特大の死亡フラグを折れ!
この日はアゼリアラブのルチアナの姿が学院になかったこともあり、一日が穏やかに過ぎていった。
爵位を持つ貴族家の令息・令嬢は王宮から任された家の仕事の一部を担うことが少なくないため、授業の欠席や遅刻・早退への処置はかなり寛大だ。
……静かなうちに今後提出予定の課題とか全部終わらせておこう。
ちょうど騎士カリキュラム特有の試験の説明会とかでクロヴィスが呼び出されていたこともあり、私は1人で学院別棟の第二図書室に足を向けていた。
「…~~♪」
「!」
途中通りかかった教室の前で美しい歌声が聴こえて、思わず足を止める。
これは……讃美歌?
それにしては少しアップテンポというか、親しみやすいというか……妙に心の奥が温かくなるような響きがある。
自然に引き寄せられて覗いた教室にいたのはリノンだった。
「~~♪」
彼女の歌に使われているのは古代言語のようだ。
歌詞は神が与えた大地の恵みを讃え、人々が愛を歓ぶ……といった内容だった。
さすが"メインヒロイン"……聴いてるだけで心が洗われるような歌声だな……。
気づいた時には私も廊下に立ったまま最後まで歌に聞き入っていた。
やがて歌い終えたリノンは照れたように微笑む。
誰かがその歌を聴いていたのか控えめな拍手が教室に響いていた。
…………まさか。
「最後までお聞きいただきありがとうございました。この歌は私の住んでいる村に伝わる讃美歌をもとに、私が少しアレンジを加えたものなんです」
「……そうか。不思議と温かくなる歌だ」
……誰もいないはずの教室でリノンの歌を聴いていたのは、他でもないレオンだった。
どくん。
不吉なワードが脳内を一気に支配する。
メインヒロイン、悪役令嬢、婚約破棄、処刑、暗殺、死亡フラグ……
学院の『王族接近禁止令』を特別に許可された庶民出身の少女。
第一王子は彼女のことを気に入っているらしい。
……ルチアナが話していた噂は本当だったんだ……!
やばい……やばい、どうする……!?
「完全に失ったと思っていた感情が、まだ俺の中に残っているような気にさえなる」
「そんな……レオン様は感情を失ってなどいませんよ。あなたの優しさも、愛情も、悲しみも……私にはちゃんと見えています」
「……」
レオンがリノンと話す内容や声のトーンは、アゼリアを前にした時とは全く異なっていた。
あんなレオン、アゼリアの記憶にもない。
だめだ、やっぱり私が生きるためにはリノンを殺すしかない……!
「次の歌は日常の小さな幸せを集めた、子どもたちの間で人気の童謡です。……~~♪」
………………殺せる、わけがない……!
何の罪もない、こんなに優しい歌を歌える女の子を、殺せるわけが……!
……私がどんなに強くなっても全ては無駄で、"メインヒロイン"がいる限り、私は生き残れないの……!?
がむしゃらな日々の努力を根本から揺さぶられた気がした。
私は深く息を吐くとなんとか足を奮い立たせ、再びリノンの歌声が響き始めた教室に背を向けた。
屍のような状態で第二図書室に着いた私と偶然出会したのは、よりによってツンツンライバル令嬢のミレーユだった。
本を抱えていたミレーユは図書室の前で私の姿を見つけるなり何か言おうと口を開きかけたけど、あからさまにギョッとして言葉を飲み込む。
「ち、ちょっとアゼリア……あなた、ひどい顔をしているわよ」
「……え? そうですか? ご指摘ありがとうございます……気をつけなければ……」
「しかもなんだかふらふらしているじゃない……公爵令嬢たる者、しっかり自分の足で立ちなさい」
「…………」
「えっ!? ちょ……ちょっと!」
図書室に行く、という脳からの命令に機械的に従っていただけの私の体は、ミレーユに軽く肩を掴まれただけで簡単に崩れてしまった。
「ど、どうしたの、具合でも悪いの!? も、もしかしてわたくしが何かしてしまった……!? ああ、もう! どうしてこういう肝心な時にあの護衛騎士はいないのよ……!」
驚いたミレーユは座り込んでしまった私の体に腕を回すと、図書室の近くにあるソファーまで手ずから運んでくれた。
「え、ええと……熱はない……意識は……あるわね。脈は少し速いかしら……」
ミレーユは私の状態を簡単に確認すると、困ったような顔をした。
「なんなのよ、もう……」
「……ミレーユ…………」
「な、なに?」
「し、死ぬかも…………」
「え!? だ、誰が!?」
「わたくしです……」
「や、やっぱりどこか悪いのね!? 怪我をした脇腹!? それとも他の場所!? すぐ医務室に……!」
私は俯いたまま首を横に振りながら、腰を浮かせたミレーユの袖を引いて引き止める。
「……噂には聞いていたのですが、レオン様は本当にリノンさんに……想いを寄せていらっしゃるのですね」
「………………は?」
「わたくしはレオン様に婚約破棄をされる……いや、王家の体裁を守るためにはやっぱり人知れず殺される……」
「…………」
「うぅっ……! もうどんな襲撃も返り討ちにできるようになりたくて毎日訓練に励んでたけど……さすがに王家の雇った暗殺者が相手じゃ勝ち目が…………でもリノンさんを殺すことなんてできないぃ……!」
追い詰められたあまり両手で顔を覆ってブツブツ独り言を言う私に、ミレーユは周囲を確認してから咳払いをする。
「(あの過保護な護衛騎士は……いないわね)……オホン。アゼリア」
「……?」
「目を覚ましなさい!!」
バチーンッ!!
