表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
よくできました、殿下。そこまで反省なさったのであれば、特別に私の犬にして差し上げます。  作者: イレニス
第四章 査定その二・盗んだ骨

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
16/26

第16話 二杯目を出す種類のお客様ではなかった

朝の応接間に、一枚の名刺が運ばれてきた。


グランヴィル侯爵。ヴェルダンテ王家の旧側近筆頭で、私を捨てた国の、捨てさせた側にいた男だ。帝都くんだりまで先触れ一枚で乗り込んでくる用件に、心当たりはひとつしかない。セドリックが昨日、貴族院へ出した公聴の請願——それを嗅ぎつけて、潰しに来たのだ。


名を見た瞬間、胸の奥で算盤の珠がひとつ、勝手に動いた。警戒とも怒りとも違う、もっと座りの悪い感触。私はまだ、それをどの費目に落とせばいいのか分からずにいる。


この十日、セドリックは書斎にこもって目録を作っていた。七件の政策——慈善基金、通商条約の草案、王宮費削減、復興税、ほか三件。原案の写しと御前会議の記録と書簡を一枚ずつ突き合わせ、自分のしたことは署名六回と読み上げ七回だけ、と書面にしていく作業だ。犬の仕事としては上等が過ぎる。餌代の費目を「犬」から「書記補」に付け替えるべきか、三日ほど真剣に検討した。


朝に覗いたときは、机の上が見事だった。左に原案の写し、中央に議事録、右に書簡の束。七件それぞれに紐で綴じた束がひとつずつ。どの政策のどの段落が、いつの会議で、誰の口から「殿下のご発案」にすり替わったか。日付と頁数まで添えてある。十年分の入出金を一行ずつ照合するような根気仕事を、あの男は文句ひとつ言わずに続けていた。


そして貴族院に公聴の請願を出した途端、これである。鼻が利くこと。請願の写しが受理印より先に旧側近の手へ渡ったのだとしたら、ヴェルダンテの文書管理は帳簿より穴が多い。


応接間で、侯爵は元主君に向かって長々と説いた。


「あの政策群は、王家に残された数少ない誇りにございます。あれが女の手柄だったなどと、公の場で仰せになるおつもりか。国の体面に関わりますぞ」


女、ときた。減価償却もできない「体面」とやらに、ずいぶんな維持費を計上なさるのね——口には出さず、扇の内で勘定だけ済ませる。当事者の席で算盤を鳴らすのは行儀が悪い。


セドリックは退かなかった。


「体面の下で、原案者の名は十年消されました。同じことだと分かりましたので、公表いたします」


「お分かりではない。あれが他人の案だったと知れれば、王家が十年誇ってきたものは何になります」


「最初から、誇る資格のないものになります。私が署名した六回と、読み上げた七回ごと」


侯爵の頬が動いた。説き伏せに来た相手から、勘定書を読み上げられるとは思っていなかったのだろう。


「殿下。お戻りになれる芽が、まだ残っておりますものを」


「今戻れる芽があるのなら、それは虚名の上に生えた芽です。腐った土に生えたものを、口に入れる気はありません」


敬語のまま、弁明はひとつもせず、声も荒げない。侯爵は言い回しを三度変え、三度とも同じ岩に当たり、最後には黙って立ち上がった。馬車の音が遠ざかる。手ぶらの帰路にしては、ずいぶん重そうな背中だった。


扉が閉まると、家令が音もなく茶器を下げた。


「お茶は一杯でお止めいたしました。二杯目をお出しする種類のお客様ではございませんでしたので」


「四十年分の査定ですわね」


「左様でございますね。茶葉と湯と、注ぐ者の手間。利の戻らぬお相手に二杯目を投じるのは、当家の家計方針に反します」


家令まで費目で物を言うようになった。私が口にできない評価を、この男は湯加減の話のように卓へ置く。便利な分業だこと。


セドリックが頭を下げた。


「お騒がせしました。あなたの応接間で」


「応接間は減りませんわ。茶葉一杯分の経費だけ、目録の末尾にでも付けておきなさい」


「承知しました」


冗談のつもりだったのに、彼は本当に書き留めそうな顔をした。


夜。書斎の机に、仕上がった目録が積まれていた。本人は湯を使いに下がっている。検めるのは私の仕事だ。枚数が欠けていて公聴で困るのは、原案者の側なのだから。これは点検であって、興味ではない。


七件目の備考欄に、一行だけ、私的な文字があった。


『私の名誉は、彼女の無名の上に建っていた。これは返済であって、寄付ではない』


返済。寄付ではなく。——貸借の科目を、いつの間に覚えたのか。寄付なら受け取る側が頭を下げる。返済なら、頭を下げるのは払う側だ。あの男は科目をひとつ選ぶことで、十年分の利息ごと自分の側に付け替えていた。


ついでに最初の頁と最後の頁を見比べてしまった。字が違う。最初の頁は王子の字だ。飾りが多く、署名のために整えられた、見せるための字。最後の頁は線が減って、読まれるための字になっていた。十日で、人の字はこうも——


言葉の使い方も、字も、変わってきた。


——枚数の確認よ。帳簿外。


「お嬢様、お茶の替わりをお持ちいたしますか」


「ええ。二杯目を出す種類の夜ですわ」


「左様でございますね」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