昇進ボール(1)
「わぁ~、めっちゃ便利だな~、聖女の加護~……」
私は椅子にだらしなく寄りかかりながら、使用人のリーナが淹れてくれたティーカップの中の紅茶を宙に浮かせて、ふにふにと色々な形に変えて遊んでいた。
飴色の液体は時には柔らかくアゼリアのお気に入りのテディベアを、時には鋭く騎士の甲冑を模す。
……食べるもので遊ぶなんて公爵令嬢として終わってる。
でもいいんだ、どうせ誰も見てないし。この力の練習にもなるし。
昨日、聖女の加護と呼ばれる力が使えるのだと知って以降、私は自分に何がどこまでできるのか、色々なことを試してみていた。
魔術とは、まず発動させたい魔術のための魔術印を描き、次にその魔術を発動させるための詠唱をしながら、最後に魔術印に流した自分の魔力を起爆剤にして発動させるという手順を踏むことが基本らしい。
ただ、個人の魔術師としてのセンスにもよるみたいだけど、簡単な魔術であれば印描写も詠唱も鍛錬によりある程度短縮・省略することが可能なようだ。
(……ちなみにジェトリウスは剣を振りながら魔術を発動することができるので魔術師としての素質も相当あるようだ。さすが……)
アゼリアは当然ジェトリウスのように戦いの中に身を置いて魔術を叩き上げた経験なんてないわけだけど、この聖女の加護というチートスキルは鍛錬の有無にかかわらずほとんどの魔術の発動に必要な全ての手順をまるまる省略できることがわかった。
テーブルの上のペンを手に取りたいな、と思った瞬間にはたとえそれが物理的に手の届かない場所にあったとしても簡単に手にできるという、まるで魔術を自分の手足のように扱うことができるのだ。
便利すぎる。
しかも自分の魔力消費がないということは、おそらく発動する魔術の規模にも制限がない。
これはさすがにエルグランド王国内最強の魔術師である"賢者"ですら敵わないんじゃないだろうか。
いや、私は穏便に生きたいから挑もうとはまったく思わないけど。
そんなわけで、規格外の聖女の加護を使いこなす私を見た魔術の先生は、穏やかに微笑んでつぅっと涙を流すと「私がアゼリア様に教えられることはもう何もありません……グッドラック」と静かに呟き、午前中の魔術の授業を放り出してジェトリウスに辞表を提出しに行ってしまった。
聖女の加護は彼女の魔術教師としての矜持を傷つけてしまったらしい。
楽天的で明るく、いつでもポジティブな魔術の先生のことをアゼリアも結構気に入っていたようで、魔術以外にも物の考え方や他人の言葉の捉え方など、学びは多かったみたいなんだけどなぁ。
この力が意図せず一人の信頼していた人間との関係を壊してしまったことに、私自身少し落ち込んでいた。
今後も同じようなことが起きる可能性がある。
それに魔術を教えてくれる存在がいなければ、いくら才能があったところで100%役立てることは難しい。
なにしろ誕生パーティーの襲撃以降、アゼリアは学院を休学しているので、先生がいなくなってしまうと魔術訓練をする相手がいないのだ。
いくら魔術印の描写と詠唱を省略できるといっても、私の能力に合わせた練習と調整は必要だ。
どんなに上手に紅茶を捏ね回せたところで、これだけではまた突然の襲撃にあったら身を守ることはできないんだから。
無心でグニグニと形が変わる紅茶を眺めていたら、部屋のドアが静かにノックされた。
「…………」
一瞬考えた末、遊んでいた紅茶をティーカップに戻し、私自身もきちんと椅子へ座り直してから返事をする。
「どうぞ」
「失礼します」
部屋を訪れてきたのはクロヴィスだった。
しかしその背後には意外にも……アゼリアの母、クラリエの姿が。
「お、お母様……!」
私が慌てて立ち上がると、クラリエはゆるやかに目を細め、優雅に微笑んだ。
何があっても「あらあら、それは困りましたね」と少しも困ってなさそうな声でニコニコしながら言う、包容力と天然と純真を形にしたような人で、無表情で苛烈なジェトリウスとはまるで対照的な存在だった。
「アゼリア。午前中の魔術の授業がなくなってしまったと聞きました」
「……はい、なくなってしまいました。今日に限らず、この先もずっと」
見るからにしょんぼりしているであろうアゼリアに(※私にはその自覚がある)、クラリエは小さく頷く。
「あなたさえよければ少し外の空気を吸いにいきませんか?」
普段エブリスタで書いている同名小説をこちらでも順次アップしています。
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