メインヒロインのために
日常はいつだって変わらず過ぎていく。
私はクロヴィスの言葉に嘘がないことを信じて、彼への謎を胸の奥にしまい込んだ。
私が本物のアゼリアではないことを知ったら、アゼリアの幸せを願うクロヴィスの存在意義が揺らいでしまう気がしたのだ。
私がこの事実を彼に伝えられないのと同じで、きっと彼にもアゼリアに伏せておきたい事実があるんだろう。
そんな中でついにアルセリア王立学院の『公開試験会』のエントリー期間が始まった。
期間中、学院食堂の近くの巨大な魔術道具には部門ごとにエントリーを済ませた生徒の名前が表示される。
言ってしまえばお知らせ用の電光掲示板みたいなものだ。
エントリー期間内に一度まで部門を変更できるようになっているものの、おおよその出場者を見てから自分のエントリー部門を決める生徒が多いから、騎士カリキュラムのクロヴィスのようにエントリー部門に選択肢がない生徒や、出場部門を最初から1つに絞っている生徒の名前しか、現時点では表示されていない。
顔ぶれによってはそもそも出場自体を見送る場合もあるだろうし。
昼休憩中、私はクロヴィスと一緒にその掲示板を見上げていた。
「ギルベルトは本当にクロと同じ剣術部門へエントリーしたのですね……」
「殿下やルチアナ様、ミレーユ様は魔術部門へのエントリーのようです」
「いつもそうですが、魔術部門は混戦になりそうですね」
そんな中で複合部門の一番上に名前が表示されているアゼリアは生徒たちの動揺を誘っているらしい。
『ただの釣りじゃないか』派と『本当はめちゃくちゃ剣が強いんじゃないか?』派で意見が割れているようだ。
複合部門は自分の武器の持ち込みが自由に許可されている。
ヴァステリアから譲り受けたソルヴェリオンを持ち込むのは少し気が引けるけど……聖女の加護を使わないにしても、今の自分がどこまで戦えるのかを試してみたい。
「そういえば、最近はルチアナ様の姿が見えませんね」
1人で(正確にはクロヴィスと2人で)穏やかな昼食の時間を過ごすようになってからもう3日になる。
この3日、ルチアナは学院を休んでいた。
「王国の刑法の中心でもあるローゼンベルグ家は忙しいようですから……もしかしたら何か大事な仕事を王宮から受けたのかもしれません」
いくら自由奔放なギャルといっても、ルチアナは王宮から任された仕事はきちんとこなしているようだ。
彼女が突然数日学院を休むようなことも今回が初めてじゃない。
『公開試験会』のエントリーはしているようだし、元気ではあるんだろう。
帰ったら手紙を書いてみようかな。
ぼんやり考えながらサンドイッチを口に運んでいた私は、ふと視界の隅に入った光景に手を止める。
昼のアルセリア王立学院の中庭。
名物ともいえる美しい巨大噴水の近くで、数人の生徒たちが口論をしているようだった。
「(あれは…………)」
どうやらとある伯爵家の令嬢とその取り巻きが癇癪を起こしているらしい。
その矛先にいたのは庶民出身の"メインヒロイン"……純粋無垢の権化、リノンだった。
どうみても一方的に伯爵令嬢が怒ってリノンに詰め寄っているようだけど、何があったんだろう。
「クロ」
「はい」
「あそこの……噴水の前にいる4人なのですが。何を話しているか聞こえますか?」
クロヴィスは顔を上げると噴水を振り返る。
「……芸術の授業の提出課題について揉めているようです。リノン様の提出された絵が先代の国王陛下に酷似していたことから、王族への『無断肖像模写』に当たると」
『王族接近禁止令』ガン無視の次は『無断肖像模写』……?
悪気はないんだろうけど王家関係の地雷踏みすぎでは……?
「リノン様はわざとではない、先代国王の顔は知らないと言ってます」
「…………」
嘘ではないだろう。
アゼリアも先王には直接会ったことがないし、今になってその顔を確認することができるとしたら王城内にある肖像画くらいしかない。
庶民であるリノンが王城に入ったことがないのは考えなくてもわかることなんだから、これはどう考えても伯爵令嬢の言いがかりだ。
そもそもさっきの授業で提出したばかりの課題の内容をなんであの令嬢が知ってるんだろう?
