ジェトリウスの不在
結局夕方の手合わせではセイリスから一本もとることができなかった。
しいていうなら降参までに3撃以上使わせることができるようになってきたことや、無様に空を見上げるような転がされ方は減った……ような気がする。
剣術の訓練を始めた頃に比べたらすごい成長だ。この体はやっぱり物事の吸収がすごく早い。
入浴を済ませて夕食も終えようというところで使用人の1人が私に近づいてきた。
「ジェトリウス様がアゼリアお嬢様をお呼びです。お食事が終わり次第執務室へご案内するようにと」
なんだろう?
「わかりました。すぐに伺います」
使用人に連れられてジェトリウスの執務室へやってくると、室内にはジェトリウスだけではなくクラリエとヘルムートの姿もあった。
2人は重厚感のあるテーブルを挟んで向かい合ったソファーに座っている。
「お母様……ヘルムート団長も」
2人は言葉を発さずに私へ微笑みだけを向けた。
「アゼリア、座りなさい」
「は、はい」
なんだか重々しい空気感の中、私はクラリエの隣に腰を下ろした。
私の着席を確認するとジェトリウスは立ち上がって執務用のデスクの前に立つ。
「私はしばらく屋敷を留守にする」
ジェトリウスの突然の言葉には、いつもにこやかなクラリエや大抵のことは笑い飛ばすヘルムートもさすがに目を見開く。
「私の留守中における緊急の外交対応はクラリエに、兵を動かす必要がある場合の判断はヘルムートにそれぞれ任せる。アゼリアは2人の判断が客観的に見てリスクがないか、合理的かどうかの最終判断を下せ」
「ち、ちょっと待て、話が早すぎてついていけねぇって……。まず、行き先は?」
ヘルムートの真っ当な質問に、ジェトリウスは相変わらずの無表情で淡々と答えた。
「この世界の中立区、魔術師の総本山……『時計塔』だ」
「時計塔……? そんな偏屈どもの集まりに、どうしてまたお前が足を運ぶ必要があるんだ」
「アゼリアに聖女の加護と魔術の使い方を指導できる人物に会いにいく。指導を依頼するための交渉条件がわかった」
「……!」
ジェトリウスはアゼリアの新しい魔術師の先生に見当がついてるって言ってた。
……きっとずっと水面下で動いてくれてたんだ。
でも時計塔って……各国の"賢者"レベルの魔術師がゴロゴロいるって……。
しかもその誰もが人間嫌いで、国から追い出されたか亡命した厄介な魔術師だって、アゼリアの記憶にはある。
「屋敷を空けるのはどれくらいの期間になりそうなのですか?」
クラリエが落ち着いた声で聞いた。
「わからない。私も長く空けるつもりはないが、交渉には長時間を要する可能性が高い。おそらくどんなに短くても1週間、長ければ1ヶ月ほどだろう」
「そんなに……? さすがに他の貴族たちにバレたらまずいんじゃねぇか?」
「だからお前やクラリエに私が不在の間の対処を頼んでいるんだ」
「いやいやいや、いくらクラリエ様や俺でもお前の不在は隠し通せねぇぞ……」
「ならフェリオール家の命運もここまでだな」
「おい……!」
ヘルムートが語調を荒げて思わずソファーから腰を浮かせる。
私はどうしてもいたたまれない気持ちになってしまった。
ジェトリウスがしようとしていることは私個人のためであって、言ってしまえばそのためにフェリオール家の全ての人間を他の貴族からの侵攻のリスクに晒しているのだ。
「…………お父様、せっかくのお申し出ではありますが、わたくしはフェリオール家を危険に晒してまで優秀な師を欲しいとは思っていません」
「お前がそう思っていようといまいと、その力を正しく使いこなすには並大抵の指導者では力不足だ」
「でも……!」
「アゼリア。私は二つの事柄を秤にかけた。ひとつは私の不在によってフェリオール家が滅びの道を辿る可能性。もうひとつは指導者不足によってお前の力が正しく使われず、世界が滅びる可能性だ。これは分のいい賭けでもなんでもない。比べるまでもなく圧倒的に前者のほうがリスクが低く、後者のほうが後悔が大きい」
「…………」
執務室を重々しい沈黙が支配する。
いや世界が滅びる可能性のが全然低くない……?
現実的じゃないっていうか……。
沈黙を破ったのはぽん、と手を叩いたクラリエだった。
「わたくしはジェトリウス様を信じます。ジェトリウス様がそうご判断されたのならきっと大丈夫なのでしょう。ご不在の間の外交面はわたくしにお任せくださいな。ふふ、大きな問題が起こらなければいいのですが」
「今ある鬱陶しい問題には決着をつけてある。そうそう危機的状況は起こらない」
「でしたら尚更安心ですね。アゼリア、ヘルムート。ジェトリウス様が憂いなくご自身のお勤めに集中できるよう、わたくしたちも力を合わせましょう」
クラリエののほほんとした雰囲気にヘルムートはそれはそれは深いため息を吐いた。
まるでジェトリウスへの当てつけのようだ。
「はぁ~~~~…………。クラリエ様がそうおっしゃるのに俺だけ反対もできまい……平穏を祈りつつ、腹を括るしかねぇな」
「ふふふ。ありがとう、ヘルムート。アゼリアはどう?」
いやこの大人たちやばいって絶対……!
