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聖女(3)

挿絵(By みてみん)

他の団員たちと同じように立ち上がって敬礼をしたヘルムートの前すら通り過ぎて、ジェトリウスは真っ直ぐに私の前にやってきて膝をついた。



「アゼリア、怪我をしたのか」



怒るでもなく、焦るでもなく、現状の確認を淡々と言葉にする。

状況を見れば一目瞭然で、隠せるはずもない。

私の頭には傷口はなくても、顔にも白いシャツにも地面にも、普通ではない量の真っ赤な血が残っている。



「は、はい」


「傷はどこだ」


「頭ですが、治しました。その……治癒魔術で」


「……!」



鉄仮面のはずの灰銀の瞳が少しだけ見開かれる。

ジェトリウスが真偽を問うためにクロヴィスを見上げると、彼はお嬢様のおっしゃる通りです、と緊張した面持ちで小さく頷いた。



「治癒魔術が使えたのか?」


「そのようです……ただ、理論は教わっていましたが、使ったのは今日が初めてです」


「………………」



ジェトリウスは一度立ち上がるとヘルムートを振り返った。



「ナイフを」


「ん? ほい」



ヘルムートは腰に手を回すと小振りのナイフを取り出し、くるりと回して柄をジェトリウスへと差し出した。

刃物の扱いに慣れている動きだ。


ジェトリウスはナイフを手にして再び私の前に膝をつくと、おもむろに自分の左袖を捲り上げ、腕をナイフで切りつけた。

いつも快活なヘルムートを含むその場の全員が声にならない悲鳴を上げる。

むしろ大きな声を出さなかったあたり、さすが王国一の騎士団というべきなのかもしれない。


ジェトリウスの傷口から吹き出した血液を顔面で浴びるというショッキングな光景を目の前にした私は、突然のことにまた指一本動かせずに硬直していた。



「アゼリア、私の傷を治してみせろ」


「!?」


「ジ、ジェトリウス様!? お、おおお気を確かに! い、医療キットをこちらへ!」



初老の医者が叫び、先ほど使われずに終わったかと思っていた医療キットが今度こそ出番かと団員たちに放り投げられ、文字通り飛んでくる。

屈強な団員によって大急ぎで雑に投げられたそれは初老の医者には捕えるのが難しく、彼は小さく呻めき声を上げ、横転しながらもなんとかキャッチした。



「どうした、アゼリア? この出血量だとそう経たずに私は死ぬぞ」


「……!」



おびただしい出血をする左腕を私の眼前に突きつけながら、それでもジェトリウスは鉄仮面を外さない。

でも、でも、治癒魔術を使うと私の寿命が、でも、って、今はそんなこと言ってる場合じゃなくない!?


私はジェトリウスの筋肉質な腕に震える両手を添えると目を閉じ、先生に教わった通りの治癒魔術の印を瞼の裏に描いて、必死にそれをなぞる。

乱れる呼吸をなんとか押さえ込んで深く息を吸って、吐いた。

すぐに眩い光が辺りを優しく包み込み、ジェトリウスの傷口を瞬く間に治していく。



「…………!? ……!?」


「…………ふむ」



唖然とする医者に抱えられた医療キットは結局また出番を失ったのだった。

ジェトリウスは傷跡ひとつなくなった自分の左腕をぐるりと見回し、指先一本一本に至る動きまで細かく確認している。



「これでわかっただろう。今のアゼリアの力は魔術とは根本から異なる」



ジェトリウスが初老の医者に向かって言った言葉に首を傾げたのは私だけじゃなかった。

まるで辺りをきょとんという音が包んだかのようだ。



「お、お言葉ですが、ジェトリウス様……それは一体どういった理由でのご判断か、お聞きしても……?」



わ、私もそれを聞きたかったの、先生!

この微妙な空気の中、勇気を出してちゃんと大事なことを聞いてくれてありがとう……!


ジェトリウスは騎士団の団員たちをぐるりと見回すと、最後にヘルムートを見てから呆れたように露骨にため息をついた。

ヘルムートが笑いながらも「お? やんのかコラその喧嘩買うぞ!」と声を上げる。



「クロヴィス、お前には見えていたか?」



私の近くに控えていたクロヴィスはジェトリウスに敬礼をした。



「えっ……と、少し、ですが」


「説明してみろ」


「はい。ええと、団長にもわかるように簡単に説明すると」


「ははっ! クロ、お前もずいぶん偉くなったなぁ!」


「構うな、続けろ」



対照的だけどやっぱりジェトリウスとヘルムートは仲がいいんだなぁ。

クロヴィスは頷いて続ける。



「本来の治癒魔術は術者の体内の魔力を相手に分け与えるもののはずですが、今のアゼリアお嬢様は……その、ご自身の魔力を消費していませんでした」


「んん? じゃあ魔力源はどこだったんだ?」


「……大気中から集めていたように、俺には見えました」



え?