講師からの評価はまだ出ていないのに。
う~ん……どう考えてもリノンへの妬みでは……。
助ける義理はないものの、見ていて気分がいいものではない。
伯爵令嬢に何かを言われた取り巻きの男子生徒が、リノンが持っていた本を強引に取り上げて噴水目がけてぶん投げる。
私はサンドイッチをお皿に置いた。
「これだから庶民の女は! あなたたちにとって問題がないようなことも、わたくしたち貴族家にとってはタブーとされていることがたくさんあるのよ!」
「ご、ごめんなさい……私も皆さんに失礼のないようひとつひとつ学んでいるところで……」
「あら、それなら今回はいい機会だったのではなくて? 本来なら謹慎処分ものだけど、不名誉な大恥をかく前に本1冊で済んでよかったわねぇ?」
「お、お嬢様!」
「なによ」
「そ、その……本が!」
「え?」
男子生徒が噴水へ向かって投げたはずの本は水浸しになる前に空中でピタリと静止していた。
「ち、ちょっと! あなたあの本に何か仕込んでたわね!?」
「わ、私は何もしていません! あれはついさっき図書室で借りた本ですから……!」
伯爵令嬢に睨まれたリノンはブンブンと首を横に振る。
空中で水没を免れていた本がスッと移動して私の手の中に収まったことで、本を目で追っていた4人と目が合う。
以前セイリスに言われた言葉を思い出した私は、できる限り威嚇にならないよう穏やかに微笑んだ。
「リノンさん、本を落とされましたよ」
「えっ!? あ、ありがとうございます、アゼリア様……」
リノンへ本を手渡してから、私は改めて伯爵令嬢に向き直った。
「大きな声を上げて下級生に詰め寄るなんて……伯爵家の名が泣くのではないですか?」
「ご、ご機嫌よう、アゼリア様。恐れながらおひとつ勘違いをされているようなので、わたくしから申し上げても?」
「ええ、どうぞ」
私が笑顔で発言の場を譲ると、伯爵令嬢は眉尻を上げて強気に笑った。
「彼女……このリノン・ブランカという庶民は、芸術の授業で先王のお顔をお描きになったのです。これは立派な『無断肖像模写』に該当しますわ!」
「あら……リノンさん、そうなのですか?」
「ち、違います! 私は今回の授業のテーマである『穏やかな水辺』をイメージして、湖畔に佇む想像上の男性の姿を……」
「想像上の男性と言ってますが、先王とうりふたつでしたけど!? 王家の許可なく王族の姿を絵に描くことは固く禁止されていることを、哀れにもこの庶民の女は知らなかったようで……こうしてわたくしが指導していたところなのです!」
「そうだったのですか。あなたは王族の権威を守るため、伯爵家の令嬢としての責任を果たしていたのですね」
「え、ええ! アゼリア様にもお分かりいただけて嬉しいわ! マナーを知らない庶民への指導もわたくしたちの務めですもの!」
アゼリアにボコボコに論破されることをうっすら懸念していたらしい伯爵令嬢は、明らかにホッとしたように肩の力を抜く。
「なるほど。では、わたくしからあなたへ言えることはふたつだけのようですね」
安心し切っていたであろう伯爵令嬢の笑顔が引き攣る。
取り巻きの男子生徒たちはすでにアゼリアの気迫に尻込みをして数歩後ずさっていた。
「ひとつ。あなたはリノンさんが庶民であることを度々強調されていますが、その庶民であるリノンさんは一体どこで先王のお顔をご覧になったのでしょうね?」
「……!」
「ふたつ。リノンさんはレオン様のご指示により、すでに『王族接近禁止令』の適用外になっています。同時に王族への肖像模写にも許可が下りていますが」
「え!? お、王族の肖像模写に、許可が……!?」
「もしかして……ご存知なかったのですか?」
「っ!? し、知っておりましたとも! そんな大切なことを伯爵家のわたくしが知らないわけ……」
「では今回の件は、あなたが無意味に大きな声を出して下級生に詰め寄っていただけで、何も問題はありませんね」
「っ! ……っ、!」
言い返すことができなくなった伯爵令嬢は真っ赤になって唇を噛む。
「『不名誉な大恥をかく前に、本1冊で済んでよかった』ですね?」
