聖女(4)
「……クロ、ごめんなさい。こんなところにまで付き合わせてしまって」
「どうかお気になさらず。ここは花の香りが心地いいので俺も好きでよく来ますよ」
目の前で父親が自ら腕をザックリ切って血が吹き出した光景は思いのほかアゼリア本体にはショックだったようで、腰が抜けて立てなくなっていた私はクロヴィスに抱えられてフェリオール邸の庭園の片隅のベンチにやってきていた。
今回もそうだけど、私の意識とアゼリアの体がまだ馴染んでいないことを度々感じる。
同時に、私が実際経験したわけではないアゼリアの記憶に、私の喜怒哀楽が引っ張られることもある。
言うなればものすごくリアルな没入型RPGの主人公に、極端に感情移入してるみたいな。不思議な感覚だ。
自分の鍛錬や他の仕事があるなら私を置いて戻っていいと言ったのに、クロヴィスは「今日の俺の時間はお嬢様のためにあるので、他に優先しなければならない仕事はありません」と微笑んで言ってくれた。
……私は確信した。
間違いない、この青年は将来めちゃくちゃモテるようになる。(もしかして今もすでに……?)
美しい噴水で静かに水が跳ねる音がする。
風が草花を優しく撫でて、遠くでは鳥がお互いを呼び合っていた。
ついうとうとしそうになるほど、のどかで静かな春のひとときだ。
「……そういえば、先ほど聞こえてしまったんですが」
「うん?」
穏やかな時間の中で控えめに声をかけてきたのはクロヴィスだった。
「騎士団の訓練場を後にしたジェトリウス様が、お医者様にお説教をされていました。ジェトリウス様には立場があるので、お医者も団員の前ではお伝えを控えていたんだと思います」
あのジェトリウスが?
お医者さんからお説教を?
興味がありすぎる。
私はベンチの脇に立つクロヴィスを見上げた。
「なんて言われてたの?」
「……『娘の前で父親が自らの腕を切るとは何事ですか、少しはアゼリア様のお気持ちもお考えください』と」
……あのお医者さん、結構マトモな感性を持ってたんだなぁ。
大切にしよう。
「それを言われて、お父様はなんて?」
「『考えた上でそうした、他の人間は痛みに不必要な声を上げてアゼリアを怖がらせてしまう可能性があったし、父親が目の前で他の人間を傷つけたという事実のほうが、のちに彼女を傷つけるだろう』と」
「わぁ…………」
あの時のジェトリウスには……しなかっただけで、自分の腕の代わりに他人の腕を切る選択肢があったのか。
なんて男だ、数々の死闘を潜り抜けてきた百戦錬磨の脳筋はやっぱり普通じゃない。
そもそもあんなに激しく血が出るほど深々と腕を切る必要があったのかがまず疑問だ。
簡単な傷だとフェリオール家の血ではすぐに治ってしまうからだろうか。
あの場であんなことをしなければならない理由もわからなかった。
ジェトリウス自身が、どうしても私の治癒魔術……聖女の加護を、その場で、その目で見て確認したかったんだろうか。
「……ヘルムート団長はジェトリウス様のそういった常軌を逸した行動を揶揄して、『サイコパス野郎』と呼ぶことがあります。その行動やご判断がフェリオール家に再びの繁栄をもたらしたんですが……俺もさっきのはさすがに少しだけ団長に同意しそうになりました。瞬時にあの判断を下したことも、あれだけの傷に対して表情ひとつ変えないことも」
クロヴィスは最後の自分の言葉に尊敬と侮蔑の両方の意味が乗っていることを自覚しているようで、渋い顔で目を伏せた。
「……わたくしも確かにさっきは驚きました。両手にはまだお父様の腕から溢れる血の感触が残っています。……が、同時にあれだけ大きな傷でも今のわたくしなら治すことができるのだという確信も持てました。焦ることも、怖がることもない……わたくしのこの力はお父様を死なせずに、救うことができたのです」
「……お嬢様…………」
あの場にはお医者さんもいて未使用の救急キットもあった。
しかもあの落ち着いた様子はおそらく、いざというときはジェトリウス自身も治癒魔術が使えるんだろう。
いくら私が聖女の加護を使うだろうと信じてくれていたのだとしても、冷静で計算高い彼が自身の失血死の可能性をわずかでも残すはずがない。
だからこそ、あのお医者さんは危険を冒したジェトリウスの命のほうではなくて、私の心のほうを心配してくれた……。
「それにしても、あなたは耳がいいのですね。訓練場の外の会話まで聞こえるなんて」
「聴覚に限らず、割と五感の鋭さには恵まれているほうですね。人より優れた五感も、簡単な魔術なら使える最低限の魔力も、もちろん培って得た剣術も……今はあなたを守るために役立つ自分の全てに感謝してます」
私を見下ろすクロヴィスの瞳の光は揺るぎない。
この若さでフェリオール家の令嬢の護衛騎士を任されるというのは、クロヴィスにとっては負担ではないんだろうか。
自分のあらゆる自由を犠牲にし、主人を守るために厳しい訓練に身を置いて日々己を鍛える。
……なんだか申し訳なくなってきた。
というか申し訳ないと思うことが申し訳ないから、もっとたくさん感謝しよう。
前世の私が周りの大切な人たちへ、普段できていなかったことの一つだ。
「…………ありがとう、クロヴィス。わたくしも、いつもあなたに感謝しています」
クロヴィスは少しだけ驚いてから、私から目を逸らすと静かに伏せた。
「……あなたからのその言葉だけで、俺の今までの全てが救われます」
そんな大袈裟な……。
でも喜んでくれるなら、これからもたくさん感謝を伝えよう。
護衛の間は気を抜けないかもしれないけど、私と一緒にいる時間が彼にとって少しでも楽しいものになってくれるよう、私も心がけよう。
普段エブリスタで書いている同名小説をこちらでも順次アップしています。
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