第二話 将軍様、学校へ行く。
「……何だ、これは」
食堂に足を踏み入れたエリザベートは、思わず立ち止まった。
長大な食卓には、焼きたてのパン、卵料理、燻製肉、色とりどりの果物が並んでいる。銀の食器は鏡のように磨き上げられ、花瓶には季節の花が生けられていた。
そして壁際には、十人近い使用人が整列している。
「朝食でございます、お嬢様」
隣に立つマリアが頭を下げた。
「それは見れば分かる。なんだ、この人数は」
「給仕の者たちでございますが……」
「私が朝食を食べるだけで、これほどの人員が必要なのか?」
「侯爵家の格式を考えれば、当然かと」
「ふむ」
エリザベートは腕を組んだ。
一人の食事のために、これほどの労働力を拘束する。
いささか非効率ではないか。
もっとも、前世の自分が朝食を取る際には、専属料理人、給仕係、毒見役、警備要員まで控えていたので、人数だけなら今より多かった。
だが、それは国家最高指導者の安全を確保するために必要な措置である。
当然、自分のことは勘定に入っていない。
「まあよい」
椅子に腰を下ろす。
すぐに若い使用人が近づき、慣れた手つきでカップへ紅茶を注いだ。
芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
紅茶。
この世界にも存在するらしい。
「おい」
「は、はいっ!」
呼び止められた使用人が、びくりと肩を震わせた。
「名は?」
「リ、リナと申します」
「リナ。この茶葉はどこで生産されたものだ?」
「え……?」
リナの顔から血の気が引く。
周囲の使用人たちにも緊張が走った。
「産地を聞いている」
「も、申し訳ございません。わたくしには……」
「そうか。では後で調べておけ」
「申し訳ございません!」
リナが深々と頭を下げる。
「なぜ謝る?」
「え?」
「知らないこと自体は問題ではない。確認して次から答えられるようにすればよい」
リナは顔を上げた。
周囲の使用人たちまで、何とも言えない表情でこちらを見ている。
昨日までのエリザベートであれば、機嫌を損ねただけで叱責が飛んできた。
しかし、そんな事情を知るはずのないエリザベートは眉をひそめる。
「……どうした?」
「い、いえ!」
リナの背筋が伸びる。
「では、必ず調べておきます!」
「うむ」
エリザベートは満足して頷いた。
規律もあり、指示に対する反応も早い。
侯爵家の使用人は、なかなか優秀らしい。
朝食を終え、玄関へ向かう。
「お嬢様、本当にそのお召し物で登校されるのですか?」
マリアが何度目か分からない質問をする。
エリザベートが着ているのは、黒を基調とした上着に装飾の少ないスカート。胸元に校章があるだけの、簡素な制服だった。
「動きやすい。これで十分だ」
「ですが、侯爵家のご令嬢が一般生徒用の制服をお召しになるなど……」
「同じ学園の生徒なのだろう?」
「それは、そうでございますが」
「ならば問題あるまい」
機能は同じ。
ならば余計な装飾に費用をかける理由がない。
マリアは何か言いたそうだったが、結局、口を閉じた。
屋敷を出ると、二頭立ての馬車が待っている。
「……馬か」
「はい?」
「いや、なんでもない」
馬車へ乗り込み、正面にマリアが座る。
御者が手綱を振ると、車輪が音を立てて回り始めた。
乗り心地は、悪い。
石畳の凹凸を拾うたび、座席から振動が伝わってくる。
かつて乗っていた防弾仕様の専用車とは比較にもならない。
エリザベートは窓の外へ視線を向けた。
石造りの街並み。
行き交う馬車。
前世の基準なら、近代以前としか思えない光景である。
しかし。
「あれは何だ?」
「どれでございましょう?」
「街灯だ。火がないのに、なぜ光っている」
街道に沿って立つ柱。その先端では、青白い光が昼間でもほのかに輝いている。
「ああ、魔石灯でございますか?」
「魔石?」
「はい。魔石から魔力を取り出して灯りをともすものでございます」
エリザベートの目が細くなった。
「燃料は不要なのか?」
「燃料……ですか?」
「どの程度の期間、連続して発光する」
「さ、さあ……」
「設置費用は?」
「存じません」
「魔石は国内で採掘できるのか?」
「お嬢様」
マリアがおそるおそる声を挟む。
「何だ」
「……やはり、お医者様をお呼びいたしましょう」
「必要ない」
即答した。
どうやら質問の仕方にも注意する必要がありそうだ。
しかし、一つ分かった。
この世界は、単純に前世より文明が遅れているわけではない。
交通手段は馬車。
にもかかわらず、魔力による照明設備が市街地に普及している。
つまり、技術体系そのものが異なるのだ。
魔法。
昨日聞いたその言葉を、エリザベートは頭の中でもう一度繰り返した。
王立魔法学園は王都の中心部に位置していた。
馬車を降りたエリザベートは、その建物を見上げる。
巨大な石造りの門。その向こうには白亜の校舎がそびえ、広大な庭園といくつもの塔が見える。
「ほう」
なかなか立派なものだ。
教育機関にこれほどの資金を投入しているところを見るに、この国の支配者も人材育成の重要性は理解しているらしい。
少しだけ、この国への評価を改めた。
マリアに見送られながら門をくぐった、その瞬間だった。
周囲の生徒たちが一斉に道を開けた。
「ご、ごきげんよう、エリザベート様」
一人の少女が緊張した面持ちで頭を下げる。
エリザベートは軽く手を上げた。
「うむ」
さらに進む。
「おはようございます、ローゼンベルク様」
「うむ。今日も励むように」
笑みを浮かべ、手を振る。
