『あの日』のこと
広いフェリオール邸の庭園の中とはいえ、猫たちが集まる場所はいつも決まっていて、案の定その猫集会が開かれる場所にクロヴィスはいた。
庭園のベンチに座っている彼は、猫たちにちょうどいいソファーやベッドにされている。
春の午後の麗らかな日差しに輝く彼の黒髪は黒曜石のようで、こう言ったら失礼でしかないんだけどなんていうか……毛並みがいい。
猫たちを驚かせないようなるべく静かに近づいたつもりだったけど、クロヴィスに甘えてくつろいでいる猫たちと彼が顔を上げて私を見たのは同時だった。
「お嬢様、」
「そのままで大丈夫ですよ」
膝に乗っている猫を下ろして立ち上がろうとした彼を笑顔で制止した。
そう。
いつの時代も、どの世界でも、人は猫の奴隷でなければならない。
「ミャオ~」
「ふふ、ごめんなさい。今日はおやつを持ってきてないの。お詫びに今度はとびきり美味しいものを用意してきますね」
おやつを期待して足元に擦り寄る猫たちに謝りながら、その頭や喉を優しく撫でていく。
「あなたがここにいると、ヘルムート団長に聞いたので」
「……わざわざ申し訳ありません」
「謝らないでください」
ここは私にとってはもちろん、アゼリアにとっても、日常のしがらみをひととき忘れさせてくれる貴重な癒しの場なんだから。
クロヴィスの隣に腰を下ろすと、足元にいた猫たちは慣れた様子で私の膝に乗ってくる。
私はしばらくの間ツヤツヤでふわふわの体を撫でて幸せを噛み締めた。
私たちの周りの猫たちが再びうとうととお昼寝モードに入り始めたところで、私は隣のクロヴィスを見る。
「実は、いくつかクロに聞きたいことがあって」
「はい、なんでしょう」
なんでもお答えします、という真っ直ぐな瞳に頷きを返す。
「わたくしが襲撃を受けた、あの日のことなんですが」
「…………」
クロヴィスは少しだけ目を細めた。
彼にとっても苦い記憶なようだ。
わざわざ思い出させないといけないなんて、少し心が痛む。
逃げるように視線を膝の上の猫へ落とした。
「……わたくしは襲撃を受けてすぐに気を失ってしまったので、あの後のことを何も知らなくて」
「……はい」
「きっと大騒ぎだったのでしょう? あの後何があったか、事実を教えてくれませんか」
「…………」
「わたくしならもうすっかり元気なので、心配しないでください」
この若い騎士はとても優しいから、事実を伝えた際のアゼリアの心配をしてくれているんだろう。
クロヴィスはほとんど無意識なのか、伝えるための言葉を考えながらも指先は膝の上の猫の顎を撫でていた。
「……お嬢様にお怪我をさせた犯人の身柄は俺がすぐに取り押さえ、今はローゼンベルグ家で拘束されています」
「ローゼンベルグ……」
……アゼリアへ一途すぎる情熱を注ぐ、ルチアナの実家だ。
でもよりによってどうしてローゼンベルグに?
王宮の堅固な牢獄ではなく?
クロヴィスは私の疑問を予測していたようで、すかさず補足した。
「お嬢様を傷つけた犯人に対してルチアナ様がものすごくお怒りになり、自ら犯人への尋問を引き受けたんです。ローゼンベルグ家は四大公爵家の中でも刑法全般を担ってますので、ジェトリウス様も反対されませんでした。身元は所属不明の魔術師だと聞きましたが、動機や会場への侵入手段などはまだ口を割らないでいるそうです」
『ただの死なんて生温い!! アゼリアを傷つけたお前のことは、私がこの手で100億回殺してから殺す!!』
………………見たことがないはずの光景がなぜか見えた気がして頭を抱えそうになる。
ルチアナなら言いそうすぎるし本当にやりかねない……。
「あの時のお嬢様の傷は……正直即死しなかったことが不思議なほどのものでした。パーティーにはレオンハルト王子殿下もご出席されていたので、殿下自ら、付き添いの魔術師と共にすぐにその場でお嬢様へ蘇生と治癒魔術を使用されたんです。……もし殿下のご判断が一瞬でも遅かったら、………………」
クロヴィスは言葉を切る。
……きっと私は死んでいた、と。
アゼリアの婚約者であり、この国の第一王子。
冷徹で無駄を嫌う王家の血筋を色濃く継いでいる感じなのに、婚約者であるアゼリアへは情をかけたんだろうか。
クロヴィスと合わせてレオンも、アゼリアの命の恩人だったんだなぁ……。
「当然ですが、会場は大混乱でした。ジェトリウス様が冷静にその場を収めましたが、混乱はかなり後を引いたようです」
ジェトリウスの手配した警備の薄さ……正直大袈裟なくらいでまったく薄くはなかったけど。そこを指摘してフェリオール家を陥れようとする貴族が大量に湧いて出たことは簡単に想像ができる。
火消しは相当大変だっただろう。
……むしろまだ消えてないかも。
クロヴィスはハッとして慌てて「お嬢様には何の非もありません」と付け加えた。
彼の言葉に私を責める意図がないことはわかっていたし、事実が知りたいと言ったのは私のほうだ。
ここまで隠さずにきちんと伝えてくれて助かる。
「あの場にはミモナもいましたよね。……ミモナは大丈夫だったのですか?」
優しく姉想いで純粋な妹は、かなり不安な思いをしたんじゃないか。
でも今日話した感じだとだいぶ落ち着いているようだった。
「……これは俺もセイリスから聞いた話ですが、ミモナお嬢様は相当取り乱されていたようで、ジェトリウス様が手配した王宮の魔術師がやむを得ずあの夜の一部の記憶に阻害魔術を施したそうです。おかげで今はなんとか普通に過ごせているんだとか」
俺が把握しているのはこれくらいです、とクロヴィスは締め括った。
「教えてくれてありがとう、クロヴィス。あなたにとっても思い出すことはつらいことのはずなのに」
「本当につらかったのはお嬢様のほうでしょう。……俺はあなたのことを守れなかった。護衛騎士失格です」
だから~、むしろあの時クロヴィスが手を引いてくれたから私の体は真っ二つにならずに済んだのにまだそんなこと言う?と明るく笑って言おうとしたものの、突然ザワリとした空気を感じて慌てて隣の彼を見る。
「……あの時あなたを失うかもしれないと……どうしてもっと強くなっておかなかったのかと……後悔して、自分のことをどれだけ責めても、俺は俺自身のことが許せない」
殺気と怒りの混ざった澱んだ雰囲気を察知したのか、私たちの周りにいた猫たちがそそくさと立ち去っていってしまう。
そんな気に病まないでと私が言うのもきっとなんか違うんだろう。
大袈裟だなーと笑い飛ばすには、彼は真面目すぎる。
今の彼を救うことができる言葉は何だろう?
