帰還
ジェトリウスが不在のフェリオール家の日常が2週目に入って少しした頃。
クラリエとヘルムートはその不在を立派にカバーし、外部の貴族家にその一切を悟らせはしなかった。
私も学院生活と放課後の騎士団での訓練を毎日必死にこなす生活に、へとへとになりながらも慣れ始めていた。
その日寝る支度を終えて、翌日の授業に備えてベッドで参考書を読んでいると、ピシピシッ……と何かにヒビが入るような微かな音が聞こえた気がした。
「……?」
顔を上げて周りを見回すけど、部屋の中には私しかいない。
窓や花瓶にもおかしな様子はない。
……気のせいだったかな。
再び参考書に目を落としたとき、さっきよりも大きな音がした。
ビシッ……ビキッ……
「……」
間違いない、何かが割れそうになってる音がする。
何だろう?
私は参考書を閉じて枕元に置くと、ベッドから抜け出して部屋の中を見て回る。
その間もヒビが広がっていくような、ピシピシッという音は聞こえていた。
「………………外から……?」
窓から外を見た私は目を見開いて固まった。
夜の間だけ屋敷を中心に球状に展開される魔術防御壁。
フェリオール家の人間以外の一切の侵入を拒む、絶対安全のシールド。
ジェトリウスが設置した一族を守るその透明なシールドが、大きなヒビによってその存在を露わにし始めていた。
頭の奥で本能が警鐘を鳴らす。
ジェトリウスのシールドが自然に割れるわけがない。
そういうふうにはできていない。
つまりこれは間違いなく、外から誰かがシールドを割ろうとしているのだ。
ビキッ…ビキビキ……
私は廊下に飛び出すと、同じく「何の音かしら?」と廊下に出てきていた使用人たちの中にリーナの姿を見つけ、彼女に名指しで伝える。
「リーナ! 今すぐ皆に屋敷から一歩も出るなと伝えて!」
「お、お嬢様……!? か、かしこまりました!」
すぐに動き出した使用人たちに背を向けて、私は自分の部屋の窓から外へと飛び出す。
わざわざジェトリウスの強固な魔術防御壁を無理やり破ろうとしているようなやつが、フェリオール家に親しみを持って接してくるわけがない。
相手は間違いなく敵意を持ってる上、自分の実力に相当な自信がある……!
ジェトリウスがいない今、私がみんなのことを守らなくちゃ……!
「お嬢様!」
私が中庭に降り立つのとほぼ同時に、剣を持ったクロヴィスが駆けつけてくれた。
「すぐに安全なところへ」
「あなたなら来てくれると思っていました」
「!」
私は背後のフェリオール邸に厳重な魔術防御壁をかける。
「安全な防御壁の中にいては戦えない。わたくしはここで敵を迎え撃ちます。あなたの力を貸してください」
月の光を受けたクロヴィスの瞳が決意に揺れる。
「……もちろんです」
ビキビキッ!
ビシッ……!
…………バリンッ!
ジェトリウスの魔術防御壁に入っていた蜘蛛の巣状のヒビは、ガラガラと音を立てて安寧に崩壊をもたらした。
「……っ!? ジェトリウス様…………?」
「え?」
すん、と鼻を鳴らしたクロヴィスが暗闇に目を凝らす。
「ぎゃはははは! 小僧、貴様の魔術防御壁はなかなかの出来じゃないか! 儂の爪を3本も持っていったぞ! ん? おっと忘れてた、意識がないんだったな」
暗闇に響く高笑いとともに空から現れたのは、真っ黒なローブを羽織った歪な形の……声からして女性のようだった。
「お父様!!」
「……」
ローブの女性はふわりと庭園へ降り立つ。
彼女がズルズルと引きずっていたのは、紛れもない……血だらけのジェトリウスだった。
「貴様が噂の聖女だな?」
ローブの隙間から鋭い犬歯の口元がニヤリと覗いている。
「ははぁ~ん……なるほど。これまた面白……じゃない、厄介なことになってるなぁ。まぁとりあえず、話をする前にこの小僧を何とかしてやれ」
「!!」
ローブの女性はジェトリウスを私とクロヴィスの目の前に軽々と放り投げた。
ドシャッと生々しい音とともに血と肉の臭いが鼻につく。
ジェトリウスはすごい出血だった。
「……っ、……」
私は腕を組んでこちらの様子を伺っているローブの女性を見た。
「ん? どうした? かわいそうに、早くしないと貴様の父親は死ぬぞ」
……またこれだ。
ジェトリウスを助けるためには治癒魔術を使わないといけない、けど、私がそのために背後のフェリオール邸にかけている魔術防御壁を解いたらこいつは屋敷を攻撃するんじゃないか?
私はジェトリウスか、フェリオール家の人々か、どちらの命をとるかの二択を迫られている。
「あなたはどちらも見捨てなくていい!」
「おっ!」
そう言ったクロヴィスは迷わずに地面を蹴った。
「はっはっは! 面白い、この儂に一対一で挑むつもりか?」
ドォン!!
女性がクロヴィスの剣を避けると、その背後にあった木が真っ二つになる。
「ん……? しかも貴様、聖女の小娘以上に厄介なモノを抱えてるじゃないか!」
「うるさい……!」
女性は楽しそうに笑いながらクロヴィスの剣戟と魔術による怒涛の攻撃を躱していく。
クロヴィスが作ってくれた一瞬の隙を私は逃さなかった。
ありがとうクロヴィス……ジェトリウスは死なせないし、フェリオール家のみんなのことも絶対に守ろう。
ジェトリウスを治癒魔術特有の眩い光が包む。
「じゃれるな小僧、儂に敵意はない。このままじゃお互い腕一本じゃ済まないぞ?」
「……ッ!」
呆れたような女性の声にハッとして顔を上げると、睨み合う2人の腕からおびただしい量の血が吹き出していた。
私は反射で2人に両手を向ける。
治癒魔術の眩い光が、2人の腕を繋ぎ止めた。
「……ほう? 小娘、この儂にまで慈悲をかけるか」
「…………話し合いの余地があると思ったので」
「くく、賢明だな」
ジェトリウスの魔術防御壁を破れるくらいの魔術師なら、その気があれば私たちに声をかけるまでもなく殺すことができたはずだ。
クロヴィスに対してだって、回避に回らずにもっと一方的に攻撃を仕掛けられたはず。
おそらく彼女は、争いを好みながら、それを望んでるわけじゃない。
「……っ、お嬢様!」
私の元へ駆け寄ったクロヴィスは膝を突いて私の顔を覗き込む。
「お怪我は……?」
「わたくしなら問題ありません。お父様も……今は穏やかな寝息が聞こえますので、きっと朝には目を覚まされるでしょう。あなたこそ腕は……」
「……俺の腕なら大丈夫です」
「よかった」
私は立ち上がると、やり取りをニヤニヤしながら眺めていた女性に向き直る。
「あなたは…………"大賢者"、ティアレイン・ヴァステリア様、ですね?」
「くくく……」
消去法で弾き出した答えを突きつけると、女性は歪な形のローブのフードを取った。
そこにあったのは艶やかな黒髪と、2本の禍々しい角。
月光に黒々と輝くそれはまるで本の中の悪魔のようだ。
「いかにも。我が名は諦観の魔術師、ティアレイン・ヴァステリア。だが小娘、儂のことは名で呼ぶな、姓で呼べ」
普段エブリスタで書いている同名小説をこちらでも順次アップしています。
★毎日22時に続話追加