「!? ……っ!?」
「!?」
静かな図書室の前に鮮やかすぎる張り手の音が響く。
あまりにもいい音がしたせいか、頬を叩かれた私だけじゃなくてなぜか叩いたミレーユまで驚いた顔をしていた。
「い、痛い……です…………」
叩かれてジンジンする頬に手を当てて、呆然とミレーユのことを見た。
「で、でしょうね!? わたくしも正直こんなにいい音が鳴るものだと思っていなかったわ!」
「わ、わたくし、なんで叩かれた……んですか……?」
ミレーユは何かをぐっと堪えるように顔を顰めてから私の肩を掴んだ。
「それはあなたが! 現実も見ずに腑抜けた顔をしていたからよ!」
現実も見ずに?
腑抜けた顔をしてた?
……私が?
はあ~~~~!?
理不尽に頬を叩かれたことで、単純な私の脳内はそれまでのネガティブ思考を一気に怒りのエネルギーへ転換した。
この女……!
一度だって死んだこともない公爵令嬢が!
人の苦労も恐怖も何も知らないくせに!
「レオン殿下がリノンさんに想いを寄せてるですって? はっ! それがなんだというのよ!」
「あの2人が結ばれるには私の存在は邪魔なんだから、婚約破棄されるか殺されるかのどっちかじゃない!」
「それが現実が見えてないって言っているのよ、ブス!」
「ブっ…………!?」
アゼリアは全然ブスじゃありませんけど~!?
目、大丈夫~!?
「好き合っている相手と添い遂げるなんていうのは夢物語よ! わたくしも、あなたも! 殿下ですら例外ではなく! 好きか嫌いかなんて関係ない、"家"が決めた、一族の利になる相手と生涯を共にするの!」
「……!」
「殿下はいずれ国王になられるお方なのだから、それを誰よりもご理解されている! 一時の感情に任せてあなたとの婚約をなかったことになんてするわけがないでしょう! わたくしたちとは背負っているものが違うのよ!」
ミレーユの言葉は私の前世の知識……物語の中のご都合展開を正面から否定するものだった。
「殿下があなたを殺すですって? むしろその逆ではなくて? 殿下は他人の恨みを買いまくっているあなたのことを、何がなんでもお守りになるでしょう! フェリオール家にはそれだけの"価値"があるのよ!」
レオンは……私のことを何がなんでも守る……?
言われて初めて気がついた。
思い当たることがいくつもあることに。
あなたは寝ていなくても寝言が言えるのね!というミレーユの一言余計な嫌味にはこの際目を伏せよう。
彼女の言葉は何ひとつ間違ってなかった。
この世界は漫画でもゲームでもなく、現実なんだ。
ご都合展開なんて認めてもらえないし、そんな奇跡は起きない。
レオンはどんなに好きだったとしてもリノンと結ばれることは認められないし、それは同時に彼の私情で私が殺されることがないということも意味していた。
自分勝手な私はそれを聞いて安心した……と同時に、この世界の王族、貴族の少年少女たちを思って心が苦しくもなった。
感情が認められない世界、かぁ……。
「…………ミレーユ」
「何よ!」
「ありがとう。あなたに頬を叩かれてよかった」
ミレーユは私の言葉に驚いてから、口元を押さえて一人分の隙間を空け、ソファーに座り直した。
「わたくしが強く叩きすぎたせいで頭がどうかしてしまったのかしら……」
いや、ドン引き!?
感謝くらい素直に受け取ってよ!
私たちがあれこれ元気に言い争っている様子をいつの間にか来ていたクロヴィスがにこにこしながら眺めていたことに気づくと、ミレーユの怒りの矛先は「あなたがいなかったせいで大変だったのよ!」とあっさりと彼に向いたのだった。
完全なとばっちりでごめん、クロヴィス……。
ミレーユはふん、と鼻を鳴らすと本を抱えて立ち上がった。
「結局なんだったのよ、元気そうじゃない……。わたくしはもう行きますから」
「本当にありがとうございました、ミレーユ」
「気味が悪いからやめてと言っているでしょう。別にあなたのために何かしたわけではないわ。…………ああ、そうだ、伝え忘れていたのだけど」
「?」
立ち去ろうとしたミレーユが立ち止まって私を振り返る。
「お父様から正式に許可をいただいたわ。あなたとテーブルを囲んでお茶をすることへの」
「!」
お茶会仲直り作戦の話、本当に進めてくれてたんだ……!
「ただし、場所はヴァロワール本邸……わたくしの家でとのことよ。……フェリオール本邸の危険性について、まだお父様は信用されていないみたい。そこは理解してくれるかしら」
誕生日にアゼリアがあんなことになったんだから仕方がないし、私はあまり気にしていない。
「あ、ありがとう。ヴァロワール公爵のお許しをいただけるのならもちろん、喜んでお伺いします」
「安心して。ヴァロワール家の名にかけて、あなたのことはわたくしがきちんとおもてなしすると約束するわ」
お茶会の候補日について相談をしたあと、ミレーユは髪を靡かせて凛々しく立ち去っていった。
「ミレーユ様はお優しいですね」
クロヴィスの呟きに私は同意する。
「ええ、本当に。それにとても強くて美しい」
もしかしたら私たちはいい友だちになれる可能性があるのかもしれない。
普段エブリスタで書いている同名小説をこちらでも順次アップしています。
★毎日22時に続話追加