近づくだけで人を殺せそうなほど殺気立っているクロヴィスに対して私は迷った末、そっとその頭を撫でる。
「!」
目に見えるほどふわりと、その場の空気が軽くなった。
「ありがとう。わたくしの護衛騎士があなたじゃなかったら、きっとわたくしは今こうしてあなたと話すことはできていませんでしたよ。傷はもう治ったのですから、『傷つけた』のではなく『守った』のだと胸を張ってください」
「……でも」
「あなたが自分を責めていると、あなたにそんな想いをさせてしまったわたくしも、自分を責めてしまいます」
「……! そんな、それは違います……!」
クロヴィスの髪はうらやましいほど柔らかくて艶があり、何となく手を離すのが名残惜しくなってさわさわとまた撫でてしまう。
仮にもアゼリアより年上の男性、しかも誇り高い騎士に対してこんなことをするのは失礼なのかもしれないけど、どうしても手が離せそうにない。
「襲撃に遭ったのはわたくしの身から出た錆でしょう。今後はわたくしも己の言動を見直して、人の恨みを買うようなことにならないよう気をつけていくつもりです」
「お嬢様……」
「だからクロ、わたくしと一緒に強くなりましょう。……『アゼリア』の命を、これからも一緒に守ってね」
「…………もちろんです。俺はそのために生まれてきたんですから」
ところでクロは何のシャンプーを使ってるの?
え? 騎士団の団員用シャワー室に置いてあるやつですけど……。
えっ、あの安いやつ!? な、なんであのシャンプーで洗ってこんなに綺麗な髪が……。
美しい黒髪への嫉妬を隠しきれていない私を見て、クロヴィスはようやく笑ってくれた。
「……ありがとうございます、お嬢様」
「ん? わたくし、今何かしました?」
「俺がお護りしているのが、あなたで本当によかった。あなたのおかげで、俺はまだまだ強くなれそうです」
もう充分強いですけど!?
強さの追求がストイックすぎる……!
まぁ、アゼリアもストイックだから気持ちはわかるけど!
いつの間にか日が傾き始めてきたので、場所を移動しようと提案する。
猫たちはすっかりどこかへ行ってしまったけど、クロヴィスの黒い騎士団の制服には彼ら彼女らと触れ合った痕跡がしっかりと残っていた。
「しょうがないです、あいつらもうすぐ換毛期だし」
「確かに、最近はよく毛が抜けるようですね」
「一応毎日全員ブラッシングしてるのにこれなんですよね」
……猫たちのブラッシングをしてるクロヴィスもめっちゃ見てみたいな。
服についた猫の毛をある程度払ってから邸内へ入り、その間も他愛のないおしゃべりをする。
「そういえばふと思ったのですが、クロヴィスとセイリスは戦ったらどちらが強いですか?」
「剣術だけならセイリスです」
「他があるの?」
「セイリスはヘルムート団長と同じで魔術が使えないので、魔術の使用制限がなければ勝率は俺のほうが高いと思います。体術はさすがに五分かな……」
つまり、あの裏切り者顔の腹黒い騎士はほとんど剣の腕だけでミモナの護衛騎士を務めているのか……凄まじいな……。
「騎士の強さは剣術と体術によって王宮に評価されます。なので魔術を扱える騎士は国内でもそう多くいません。使えても評価には反映されないので」
「そうなのですね……魔術が使えた方が絶対有利なのに」
クロヴィスは気にしていないとでも言うように、からっと笑った。
「ジェトリウス様もお嬢様と同じことをおっしゃってましたし、俺も同じ意見です。古いしきたりに囚われた騎士の基準なんてくだらない、戦場ではいつだって強い方が勝つし、最後に立っていた方が勝者だと」
アゼリアの復学まで、あと3日。
普段エブリスタで書いている同名小説をこちらでも順次アップしています。
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