自分が散々見下していた"庶民"の前で充分すぎる恥をかかされ、伯爵令嬢は私のことを睨みつけてから、結局何も言えずに取り巻きたちと足早に去っていった。
……めちゃくちゃ睨まれたんだけど、やっぱり私の笑顔って威嚇してるように見えるのかな……。
「アゼリア様……ありがとうございます、私、また助けていただいて……」
「気にしないでください。あなたは怒られるようなことをしていないのですから」
これは私が自分のサンドイッチを美味しく食べるためだけにしたことだ。
「で、でも、その……私、おそらくレオン様から王族の肖像模写については許可をいただいていな……」
私は困った顔をするリノンに笑顔を向け、彼女の言葉を遮ってその唇に人差し指を添えた。
「確かに今はそうかもしれませんが、レオン様は頼めばきっと許可してくださいますから大丈夫でしょう」
「……!」
最悪、何か適当に仰々しい理由をつけて頼めばレオンは頷くだろう。
なんてったってリノンに関わることなんだし。
「リノンさんはもう昼食はお済みですか?」
「あ、いえ! これからです。パンを買ったので、食べられる場所を探してたところで」
「もしよければわたくしと一緒にいかがですか?」
「い、いいのですか!?」
「ええ、もちろん」
リノンを昼食の席に案内する際にちらっと見たクロヴィスの顔には、「あんまりヒヤヒヤする嘘をつかないでください……」と書いてあった。
ごめんって……。
思えばアゼリアがルチアナとレオン以外の生徒と一緒に学院で昼食をとるのは初めてかもしれない。
庶民というだけあって気取らず自然体の彼女は、その場の空気を『前世の私』にとって息がしやすい雰囲気にしてくれた。
かわいいな……それに絶対に見捨てないでいてくれるだろうなっていう依存にも近い感情を抱きそうになる。
……恐るべし、"メインヒロイン"の力……!
食事をしながらリノンの話を通して見えた『この世界の一般人の暮らし』に興味を持った私は、もっと詳しく話を聞かせてほしいという理由で彼女をなんとかお茶会に誘えないか、必死にタイミングを見計らっていた。
「……リノンさん。その……」
「?」
笑顔で首を傾げるリノンを前に、この子が断るわけがないという確信と、この子に断られたらマジで終わりだという不安が、私の中で取っ組み合いの喧嘩をしている。
現状、古くからの知り合いであるミレーユを除くとお茶会のお誘い勝率は0だ。
……いやほんと冗談抜きで、リノンに断られたらこの先誰も私のお茶のお誘いに乗ってくれないっていう謎の確信がある……断られたくない……断られたくない!
誘いたい!
でも断られるのが怖い!
空になったお皿を前に必死の葛藤をする私に、クロヴィスがそっと声をかけてくれた。
「お嬢様。お昼の休憩がもうすぐ終わります」
「え! そ、そう、ですね……もうそんな時間……」
誘いたい!
でも断られたくない……!
「リノン様とのおしゃべりは日を改めては?」
「!!」
クロヴィス……!
あなたという子は本当に、なんていう絶妙なパスを…………!
泣きそうになりながらも最強のパスを受けた私はリノンへ向き直る。
「……リノンさん。今度わたくしの家でお茶でも飲みながら、今日のお話の続きを聞かせてくれませんか?」
「えっ!? は、はい! もちろんです!」
ッッッッッッシャーーーーーーーー!!
ゴォォォーーーーーール!!
脳内にド派手なファンファーレが鳴り響く。
幾百回の敗北の末!
私はついに初めての勝利を手にした……!
「アゼリア様にお茶のお誘いをいただけるなんて、本当に光栄です……! でもあの、私お作法とかはまだ勉強中で……」
「格式ばった場でなければそんなものあってないようなものなので一切気にしないでください、手土産もいらないし服も普段着で大丈夫です」
必死さゆえに早口になった私を気にする様子もなく、リノンはなるほど、と純粋に頷く。
「そ、そうなんですね……! わかりました。わぁ……すっごく楽しみです!」
うんうん、私もだよ~!
リノンにつられて笑顔になる私を見て、クロヴィスも穏やかな顔をしていた。
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★毎日22時に続話追加




