第21話 代わりの居ない椅子
朝から、紅茶の味が薄い。
茶葉のせいではない。卓の向こうに積み上がった釣書の束のせいだ——犬が三日かけて王宮中から集めてきた、「私の代わり」の候補録。
私の代わりが紙束で務まるのなら、王宮はとうの昔に紙でできている。
窓辺では陛下が前脚を畳み、琥珀の目を細めて束を一瞥なさった。御意。あれは火種にもならない、という勅裁と翻訳しておく。
査定その三、「私の代わりを探しなさい」。儀礼、外交、財政、社交、派閥。一人で無理なら組み合わせでも構わない、期限は一月——そう申しつけてから、まだ十日も経っていない。
「五人、絞りました」
セドリック・ヴェルダンテ。元王子、現・査定中の犬。台詞が短いのは美点として帳簿に載せてある。短い台詞は審議が速く、紙とインクの節約にもなる。
「ずいぶんお早いこと。拝見しますわ」
一人目、儀礼院の老練な式部官。儀礼は満点、外交は白紙、財政に至っては数字を見ると目が泳ぐ。費目、骨董。飾る分には映えるが、動かすと壊れる。
二人目、財務省の俊英。数字は読めるが、人の顔色という帳簿が読めない。費目、算盤。弾けるが、自分の足では歩かない。
三人目、社交界の華と名高い伯爵夫人。人脈は広いが口も同じだけ広い。費目、生花。三日で枯れる上に、水代が法外。
「全員、単品ですわね」
「……組み合わせれば」
「算盤と生花と骨董を束ねて、誰が結び目になるの。結び目こそが、わたくしの椅子よ」
犬は黙った。弁明を並べないのは美点——載せない。
帳簿外。
四人目、五人目も似たり寄ったりだった。広間の燭台の数は言えても、その燭台を誰の寄進と紹介すべきかは言えない。王宮とはそういう場所だ。知識は書庫にあるが、急所は人の記憶にしかない。
「専門家は、揃っているのですわ」
私は釣書を揃えて卓に戻した。
「居ないのは、五つの専門を糸で結んで、一枚の織物として毎朝納品する者。あなたが探しているのは人材ではなく、機織り機よ」
そして犬は、最後の札を切った。
「もう一人。外に待たせています」
入ってきたのは、外務省の俊英と名高い才媛だった。マレーヌ・フォシェ。二十六、子爵家、語学五カ国、条約実務三年。釣書だけ見れば費目は即戦力——仕入れ値も相応に高そうだけれど。
礼の角度が正確だった。目線の置き方も、裾の捌きも。なるほど、磨いてある。誰に磨かれたのかまでは、釣書に書いていないけれど。
「ヴァルモンテ公爵令嬢にお目にかかれて光栄です」
声も良い。発音は宮廷式の正調。減点する箇所が見当たらないことが、かえって採点の手間を増やす。
「ロゼリア様のご職務は、引き継ぎ書さえ頂戴できれば」
「あら、頼もしい」
私は微笑んだ。目は笑わせない。
「では、一問だけ。来月の親善晩餐に、北方のイサーク大公が急遽列席なさるとしましょう。席次は、どう組み替えて?」
「序列に従い、大公殿下を主賓の右に」
「グランヴィル侯爵夫人が同席よ。夫人の亡き妹君は大公家に嫁ぎ、三年で離縁され、その冬に亡くなった。序列の通りに並べれば、夫人の席は大公の真向かい。そして夫人の背後には、東部派閥の票が十二。——さあ、夫人をどこへ座らせて?」
沈黙が落ちた。
彼女は序列表を諳んじられる。条約の条文も引ける。だが序列表に載らないもの——十年前の離縁、冬の訃報、十二の票——は、王宮のどの書庫にも綴じられていない。
「……調べて、参ります」
「晩餐は当日に動くのよ。調べる時間は、お出ししないわ」
才媛は一礼して退出した。背筋は最後まで正確だった。費目、教材。あの犬への授業料と思えば、安い買い物だ。
「……一問で」
「一問で済むように訊いたの。本気で沈めるつもりなら、無言でよろしくてよ」
足元で、陛下が灰色の尻尾を一度だけ床に打った。野良あがりの癖に、本日の採点は辛口でいらっしゃる。今や干し魚で丸々と肥えた腹で、辛口とは恐れ入る。
家令が音もなく茶を替えた。
「左様でございますね。——ちなみにお嬢様、フォシェ様は廊下でハンカチをお使いです」
事実だけを、最悪のタイミングで。この家令の給金には「報告の時機」という控除項目を新設すべきかもしれない。
犬が、釣書の束を見下ろしたまま言った。
「分かりました。あなたは、一つの仕事をしていたのではない」
顔を上げたその声は、いつもより半拍だけ低かった。
「王宮の隙間を、全部埋めていた」
——載せそうになった。危ないところだ。
帳簿外。
「期限はまだ三週間ありますわ。せいぜいお探しなさい。隙間を埋める石を、何個になろうとも」
犬は、深く頷いた。
査定その三は、続行である。




