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よくできました、殿下。そこまで反省なさったのであれば、特別に私の犬にして差し上げます。  作者: イレニス
第四章 査定その二・盗んだ骨

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第19話 社交界の帳簿は蝋板書き

人の評価ほど、書き換えの早い帳簿はない。


しかもご丁寧に、最初から蝋に書いてある。


鉄筆の跡を撫でて均し、書き直して、何事もなかったような顔で差し出してくる——今夜の帝都の夜会は、その実演会だった。


公聴の記録が両国の社交界を一巡りしたらしい。七件の政策原案がロゼリア・ヴァルモンテ名義に訂正された、という一行は、私が一年かけて積んだどの実績よりも速く走った。


「ヴァルモンテ嬢、いやはや、私は最初から見抜いておりましたよ」


ヴェルダンテ駐在の老伯爵が、最初から見抜いていた者の顔で言う。私の退出の日、見送りどころか視線ひとつ寄越さなかった方だ。挨拶の原価はゼロ、回収見込みは私の機嫌——割のいい投資のおつもりらしい。


「まあ、嬉しいこと。わたくし、ちっとも存じませんでしたわ」


存じないのは当然だ。あの日のあなたの帳簿に、私という費目はなかったのだから。


列は続く。婚約破棄の夜に扇の陰で笑っていた夫人は「ずっと心を痛めておりましたの」と目元を押さえた。乾いたままの目元を。私の名を「あの方」としか呼ばなかった子爵は、今夜は一音ごとに磨いた発音で「ロゼリア嬢」と呼ぶ。名前の呼び方ひとつにも相場があって、今夜の私は高値らしい。


「皆様、本当にご親切ですわ」


——記録が訂正された途端に、ですけれど。


言葉の後半は飲み込んで、台帳にだけ付けておく。皆、蝋を均したばかりの、のっぺりした顔で並び直している。私は一人ずつ書き留めた。勘定科目、社交辞令。単価、安い。備考、蝋板書きにつき信用評価は据え置き。返済を求める気はない。ただ、貸しの利率だけは私が決める。


そして、あの令嬢が来た。婚約破棄の場で、私の髪を「可愛げのない色」と陰口した方。


「ロゼリア様。その緋のお髪、本当にお見事ですこと。皆様おっしゃいますのよ、緋は女王の色だと」


世辞の出来は悪くない。仕入れたばかりの流行語を、さも自前のように並べる手際も含めて。私は扇を、一寸だけ開いた。


「あら。以前は可愛げがないと伺いましたけれど」


声は荒らげない。値札を読み上げただけだ。令嬢の笑顔が、固まったまま動かなくなった。蝋板の帳簿にも、均し残りはあるのだ。


「どなたがそんな……心ない方もいらっしゃるのですね」


「ええ。世の中には、いらっしゃいますのね」


私は扇を閉じ、会釈をして次へ進んだ。怒鳴る必要はどこにもない。利息は静かな声で取り立てるのが、いちばん高くつく。


「お見事」


低い声に振り向くと、オーレリアン大公が杯を手に立っていた。帝国の評価者は、固まった令嬢を一瞥もしない。


「ヴェルダンテはあなたを取り戻したがるでしょうな。あの国の崩れ方は、いまや一行で書ける。——手放してはならないものを手放した、と」


「短い文ほど、高くつくものですわね」


「ええ。そして訂正が利かない」


大公は杯を軽く掲げて去った。査定は終わった、ということらしい。


帰路、私は馬車を市場通りで停めさせ、干し魚を一包み買った。公聴の祝いだ。陛下に。理屈は訊かないでいただきたい。家計簿には必要経費と書く。


屋敷に戻ると、玄関の間に犬が立っていた。出迎えは犬の仕事だと言って聞かない、元王子のことだ。


「お帰りなさいませ。——首尾は、いかがでしたか」


「上々よ。あなたの骨は、無事に私の棚に並びましたわ」


公聴で彼が投げ、私が拾った七件の骨。あの男は弁明もせず、ただ記録を正しい名義に戻した。


「……良かった」


短い言葉だった。けれどその四文字には、十日ぶんの調べ物と、公聴の間のあの静けさが、利子ごと詰まっていた。彼の上着は夜気で冷えている——それが分かる距離に、私は立っていた。帳簿外。


「セドリック」


名を呼ぶと、犬は背筋を正した。


「悪くは、ありません」


彼は一礼し、懐から手帳を出して何かを書きつけた。中身は後で家令が報告してくるだろう。あの家令は四十年、主の言わないことを言う係なのだ。


果たして、夜着に替えた頃に家令が現れた。


「あの方は手帳に、本日の採点を記しておいででした。段の数を、正の字でお数えのようで」


「飼い主の採点を犬が複式簿記で管理するなんて、聞いたことがないわ」


「左様でございますね。——それと、ご報告がもう一件」


家令は珍しく、声を半音だけ高くした。


「陛下が今宵、あの方と同じ部屋に。距離にして、二歩でございます」


「二歩」


「二歩でございます」


勲章の授与式でも、もう少し控えめに言うだろう。あの灰色の縞の審査官は、琥珀の目で王子を値踏みしながら、二歩ぶんの距離で同じ部屋の空気を許可したらしい。先週までは扉一枚が最低条件だった。


「干し魚を。陛下の査定手当よ」


「必要経費として計上いたします」


私は寝台に入り、台帳を閉じる前に最後の一行を眺めた。社交界の蝋板書きが何度均されようと、こちらの帳簿はインクで付ける。骨、七件。採点、一段。猫、二歩。


犬の躾は案外進んでいるのかもしれなかった。

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