そうなの?

私にもその自覚はなかった。今までアゼリアが使っていた他の魔術と同じ使い方をしたはずだ。



ジェトリウスはクロヴィスの言葉に頷いてから私を見つめる。



「人間の体内だけではなく、大気中、水の中、土の中……私たちを取り巻く自然の中にも魔力源となるマナは存在している。が、魔術の世界では己の魔力を一切消費せずに行使する力のことを、理論上"魔術"とは呼ばない。それは魔術発動の根本的な原理に反することだからだ。だからそんなことができるとすればそれはもはや魔術ではなく、この世界の神に愛されし奇跡の力……」



ジェトリウスが私の頭にぽん、と優しく手のひらを乗せると、私が負った怪我とジェトリウスから浴びた返り血が髪や顔、服から、すうっと消えてなくなった。



「…………"聖女の加護"と呼ばざるを得ない」



ヘルムートすら目を見開いて息を飲んでいる。

聖女の、加護…………?

アゼリアの魔術が……?

いや、魔術じゃないのか……。

じゃあその加護を使えるアゼリアは、つまり"聖女"ってこと……?


アゼリアの記憶によると、この世界における聖女とは伝説の中だけの存在だ。

神と大地に愛され、特別に与えられた奇跡のような力で災厄から世界を救済すると同時に、彼女の力の出現は世界が混沌に呑まれかけていることを意味するため、その存在を不吉の象徴だという人たちもいる。


…………ハッ!?

まさか死後の真っ白な世界であの女神みたいな女性が私にくれた私の役に立つ力(チートスキル)って、この聖女の加護のこと……では……!?

たくさん使ってね、とか言ってたし……!



「……今までの検査ではアゼリア様には治癒魔術の魔力適性がありませんでした。可能性としては……先日の事件後に生死を彷徨(さまよ)っておられた際、防衛本能により今まで眠っていた聖女としての力が呼び覚まされたのかもしれません」



お医者さんの考察は大真面目に出した答えのようだ。

私にもよくわかってないから、そういうことにしておいたほうがよさそう……!


とはいえ聖女への見方はこの世界では賛否両論あるらしい。

それはそう、だって強大すぎる力は救済と破滅のどちらも招きかねないし、そもそもよくわからない力を怖がる生き物だもんね、人間って。


フェリオール家は魔術家系だから、アゼリアを取り巻く環境はある程度聖女に対しても肯定派が多いようだけど、いまだに一定数いる魔術に排他的な武闘派貴族たちに知れたらどうなるか。

……世界に危険を及ぼすからとか言って殺されてしまうかもしれない。

無理無理無理無理!



「お父様」


「なんだ」


「……わたくしは殿下の婚約者としてではなく、治癒魔術をつかえる魔術師として、王宮に招集されることになるのですか? あるいは……聖女の加護が使えてしまったら、伝説の聖女のように災厄に一人で立ち向かわなければならないのですか?」



王宮の兵士のために来る日も来る日も無限に治癒魔法をかける王家の社畜……エルグランド王家からしたら何のリスクもなくホイホイ治癒魔術が使えるなんて、喉から手が出るほど欲しい存在だろう。


怪我をした人を助けてあげたい気持ちはある。

誰だって痛いのは嫌だし、綺麗さっぱり傷が、しかもすぐに治るなんて幸せなことだ。

けど、そのためだけに王宮に閉じ込められるのは……たとえ安全に長生きできるとしても、それはとても苦しい。


同時に、伝説の聖女と同じように災厄と戦わなければならない可能性もある。

今のところこの世界にはそういった災厄の前兆はないみたいだけど……。



「安心していい。そのどちらにもならない」


「…………えっ」



ジェトリウスは立ち上がると騎士団の団員たちへと向き直る。

その後ろ姿はあまりにも頼もしく、マントの裾が舞うところまで完璧だった。



「フェリオール騎士団全団員に告ぐ。アゼリアに発現した稀有で特別な力については私から陛下へ上申する。各団員においては、只今より王室から詳細が公表されるまで、アゼリアの力に関する外部への他言、その一切を禁ずる」



それまでざわついていた団員たちは敬礼と共に通達への確固たる誓いをジェトリウスへ示した。

ジェトリウスが医者と共に立ち去ると、ヘルムートの大笑いが訓練場に響き渡る。



「あっはっは、言っただろうお嬢様! 俺らの公爵様は娘たちがかわいくて仕方がねぇんだ。あいつはお嬢様のためなら、たとえそれが王国の規則だろうと言い伝えられている伝説の結末だろうと、平然と書き換えさせるぞ!」

普段エブリスタで書いている同名小説をこちらでも順次アップしています。

★毎日22時に続話追加

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