令嬢、覚醒(1)
なんてことない普通の金曜日……の、はずだった。
当たり前の日常の享受に慣れた私の脳は、天地をつんざくようなブレーキ音と強烈なヘッドライトを目の前にしても、指一本動かすことができなかった。
暗転。
のち明転、真っ白な世界。
真っ白な空、真っ白な地面、真っ白な草。真っ白なワンピースをまとった私は素足でそこに立っていた。
「ここは……」
「ハァーイ、会えて嬉しいわ♪ ようこそ死後の世界へ、私はここの番人よ。とても残念なことに、あなたは死んでしまったの」
何もない空中にゆったりと優雅に座っているのは、女神のように美しい女性だった。
どこもかしこも真っ白な世界で、楽しそうに微笑む彼女だけが唯一鮮やかな色を持っている。
「………………私……死んだんだ」
今日の続きで明日があると思っていた当然の日常の中で、こんなにもあっさり。
絶望のままに見下ろした私の両手は半分透明になっていて、真っ白な地面、真っ白な草が向こう側に透けて見える。
私、こんな姿になっちゃった……。
「お母さんに親孝行、なんにもできなかったな。……くろまるに、ちゃんとお別れ言ってない」
家で私の帰りを待っていたはずの母親と、もうひとりの大切な家族、どんな時でも一緒にいてくれた、黒猫のくろまる。
今までの感謝も、お別れも、大好きだよって伝えることもできなかった。してこなかった。
もっともっと一緒にいたかった、明日も一緒にいられると思っていたのに。
やりたかったこと、やらなくて後悔したことが、涙とともに溢れて止まらない。
「うーん。申し訳ないことに、私には人間の感情がわからないから、これは気休めにはならないかもしれないけれど……愛する家族にちゃんとお別れをしてから、後悔も未練もなく死ぬことができる人間はとても少ないのよ」
「………………」
……頑張って生きても、みんなこういう"突然の別れの苦しみ"に心を引き裂かれながら死んでいくのか。
残酷な話だ。
「私の背後にある扉の先は形のない、魂たちの保管庫。この先では感情も記憶も個としての過去も全て真っさらになって、生前に犯した罪と積んだ徳により転生までの時間が清算されるの。清算が終わるまで、無の世界で新たな転生の日をただじっと待つのよ。あなたも例外ではない…………はずだったのだけれど」
「……?」
女神のような女性は困ったようにふぅ、と色っぽいため息をついた。
まるでそれは、私は例外に当てはまる……みたいな言い方だ。
……もしかして、まだ戻ることができる?
「あ、戻ることはできないわよ♪ 魂を入れていたあなたの器は、もう存在しないもの」
「……」
え?
今心を読まれた?
「ただ……"それ"をどうにかしてからでないと、あなたを魂の保管庫に招くことはできないの。このままでは他の魂たちが食い荒らされてしまうわ」
「"それ"……?」
女性の指差した先を目で追うと、それはどうやら私の背後のようだった。
「……っ!?」
振り返ったそこには、大きく禍々しい霧とも影ともつかぬ実体のない黒色が漂っている。
"それ"は私の背の2倍ほどの高さと、横幅も3倍ほどある。
「えっ……な、なに、これ……!?」
「すごいわよね♪ それは生前のあなたへの未練と執着の感情……みたいなものかしら。自分への後悔や未練ならともかく、こんなに強い他者からの感情を引き連れてここへきた魂を見たのは久々よ」
女性がクスクスと笑うとハニーブロンドの髪が柔らかく揺れた。
「結論から言うと、あなたという魂にはその黒い感情を浄化する責任があるの。必要なのは新たな人生でできる限り長い年月を生きること。あなたについている"それ"は時と共に浄化されるわ」
まるで私がすぐに転生するかのような口ぶりだ。
清算?しなくても大丈夫なんだろうか。
「本来は罪の清算もなしに転生はできないのだけれど、今回は複数世界を跨いだとしても数百年に一度ないほどの超ヤバ~いイレギュラーなの。わかってくれると嬉しいわ♪」
……また心を読まれた。
「……ちなみに、私がそれを断ったら?」
正直ついさっきまで生きていた私は、まだ生前の自分の後悔との折り合いがついていない。
本音を言えば今は思い出を噛み締めながら、何も考えずにぼんやり過ごしたいところだ。
「無力な私にはとてもじゃないけど手に負えないから……最高神が直々にあなたと"それ"を、突然の死別よりも心を裂かれるような苦しみの中に、永遠に封印することになるわね♪」
体温なんてもうないはずなのに、背中が一気にゾッとした。
そんなのすぐに気が狂ってしまうだろう。耐えられるわけがない。
そうなると選択肢はひとつだ。
「わ、わかった……"これ"の浄化に協力します……」
「物分かりがよくて助かるわぁ♪ 大丈夫よ、タダでとは言わないから」
女性は花のように微笑むと、美しい指でくるりと円を描く。
「"それ"は生前のあなたへの呪いであると同時に、祝福でもあるの。私の力で少し形を変えて、あなたの役に立つ力として構成し直すわ。遠慮せずたくさん使ってちょうだいね♪」
「!」
その瞬間、背後の黒いモヤモヤが強烈な光を発しながら収縮し、私の心臓(があった辺り)へと吸い込まれていく。
あんなに禍々しかったはずなのに不思議と温かさを感じ、どこか懐かしい思いが込み上げてきた。
「さて、肝心なあなたの転生先なのだけれど」
女性がどこからか取り出した辞典のように分厚い大きな本を開くと、勝手にパラパラとページが捲られていく。
彼女はそのままある1ページで止まった本に目を落とし、うん、と頷くと私を見下ろした。
「ここに"それ"ごとあなたの魂を受け入れることができる強靭な器があるわ。あなたは今から彼女として生きていくことになる」
真っ白な世界で、今度は私の身体が強く光り始めた。
足先から自分が光の粒子になっていくのが見える。
「えっ!? い、今から!? 待って、まだ聞きたいことが、」
「いい? 忘れてはダメよ。あなたができる限り長く生きることが」
"それ"の…浄化……
…すべての……魂の……
……救済…に……
繋が………
……………………
普段エブリスタで書いている同名小説をこちらでも順次アップしています。
★毎日22時に続話追加




