番外編・縁談という名の案件
戴冠から三月。私の決裁机に最も多く積まれる案件は、戦でも飢饉でもなく、縁談だった。
女王が独り身でいるというだけで、国中の良家が、それを未解決の懸案だと思うらしい。机の右端に、釣書が日ごと高くなる。私はそれを、ほかの案件と同じ箱に入れることにした。求婚とは、要するに、私への新たな査定である。ならば——査定し返すまでのことだ。
幸い、私には、求婚者を一人残らず無償で品定めしてくれる係が、すでに一匹いた。
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最初の一件は、武辺の騎士だった。
謁見の間で片膝をつき、剣にかけて生涯お守りいたします、と、天井まで届きそうな声で言った。守る、という言葉を、この国の男はずいぶん安く使う。
「忠誠は受け取りました」と私は言った。「ですが、わたくしの隣で抜かれない剣に、俸給は出せません。その熱意は、わたくしの隣より、北の国境でこそ値が張ります。明日、発ちなさい」
騎士は束の間きょとんとし、それから、かっと目を見開いた。
「——御意! 国境にて武功を立て、必ずや陛下のもとへ凱旋いたします!」
口説きに来て、出征の辞令を、求婚の成就と取り違えて帰っていった。たいした自家発電である。彼が武功を立てて戻る頃には、その持ち場は石の砦に置き換わっているだろうが、夢を見るのは本人の自由だ。配置完了。一件。
ちなみに、騎士が「お守りいたします」と声を張った瞬間、玉座の足元で、低い唸りが一つ上がった。番犬である。守る役はもう埋まっている、とでも言いたげだった。黙らせはしなかった。事実だからだ。
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次は、宰相補佐の若者。書類の山を抱えたまま頬を染め、お慕いしております、と、消え入る声で言った。
「結構です」私はその腕の山を指した。「わたくしを口説く時間があるのなら、その手の未決裁が三百件あります。口説くより速く片づけたら、考えて差し上げます」
「さ、三百……! で、では、今夜中に——!」
若者は山を抱え直し、青い顔で持ち場へ駆け戻った。今夜中、と言った口で、日付が変わる前に机へ突っ伏すほうに、私は銀貨を賭けてもいい。健気ではある。見込みは薄いが。配置完了。二件。
番犬は、この男には唸らなかった。代わりに、ほんの少し、目を細めた。憐れんでいる顔だった。お前のほうがまだ脈はあるぞ、と言ってやりたくなって、やめた。すぐ調子に乗るからだ。
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三件目は、商会長。これは口説き文句すら省いて、領地と交易の利を並べ立てた。誠実な男だ。少なくとも、何が欲しいかを隠さない。
「あなたが欲しいのは、わたくしではなく、南方航路の独占権でしょう」私は羽根ペンを置いた。
商会長は一瞬たじろぎ、それから——あからさまに、ほっとした顔をした。
「……仰る通りで。いえ、お美しいのは本心ですが、それとこれとは、勘定が別と申しますか」
「結構。正直は、この部屋でいちばん値の張る徳です」私は頷いた。「縁談はお下げなさい。独占権は——五年の期限つき、関税三割増しなら、検討します」
商会長は破顔し、たった今まで妻に望んでいた相手と、嬉々として関税の交渉を始めた。いちばん話の通じる求婚者だった。配置完了。三件。
番犬は、この男には、もう唸りもしなかった。脅威の格付けが正確すぎて、私は内心、舌を巻いた。恋敵にならない男を、ちゃんと恋敵から外している。番犬としての精度だけは、文句のつけようがない。
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恋の返事は、一つもしていない。それでも机の右端は、確かに低くなっていた。査定とは、こういうものだ。
そして、誰よりも熱心に立ち会った査定官へ、私は向き直った。
「お前は、いちばん安い門番として優秀だ」
俸給は干し肉ひと束で足りる、という意味の侮蔑である。本来なら気を悪くするところだ。ところがこの男は、侮蔑されればされるほど、所有された証だとでも思うらしい。尻尾があれば、千切れるほど振っていた。
「光栄です」と、彼は本気で言った。「お役に立てたなら」
「立ってはいない。三人とも、お前が唸らずとも帰した」
「では、次からは、もっと早く唸ります」
——この男は、私に叱られる口実を、自分から増やしにくる。減らそうという発想が、十年経っても、ない。
私は扇を開き、その内側に、勘定の合わない顔を一つ、隠した。この男が、私の言葉をいまも一つずつ帳面につけていることは、もう知っている。先夜、その帳面を、最後の一頁まで読んでしまったことも。けれど、読んだとは、言わない。知られた瞬間に、この安い贅沢には、値がついてしまうからだ。
「及第点よ」とだけ、言った。
よくできました、ではない。あれは、まだ、いちばん高い棚に、鍵を掛けて取ってある。——その鍵を、この男がどれだけ物欲しげに見上げていても、だ。
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ただ一件、配置のきかない縁談が、机に残った。
隣国サンクレール——大公オーレリアンの名代が置いていった、婚姻同盟の書状である。文面は丁重で、行間は丁重ではなかった。女が戴いた冠を、隣の大国が値踏みしている。これは騎士のように国境へ飛ばすことも、商会長のように関税へ翻訳することもできない。
彼は、この書状の前では、唸らなかった。唸る代わりに、静かになった。番犬が本当に牙を剥くべき相手を、この男は、間違えない。三人の求婚者に一度も本気を出さなかったのは、本気を出す相手を、ちゃんと取っておいたからだ。
私は、その一通だけを未決の箱へ戻した。利息のつく案件だ。いずれ、利息ごと払わせてもらう。——けれど、今日ではない。
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日が暮れて、人が引いた。
玉座の隣の席は、今日も空いている。求婚者を三人配置し、一通を保留にして、それでも、隣は空のままだ。誰も座らせなかったのではない。座る資格の審査が、まだ一件も及第していないだけのことである。
——と思っていたら、その空席に、何かが軽々と飛び乗った。
猫である。陛下、と呼ばれている、灰色の。玉座の肘掛けでは飽き足らず、ついに隣の席まで版図を広げたらしい。陛下はそこで一度伸びをし、私を一瞥し、それから、さも当然という顔で丸くなった。
退きなさい、とは言わなかった。言って退く相手ではない。それに——あれほど審査の厳しい隣の席を、こうも堂々と占領できるのは、この屋敷でただ一匹、税のかからぬ陛下だけらしい。賄賂も通じず、忠誠も誓わず、ただ当然の顔で居座る。求婚者たちに、爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいの、堂々ぶりだった。
足元では、番犬が、その様子をじっと見上げていた。隣がいい、とは言わなかった。この男は、欲しいものほど、自分から手を伸ばさない。十年、そういうやり方しか知らない。——知っているからこそ、私は、その頭を、一度だけ撫でてやった。猫の見ていない、ほんの一瞬に。
灯を細める。隣で陛下が満足げに喉を鳴らし、足元で犬が、たった今撫でられた一度を、たぶんまた帳面に書き足している。
明日も縁談は積まれるだろう。けれど、今日の収支は——査定する側の私のほうが、ほんの少し、負けていた。




