聖女(2)
アゼリアの記憶によると、没落貴族だったフェリオール家の再興を若くして成し遂げた現当主のジェトリウスは、本来公爵家の当主はまずしないような戦争の最前線で剣を振るうことを自らしていた人物らしい。
その功績を讃えられ、同時に個人の圧倒的武力を恐れられ、莫大な富と領地、そして"剣聖"の称号を与えられた。
当代の"剣聖"として他ならぬ自らの武力で家族を守ってきたジェトリウスは、自分を、家族を守るために強くなりたいと申し出た私に反対しなかった。
気持ちに共感できた部分があったんだろう。
……娘たちを大切にしている名家の若いお貴族様の反応にしては少し予想外だったな。
あの日ベッドに腰掛けて私の瞳を真剣に見つめていたジェトリウスは、諭すような口調で言葉を紡いだ。
「アゼリア……強くなるためには、怪我をすることがある」
「はい」
「指先を紙で切るのとは比べものにならないような、眠れないほどの痛みに耐えなければならない」
「覚悟しています」
突然の死別の苦しみに比べたら、そんなもん!
「…………そうか」
私の瞳の中に確かな覚悟を見たのか、ジェトリウスは一度目を伏せてから再度私の頭を優しく撫でた。
何度も私たちを守ってきた、とても大きくて固い手だ。
私が覚悟していたような「令嬢が自ら強くなりたいなどみっともない!」とか、「護衛をさらに増やすからお前は何もしなくていい」とか、頭の悪い古いお貴族様みたいな言葉を、ジェトリウスは何ひとつ言わなかった。
「……いいだろう。魔術の戦闘訓練については指導者を探しておく。剣術の実技訓練については騎士団に手配しよう。知っているだろうが、我がフェリオール騎士団はエルグランド王国最強の兵士たちの集まりだ。生半可な覚悟では訓練は10分ともたない」
「ありがとうございます、お父様!」
◇
ふふ……ジェトリウスは私の覚悟を試すためにあんなことを言ったんだと思ってたけど、その言葉はまったく微塵たりとも冗談でも嘘でもなんでもなかった。
「お、お嬢様!」
「大丈夫です。なにも問題ありませんよ、クロヴィス」
「何言ってるんですか、大ありです! お体が回復したばかりだというのに、頭からこんなに血が……!」
「医療班! 救急キットを!」
「医者も呼べ! 早く!」
「うう……ジェトリウス様に殺される……ッ!」
「だからわたくしならば問題ありません。……むしろ傷口に響くので皆さんお静かに」
とりあえずと新人騎士に手合わせをお願いしたら、相手が振りかぶった剣を受けた瞬間訓練用の剣が折れてしまい、飛んだ刃先が私のこめかみを裂いていった。
ドクドクとこめかみ辺りで心臓の音がするし何より痛い。
ああよかった、痛いってことはまだまだ生きてるし私は元気だ。
急な出血で軽い貧血になったのか、思わず地面に膝をついたけどそれだけで、体は動く。
アゼリアの強靭な肉体と、フェリオール家の強力な治癒力を持った血筋に本当に感謝しないと。
激しく脈打つこめかみにそっと手を当てて目を閉じ、魔術の先生に教わった治癒魔術の印を思い描いてから深く呼吸をする。
アゼリアも使ったことはないみたいだから、無事成功するといいんだけど……。
眩い光に包まれたあと、私の頭は傷ひとつなく元通りになった。
数回手を握ったり開いたりして体の動きを確認する。瞬きも繰り返すが……視界も問題はない。
「ほら、だから大丈夫だと言っ…………」
ビクッ!
安心させるために努めて笑って見せた先のクロヴィスは、私の顔を見つめたまま綺麗な顔を驚きの一色に染めて言葉を失っていた。
えっ……?
な、なに……?
私を取り囲む騎士団の団員たちも概ねクロヴィスと同じ表情をしているか、口元を押さえて真っ青になっている者もいる。
え……私もしかして治癒魔術の使い方を間違えた……?
アゼリアの記憶通りに再現したはずだけど、まさか治したつもりが失敗して別人の顔になっちゃってるとか、そういう……?
