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私を捨てた殿下が、雨の門前で「犬にしてください」と跪いています  作者: イレニス
番外編

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番外編・犬の手記① 門前

セドリック・ヴェルダンテは、門を叩かなかった。


ヴァルモンテ家の借りた邸は、帝都サンクレールの坂のなかほどにあった。黒い鉄の門があり、門番の小屋があり、門灯が一つ、雨に滲んでいた。叩けば取り次がれる。取り次がれれば、彼女が出てくる。彼女が出てくれば、彼女は何かを差し出してしまう。傘か、椅子か、温かいものか。あの人はそういう人だった。十年、息をするように人に何かを差し出して、それを当然のことにしてきた人だった。


だから彼は叩かない。客として通されてはならない。門前に置かれた荷物として、内側から見つけられる側に回る。それが彼に許された唯一の入り方だった。


秋の長雨は三日目に入ろうとしていた。彼の外套は王宮仕立てだった。仕立ては良かった。良かったが、古く、二晩の雨を吸って、いまはただ布の形をした水だった。肩から背に冷えが通り、足の指の感覚はとうに無い。彼は門柱の脇に立ち、動かなかった。動けば見咎められ、見咎められれば取り次がれる。荷物は自分から取り次ぎを乞わない。


明日言うべき言葉を、彼は組み立てていた。


「すまなかった」。最初に立てた言葉はそれだった。立てて、すぐに崩した。謝罪は、言った者を軽くする。口にした瞬間、自分の背から何かが下りる。下りた分だけ楽になる。楽になってはならなかった。あの言葉は、言う側のための道具だ。彼女に渡すべきものではない。却下した。


「気づかなかった」。次に立てた。これも崩した。気づかなかったこと——それこそが罪の、最も正確な形だった。十年、彼女が何を背負っていたか、彼は一度も数えなかった。祝宴の席次も、近隣の弔問の順も、財布の底も、彼女が黙って繰り合わせていた。彼はそれを彼女の性質だと思っていた。湧いて出るものだと思っていた。気づかなかったことを弁解の言葉にするのは、罪をもう一度繰り返すことだ。却下した。


雨が門灯の輪の中を斜めに走った。


「やり直したい」。三つ目。これは立てる前から崩れていた。やり直す資格は、とうに返上した。臣籍に降りるとき、爵位も後ろ盾も資産も、紙の上で一枚ずつ剥がれていった。最後に残ったのは名だけだった。やり直すという言葉は、まだ何か持っている者の言葉だ。彼は何も持っていない。却下した。


組み立てては崩し、崩しては組み立てる。寒さは思考を鈍らせ、眠気は言葉を溶かした。立ったまま意識が落ちかけ、膝が折れかけて、彼は門柱に肩を当てて立て直した。冷たい鉄が頬に触れた。彼はまた言葉に戻った。これは引き算だった。彼女は十年、人の費目を一つずつ削って帳尻を合わせてきた。借り物の語彙でいえば、明日の彼の口から出てよい元金は、ごくわずかでなければならない。利息を乗せてはならない。弁明はすべて利息だった。


削って、削って、最後に残る一文だけを、夜明けまでに決める。


弁明をしない、と決めること。それが、この三晩の作業のすべてだった。


二日目の夜半、門の内側に何かが動いた。


灰色の縞の猫だった。痩せ気味の、しかし飢えてはいない体つきで、屋敷の内側を音もなく歩いてきて、門の格子の前で止まった。琥珀の目が、格子の隙間からセドリックを見た。値踏みではなかった。査定ですらなかった。ただ、雨の中に何かが立っている、という事実を確認し、それが自分に関わらないと結論した目だった。猫はセドリックを一瞥し、興味を失い、尾の先を一度だけ揺らして、屋敷の奥の灯のほうへ戻っていった。


セドリックはその獣が何者か知らなかった。


知らなかったが、見送りながら、一つのことだけは分かった。彼がいま雨の中で乞おうとしている場所——彼女の足元の、屋根のある一角。あの獣は、それをとうに勝ち得ている。乞う前から、先を越されている。門の外で言葉を削っている男よりも、あの灰色の縞のほうが、ずっと早く、ずっと静かに、内側に居場所を持っていた。彼はそれを当然のことと受け取った。獣のほうが正しい順番で並んでいた。それだけのことだった。


彼は懐に手を入れた。指は冷えて、ほとんど他人の指のようだった。


油紙に包んだ一枚の紙があった。旧い予定帳から、一行だけ写したものだ。黒革に金具の付いた、あの帳面。余白には十年ぶんの彼女の筆跡が残っていた。細く、急がず、決して乱れない字。彼が王宮を出るとき、持ち出したのはあの帳面一つだった。そしてそこから、たった一行だけを紙に写した。


——祝辞の前に弔意を。


近隣の老侯が亡くなった年の、祝宴の予定の脇に、彼女が小さく添えていた一行だった。祝いの席であっても、まず喪に服した家への弔意を先に置く。順番を違えてはならない。当時の彼はその一行を読み飛ばした。読み飛ばして、祝宴を滞りなく済ませたのは彼女の手配だった。彼はいま、それを写し取って懐に入れている。彼女の十年の労働の、たった一行の証として。


雨が紙に届いていないか、彼は時々確かめた。油紙を少しだけ開き、字が滲んでいないことを確認し、また包む。確かめるたびに、指がうまく動かなくなっていた。それでも字は無事だった。細く、急がず、乱れない字のままだった。


三日目の夜が、白み始めた。


雨は止まなかったが、空の底のほうが灰色に薄れていった。門灯の光が、夜明けに負けて弱くなった。坂の下から荷車の音が一つ、遠く聞こえて、消えた。


そのとき、門が、内側から開いた。


掛け金の外れる音。蝶番の軋み。それは外から叩いて開けさせた音ではなかった。内側の者が、何かを見つけて開けた音だった。荷物が、見つけられた。


雨の幕の向こう、門扉の内に、人影が立っていた。傘は差していなかった。緋のかかった薔薇色の髪が、暗がりでも色を失わずにそこにあった。灰青の目が、門の外の水浸しの男を、上から下まで一度で測った。挨拶も、驚きも、その目にはなかった。あるのは検分だけだった。三日門前に置かれていた荷物の、中身をいま検める目だった。


セドリックは門柱から肩を離した。三晩かけて、組み立てては崩し、削って削って、最後に残した一文があった。それは謝罪ではなかった。弁解でもなかった。やり直しを乞う言葉でもなかった。それらはすべて、利息として落とした。残ったのは、利息を乗せない、ただの元金だった。


彼は冷えて回らない膝を、石畳の上に折った。乞う者の座る場所は、相手の足元より低くなければならない。それだけは、誰に躾けられるまでもなく分かっていた。頭を垂れ、雨を背に受けて、彼は最後に残した言葉を、門越しに差し出した。


第一声は、名だった。


「ロゼリア様」


門の内側で、検分の目が、ほんのわずかに留まった。


セドリックは石畳に膝をついたまま、頭を上げなかった。ペン胼胝のある白い手は、荷役で擦り剥けていた。夜色の髪から雨が伝い、額から顎へ、顎から石畳へ落ちた。彼は膝を折ったきり、もう動かさなかった。


「あなたの犬にしてください」

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