別れ
「この落ち葉綺麗だよ! くろ、遊ぶ?」
俺はもうそんなので遊ぶほどガキじゃないよ。
鼻先に翳された落ち葉から秋の香りを少しだけ嗅いでから、俺はまた彼女の腕に頭を埋める。
「くろ、眠いの? ちっちゃい頃はなんでもおもちゃにして遊んでくれたのに……ちぇっ」
ベランダで拾った落ち葉をつまらなさそうに手放した玲は、その手で膝で眠る俺の頭をそっと撫でた。
うとうとした目で彼女を見上げれば、玲はニコニコしながら俺を見下ろしていた。
「くろの目はほんとに綺麗な緑色だねぇ。よーく見るとお日さまの光で右が青で左が黄色にも見えて、宝石みたい」
ふーん……?
玲の目も綺麗だよ。
「今年の冬もくろがいればあったかいね、ありがとねぇ~。これからもずーっと一緒にいようね!」
別に俺には他に行くところもないし、暖かい寝床と美味しい食事があって玲がいるなら……まあ、一緒にいてやらなくもないかな。
たまになら落ち葉で遊んでやらなくもない。
返事代わりに小さく尻尾を揺らすと、彼女はそれだけのことが特別なことみたいに笑った。
「くろ、今日も見送りありがと! 明日は天気がいいみたいだから、ブラッシングとシャワーしてあげるね。男前にますます磨きがかかっちゃうねぇ~」
丁寧に触れてくれる玲のケアは嫌いじゃない。
シャワーの音はいまだにちょっと嫌だけど。
「じゃ、約束だよ! お母さーん、行ってきまーす!」
いってらっしゃい、玲。
「行ってらっしゃーい。私もすぐ出るから鍵開けといていいよー」
「はーい!」
朝、仕事に行く玲を玄関まで見送るのもいつものこと。
それから夜に玲とお母さんが帰ってくるまで、俺は静かな家でのんびり寝て過ごす。
それにももう慣れた、普通で当たり前の日常のはずだった。
なのに。
夜になっても次の日になっても……玲は家に帰ってこなかった。
「あら? くろまるひとり? 玲ったらまだ帰ってきてないの?」
暗い家の玄関で出迎えた俺の頭を撫でながら、「お腹すいたでしょ、かわいそうに」と言って、お母さんは真っ先に俺の皿にご飯を出してくれた。
「遅くなるなら連絡くれればいいのに。んー、夕飯何にしようかしら……」
そう呟きながらも着替える前に冷蔵庫を覗いたお母さんに、一本の電話がかかってきた。
彼女はその電話に出て一言二言会話を交わすと、血相を変えてすぐに家を飛び出していってしまった。
食事に夢中だった俺は彼女の電話の内容に耳を向けてなかったんだけど、仕事で何かあったんだろうか。
結局お母さんはそれから何時間も帰ってこなくて、帰ってきたのは時計の短い針が12を越えてからだった。
泣き虫の玲みたいに目を泣き腫らしたお母さんは、魂でも抜けたかのように玄関に膝から崩れ落ちるとその場で蹲って声をこらえて涙を流した。
悲しみの匂いがする。
どうしたの、お母さん。
大丈夫?
お母さんが泣いてると玲も悲しむよ。
「うっ、うぅ……くろまる…………玲が……」
玲?
玲がどうしたの?
「玲が……帰りに事故にあって……! 玲は、もう、もう……っ!」
"玲が事故"にあった。
お母さんからの深い悲しみの匂い。
"もう"。
それが何を意味するのかわかるくらいには、俺は彼女たちと長く過ごしていた。
玲。
大好きな玲。
俺の生きる世界、俺のすべて。
俺のことを温かいって言ってくれた玲。
俺だって玲がいなきゃ寒いんだよ。
玲のベッドは、俺だけで寝るには広すぎる。
どうして俺は人間じゃないんだろう。
「ありがとう」も「大好き」も、「心配しなくてもずっと一緒にいるよ」も、いくら頑張って伝えたところで俺の口から出るのは「ニャー」の音ばっかりだった。
大好きで、何よりも大切で、この世界で誰よりも幸せになって、ずっと笑っててほしかったのに。
ガキじゃないんだから、なんてかっこつけないで、落ち葉で遊んであげればよかった。
「抱っこしていい?」って手を伸ばしてきたのに、今眠いからやめてって断らなければよかった。
ねえ、玲。
玲は俺と一緒にいて幸せだった?
俺は幸せだったよ。
だからこそ後悔がたくさんある。
伝えたい想いも言葉も、伝えきれないくらいたくさんあるのに、まだなにも伝えられてない。
結局俺は深い未練と後悔を抱えたまま、喪失の悲しみからなかなか抜け出せないお母さんと10年の時を過ごしたのち、天寿を全うした。
普段エブリスタで書いている同名小説をこちらでも順次アップしています。
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