起きるかもわからない世界の危機に備えるために、目先の一族の危機を受け入れるの!?
理解も納得もできないけど、私だけ反対できる空気でもない……。
「わ、わたくしは……」
「きっと大丈夫ですよ、アゼリア。ジェトリウス様はフェリオール家のことをとても大切にしていらっしゃるもの。その上、余程の勝ちが見えていない限り安易にリスクを犯したりはしない方ですから」
「確かになぁ。こう見えてかなり慎重で計算高ぇし、自分の策の保険に保険の保険をかけるようなやつではある」
ああ、確かに…………そうしてたった十数年でフェリオール家に再びの栄光を取り戻してしまったのがジェトリウスだった。
この男には普通の人には見えないような未来と、そこまでの道筋がはっきり見えているんだろうな。
「わ……わかりました。わたくしもお父様を信じます……」
クラリエがよかった、と言いながら楽しそうに笑った。
「アゼリアお嬢様の指導者候補になった時計塔の魔術師ってのはどんなやつなんだ? 有名なやつなのか?」
ヘルムートの問いにジェトリウスは頷く。
「ティアレイン・ヴァステリア……齢1000を超えるとも言われている歴史の記録者だ」
1000歳超え……!?
やば……どんなシワシワの魔術師だ……。
「あらあら……わたくしでもその名は聞いたことがあります。各国の"賢者"が束になっても敵わないという諦観の魔術師……世界最強の"大賢者"様ですね」
「ああ。本人はどの国にも決して肩入れしないで歴史や物語を記録することに徹しているようだが、その目は世界を見渡し、その力はひとつの国を容易に滅ぼすことができるほど、戦闘魔術の天才だと聞いている」
「とんでもねぇな……しかし、どの国にも肩入れしねぇ"大賢者"サマが、一貴族に力を貸してくれるもんなのか?」
「わからない。が、説得するための目処は立った。交渉のテーブルに引きずり出すことならできるだろうが、あとはあちらの要求次第だ」
「楽しみですね、どんな方なのでしょう。食べ物やお花は何がお好きなのかしら? ジェトリウス様がお連れくださったら屋敷をあげて歓迎の準備をしなくてはなりませんね」
「1000歳超えの人間ってのを見たことがねぇんだが、普通に考えたらミイラみたいなシワシワのババアじゃねぇか?」
「それだけ力のある素晴らしい魔術師なのですから、きっと身だしなみもきちんとされていて凛々しくお美しいとわたくしは思いますよ」
……この大人たち、和やかすぎる……!
ジェトリウスはそのままクラリエとヘルムートに自身の不在時の対応について簡単な引き継ぎをすると、その足でふらりと屋敷を出て行ってしまった。
え、もしかして今から時計塔に向かったの……?
行動力の化け物か……?
ジェトリウスの不在が外部の貴族に知られないよう、私たち3人はごく一部を除いた屋敷内の人間にもその事実を伝えないことにした。
ジェトリウスは部屋にこもって集中したい仕事があるため邪魔をしないように、と。
「えっ……ジェトリウス様、今ご不在なんですか?」
寝る支度をしていたクロヴィスに何度も謝罪をしてから夜の庭園に呼び出してそのことを伝えると、彼は目を丸くして驚いた。
やっぱり一族の当主がいつ戻るかもわからない状態で屋敷を空けるなんて……しかもそれが王宮からの呼び出しや外交を理由にしての不在じゃないなんて、外部に知られたら危険すぎるよなぁ……。
私はクラリエとヘルムートと共にジェトリウスに呼び出された際の会話の内容をクロヴィスに伝えた。
彼は私の話を聞き終えると少しだけ考え込む。
「……ジェトリウス様はお一人で出かけられたんですね?」
「ええ……散歩にでも行くような様子で、剣だけを持ってふらりと」
「…………」
「何かわかるのですか?」
「……騎士は生きて帰ってきてこそ一人前です。ジェトリウス様は誰よりもご自身でそれを体現されている。無事に帰ってこられる算段と、今このタイミングであれば不在にしても大丈夫だという先の見通しがあるんだと思います」
クロヴィスもクラリエやヘルムートと同じで、ジェトリウスを信じることを迷わなかった。
やっぱりジェトリウスの決断を信じてもいい……のかな。
「……ありがとう、クロ。あなたと話して少し落ち着きました」
「お嬢様のご不安はわかりますから。俺でよければいつでもお声掛けください」
「……うん」
私はいつも通りに、普通に過ごせばそれでいい。
フェリオール家に、一族の大黒柱がいない日々が訪れた。
普段エブリスタで書いている同名小説をこちらでも順次アップしています。
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