない。無記名の、宙に浮いた一個の体だった。無記名の体には、明日やることがない。朝が来ても、開く帳面がない。


いま、彼女は彼を品目として検めている。品目には費目がつく。費目がつけば、台帳に一行できる。一行できれば、明日がある。


だから、条件が告げられたとき、彼の返事は早かった。


「家の中には、入らないこと。庭を横切るのは、呼ばれたときだけ。餌は出します。寝床は門番小屋の隣」


「仰せのまま」


「即答ね。条件も聞かずに」


「聞けば、値切りに聞こえます」


彼女の目が一度だけ細くなった。査定の、目だった。早すぎる返事だった。早すぎることに、彼自身が気づいていた。気づいていて、遅らせなかった。遅らせて見せるのは、まだ値を吊り上げる芝居だ。芝居はもう、門の外で全部捨ててきた。


彼のほうから、線を半歩内側に引いた。庭を横切るのもお呼びのときだけにいたします、と。雨の日は軒下を借りられれば、と。不要なら、それも結構です、と。


その「結構です」に、湿り気を一滴も混ぜなかった。二晩雨に打たれた男の声には聞こえないように。同情で買われた犬がどうなるかを、彼は知っていた。同情で買われた犬は、同情が切れた日に捨てられる。情は相場が動く。動く相場の上には、寝床を建てられない。彼が欲しいのは情ではなかった。費目だった。費目は動かない。報われない仕事を報われないままやり続けるかぎり、費目は台帳に残る。


そして、名が告げられた。


「名は——殿下、のままで結構。皮肉が利いていてよろしいですわ」


門の前で、彼は言った。それ以外の名はもうございません、と。称号は臣籍降下で剥がれ、剥がれた紙を、彼は自分の手でもう一度手放したつもりでいた。捨てた。埋めた。済んだことにした。


彼女は、それを許さなかった。


捨てたはずの称号を、彼女は掘り起こし、首輪にして彼の首へ戻した。敬意としてではない。罰として。皮肉として。これから先、彼は毎日、自分が失ったものの名で呼ばれる。番犬の分際で、殿下と。呼ばれるたびに、何を持っていたか、何を失ったかを、自分の名で思い知る。掘り起こす手間を、彼女はわざわざかけた。済んだことにする禊を、彼女はさせなかった。


それは、彼が三晩かけても思いつかなかった種類の正しさだった。


詫びは自分を軽くする。やり直しは何かを持つ者の言葉だ。彼はそこまでは削れた。だが、削った先で自分を無記名にして、楽な場所に隠れることまでは、見抜けていなかった。称号を捨てれば、殿下だった男の罪も、いっしょに薄まる。薄めさせない。失ったものの名で呼び続けることで、罪を毎日、定価のまま支払わせる。それが、首輪の利いている所だった。


仰せのまま、と彼は答えた。三度目の、早い返事だった。


最後に、彼女は立ち上がり、床の彼を見下ろして言った。


「あなたに残された場所は、私の後ろだけです」


濡れた髪から雫がひとつ落ちて、絨毯の手前に、もう一つ染みを足した。彼は頭を垂れた。後ろ、という一語を、彼は値引きせずに受け取った。隣ではない。前でもない。後ろ。供される犬の歩く位置として、それは過分でも不足でもない、正しい一語だった。


その夜、彼は門番小屋の隣の、板で仕切られただけの寝床に通された。寝藁の匂いがした。屋根があった。雨は屋根の上で鳴り、彼の背には届かなかった。三晩ぶりに、雨の当たらない場所だった。


寝藁の上に、毛布が一枚、畳んで置かれていた。


告げられた条件に、毛布はなかった。餌、寝床、門番小屋の隣。それだけだった。犬志願者に毛布は早い、と彼女は言ったように記憶していた。にもかかわらず、毛布はそこにあった。古びてはいたが、洗ってあった。誰が置いたのか、彼は知らない。盆を運んできた老家令の顔を思い出したが、あの男は何も言わなかった。何も言わずに、しかし一枚だけ抱えて出ていったのを、彼は廊下の隅で見た気がした。気のせいかもしれなかった。


それは台帳に載らない毛布だった。費目のつかない温もりは、誰かの独断で、誰の帳簿にも記されずに置かれる。彼はそれを使うべきか、一晩考えるつもりで広げ、考える前に体が温もりを受け取っていた。礼の言いようがなかった。置いた者が名乗らない以上、礼は宙に浮く。宙に浮いた礼は、いつか働きで返すよりほかにない。彼は毛布の借りを、頭の隅の、まだ一行もない帳面の隅に、そっと書き付けた。


夜半、仕切りの板の上に、灰色の縞が現れた。


門の格子の向こうから一度だけ彼を見て、興味を失って去った、あの猫だった。本館の側から、雨を避けて軒伝いに回ってきたらしい。濡れた足跡は、肉球の先がわずかに湿っている程度で、野良あがりの身のこなしが、雨の通り道を知り尽くしていた。寝床のいちばん高い、いちばん乾いた板の上に痩せ気味の体を収め、琥珀の目で彼を見下ろした。媚びるところは一つもなかった。値踏みでもなかった。外の寝床に生き物が一匹増えた、という事実を検めにきただけの目だった。


セドリックは動かなかった。手も伸ばさなかった。野良に手を伸ばせば逃げる。逃げられて困るものは彼には何もなかったが、それでも伸ばさなかった。間合いを詰めないことが、たぶん正しかった。なぜそう思ったのかは分からない。分からないまま、彼は猫から目を逸らし、天井の板に視線を戻した。詰めてこない者の前でだけ、この獣は背を見せずにいるのだろう、と思った。誰に教わったのでもない見当だった。


猫はしばらく、高い板の上にいた。餌が出るわけでも、撫でられるわけでもない。同じ屋根の下に、犬が一匹と、猫が一匹。それだけのことだった。それだけのことが、三晩ぶりに、雨の音より大きかった。やがて猫は音もなく板を降り、自分の持ち場のほうへ——屋敷の灯のほうへ、戻っていった。乞う前から内側の席を持っている獣の、当然の引き上げだった。残された寝床に、毛布の温もりだけが、誰の帳簿にも載らずに残った。


冷えた体が、屋根の下でゆっくりと体温を取り戻していくあいだ、彼は天井の板の木目を見ていた。明日、餌が出る。明日、呼ばれれば庭を横切る。明日、殿下と呼ばれる。やることが、決まっていた。十年、誰かが毎朝決めてくれていた一日を、彼は自分が決めてもらう側に戻っていた。決めているのが、かつて彼の一日を黙って組み立てていた人だということを、彼はもう知っていた。


板の木目を数えながら、彼は眠った。眠る前に、明日の餌の礼の言い方を一つ考え、それも芝居だと気づいて捨てた。礼は、出された餌を残さず食べることで返せばいい。言葉はもう、いらない場所に来た。

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