かつて軍事パレードで沿道の人民へ応えていたのと、ほぼ同じ仕草だった。
エリザベートが通り過ぎた後。
生徒たちが、ざわついた。
「……今、私たちに手を振りました?」
「ええ」
「しかも、笑っていらっしゃったわ」
「エリザベート様が……?」
彼女たちが驚いている理由など知る由もないエリザベートは、むしろ感心していた。
なかなか礼儀正しい若者たちではないか。
将来の国家を担う人材として悪くない。
すると、背後から声をかけられた。
「エリザベート様!」
振り返る。
栗色の髪を緩く波打たせた少女が、目を丸くして立っていた。
「その制服……どうなさったんですの?」
「制服?」
「一般生徒用ではありませんか。貴族用の制服はどうなされたのです?」
「あれならやめた」
「や、やめた?」
「無駄な装飾が多すぎる。非合理的だ」
少女の口がぽかんと開く。
「ですが、侯爵家のご令嬢が平民と同じ服装など……」
「身分と衣服の装飾に、どのような関係がある?」
「それは……」
少女が言葉に詰まった。
エリザベートにも、服装が社会的地位を示す意味は理解できる。
前世でも軍人は階級章を付け、功労者には勲章を授けた。
だが、日常の衣服にまで無意味な装飾を施す必要性は感じられない。
「ところで君」
「は、はい」
「教室はどこだ?」
少女は再び固まった。
「……ご自分の教室ですわよね?」
「そうだ」
「…………」
「案内してくれ」
「こ、こちらです」
少女は困惑しながら歩き出した。
エリザベートはその背中を眺め、満足げに頷いた。
よろしい。指示に対して即座に行動できる。
この国にも、使える人材はいるようだ。
最初の授業は、基礎魔法学だった。
三十人ほどの生徒が座る教室で、エリザベートは後方の窓際に陣取った。
机には分厚い教科書と一本の杖。
やがて白髪交じりの教師が教壇に立つ。
「それでは授業を始めます。本日は火属性魔法の基礎を復習しましょう」
教師は杖を手に取り、教室の端に置かれた標的へ向ける。
「よく見ておくように」
杖の先端へ赤い光が集まった。
それは渦を巻き、やがて小さな球となる。
次の瞬間。
炎が膨れ上がった。
火球が空気を切り裂いて飛び、標的へ命中する。
破裂音。
熱風が教室を駆け抜けた。
生徒たちから拍手が起こる。
ただ一人、エリザベートだけは拍手をしていなかった。
呆気に取られたのではない。
計算していた。
炎の生成。
投射。
射程。
命中精度。
威力。
そして、必要となる資源。
原理は分からない。
だが、それが再現可能な技術であるなら。
エリザベートの目つきが変わった。
「質問がある」
教室が静まり返る。
教師が振り返った。
「ローゼンベルク嬢。何でしょう」
「今の魔法の有効射程は?」
「……はい?」
「最大でどれほど遠くまで届く?」
これまで積極的に授業へ参加することなどなかったエリザベートから質問を受け、教師にも明らかな戸惑いが浮かんだ。
「術者の力量にもよりますが、初級の火球魔法なら数十メートル程度です」
「距離によって威力は減衰するのか?」
「もちろんです。距離に応じて魔力の損耗が……」
「連続使用は?」
「え?」
「何秒間隔で発射できる。そして一人の術者が何発まで撃てる?」
「それは術者の魔力量によりますが……」
「魔力量は訓練で増加するのか」
「ある程度は」
「一人前の術者の育成には何年かかる」
「ローゼンベルク嬢」
ついに教師が遮った。
「熱心なのは結構ですが、そう矢継ぎ早に質問されても困ります」
エリザベートは不思議そうに眉を上げた。
「有効射程、威力、発射間隔、継戦能力、兵員の育成期間。いずれも軍事的有効性を判断するうえで必要な基礎情報だと思うが」
教室が、完全に静まり返った。
「……これは軍事学の授業ではありません」
「承知している。だから魔法について質問している」
教師は言葉を失った。
周囲からひそひそ声が聞こえてくる。
「ローゼンベルク様、どうなさったのかしら……」
「三日間も寝込んでいたそうよ」
「やっぱり殿下との婚約破棄が……」
聞こえていないわけではない。
だが、エリザベートにとってはどうでもよかった。
魔法。
実に興味深い。
前世の科学技術とは、根本から異なる。
だが一定の法則に従ってエネルギーを発生させ、それを制御しているのであれば、研究と応用は可能なはずだ。
照明に使える。
産業にも利用できるかもしれない。
そして当然、軍事にも。
「ローゼンベルク嬢」
教師が疲れたように息を吐いた。
「そこまで興味がおありなら、ご自分で実演なさってはいかがです?」
「私が?」
「火属性魔法は既に習得されているでしょう。実際に使えば、先ほどの質問のいくつかはご自身で確認できます」
そうなのか。
この身体は魔法を使えるらしい。
ヒョンソク自身には、その記憶がない。
だが不思議なことに、教師からそう言われると、できるという感覚だけはあった。
そういえば言葉もそうだ。
この世界へ来てから、自分は知らないはずの言語を理解し、文字まで読んでいる。
エリザベート本人の記憶はない。
しかし、身体に刻まれた技能の一部は残っている。
そう考えるのが自然だろう。
「よかろう」
杖を握る。
軽い。
こんな細い棒一本で、先ほどの現象を起こせるらしい。
エリザベートは席を立った。
三十人の視線が一斉に集まる。
だが、何の問題もない。
かつて幾万の兵士を前に演説し、大陸間弾道ミサイルの発射を指揮してきた男である。
この程度の視線に臆する理由など、どこにもなかった。
エリザベートは教壇へ立つ。
標的を見据え、杖を構えた。