気まずい沈黙につられて、私まで背中がヒヤリとする。
「お、お嬢様、今の治癒魔術は一体…………」
「え?」
やっとのことで沈黙を破ってくれたのは一番近くにいたクロヴィスだった。
「こ、これは、ただの治癒魔術……」
「エルグランド王宮魔術師レベルの治癒魔術を、詠唱もなしに片手……いや、ひと呼吸で……!?」
「こ、これって国家機密じゃないか……?」
「俺たちが知ったらまずかったんじゃ……」
どういうことだろう……この世界では治癒魔術を使うのはまずいことだったのかな……?
けど、そんな情報はアゼリアの記憶にもない。
「団長が医者を連れて来たぞ!」
ざわつき始めていた騎士団の団員たちが綺麗に道を開けると、騎士団団長のヘルムートが初老の医者を担いでやってきたところだった。
「ほらよ先生、アゼリアお嬢様だ。でもなんか元気そうだな!」
明るくいつでも陽気なヘルムートは医者を私の前に下ろすと、腕を組んでニコニコしながら私たちを見下ろしていた。
「ア、アゼリア様、お怪我はどちらに……?」
なぜかヘルムートよりも息切れをしている医者は、血に濡れた私の額に傷口がなさそうだと認めると、控えめに私へと問いかける。
「そ、その……な、治りました」
「……はて…………?」
「わたくしが治癒魔術で……じ、自分で治しました」
「な、なんと………………!」
初老の医者も団員たちと同じような驚愕の顔で固まってしまった。
えっ、やっぱり治癒魔術って使っちゃまずい魔術だったの?
でも魔術の先生はアゼリアに確かに治癒魔術の理論とやり方を教えている、間違いない。
先生は自分は使えないと笑っていたし、アゼリアも使う機会は今までなかったみたいだけど、使っちゃダメならダメってちゃんと言ってくれる……よね!?
「り、理論は先生に教わっていたので……実際に使うのは今が初めてでしたが」
「へえ! そりゃすごいな、お嬢様! これなら魔術の才能はいつか親父を超えるんじゃねぇか?」
座り込んでいる私に目線を合わせるためにしゃがんだ団長のヘルムートは、そう言って大きな声で笑った。
筋肉質で大きく頼もしい体だ。この人が……ジェトリウスのフェリオール家再興に貢献した戦友で、親友。
「俺は魔術に関しちゃさっぱりだが、聞いた話じゃ治癒魔術は適性者自体が少ないんだったか? その上理論がものすごく複雑で難しいし、魔力の消費もでかいからホイホイ使えるモンじゃないんだろ? 使えるのは本来国の限られたトップレベルの魔術師か、エルグランド王家の人間くらいだからな。はっはっは、お嬢様は大物になるぞ!」
ああ、そういう……ただ単に治癒魔術を使える人間が珍しいっていうだけだったのか。
「へ、ヘルムート殿……治癒魔術を使えるということが魔術師にとって何を意味するのか、ご存知ないのですか……!」
「ん?」
初老の医者は不安そうな声でヘルムートに言う。
「治癒魔術師は努力では会得できない恵まれた才能のひとつです。その能力を持つ者は例外なく王宮に招集され、国のために戦う兵士の治療に生涯を捧げることになるのですよ……!」
お、王宮に閉じ込められて死ぬまで王家の社畜になるってこと!?
ぜ、前世が社畜なら今世でも社畜なんて、そんなの嫌すぎる……!
「治癒魔術はいつだって人手が足りていません。ひとたび戦争が始まれば、治癒魔術の酷使により魔術師の寿命が縮まるとも……」
えっ!?
治癒魔術って使うと寿命短くなるの!?
そんなの論外じゃん、無理無理!
今後は絶対使わないようにしないと……!
「うーん。でもそれって現行の王国の規則……ってだけだろ? 先生よ、そんなくだらねぇモン、あの男が愛娘に当てはめて真に受けるわけねぇだろ」
「け、敬礼! ジェトリウス様がお見えだ!」
「おっ! 噂をすれば」
騎士団の団員たちが一斉に立ち上がり、左手を背後へ、右拳を胸へと当てて敬礼をする。
相変わらず目つきの鋭いジェトリウスがやってきた。
せっかくかっこいい顔をしているのにもったいない。
普段エブリスタで書いている同名小説をこちらでも順次アップしています。
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