出会い
彼女との出会いは、秋の終わりが近くなった寒い朝のことだった。
母に捨てられ、兄弟たちともはぐれた俺は、踏み込んではいけない縄張りに足を踏み入れたせいで派手な制裁を受けた。
ジクジクと痛む腹の傷口、血はすでにだいぶ失われてて、冷たい地面に横たえた手足が急速に冷えていく。
遠のく意識に幼いながら死を覚悟したとき、目の前に現れたのが彼女……玲だった。
「おっ、おおおお母さん、どどどどうしよう! 死にそう!」
『はあ!? だ、誰が!?』
「猫! 黒くてちっちゃい猫! なんかめっちゃ怪我してるけどまだ生きてんの! どうしよ、救急車って動物病院行ってくれる!?」
道ゆくほとんどの人間はなにか汚いものを見るような目で見て通り過ぎて、電柱に止まるカラスでさえ、俺の呼吸と心音が止まるのを今か今かと待ち構えていた中で、彼女……玲だけが泣きそうな顔をして俺の前にしゃがみ込んでくれた。
「場所!? 駅前の西口公園! え? 学校? それどころじゃないよ!」
首に巻いていたマフラーを外した玲は、スピーカーにした通話相手のお母さんに悲痛な顔でそう言いながら、ビクビクした様子で慎重に俺のことをマフラーで包むと、おそるおそる抱え上げる。
兄弟の中でも特に痩せっぽちで小さかった俺は、その時はまだ玲の両掌に乗るくらいの大きさしかなかった。
「わ、わかった、調べとくから! ねえほんとお願いだからすぐ来て!」
俺に自分の体温を分け与えようとでもするかのように優しく抱えながら、玲はずっと泣きそうな顔で呟いていた。
「大丈夫、きっと元気になるよ……心配いらないからね」
優しい声。
初めて会った人間相手のはずなのに、孤独と不安でいっぱいだった俺は敵意のない温もりに触れてそこで意識を手放した。
…………腹が減った。
次に俺が目を覚ましたとき、近くに玲の姿はなくて、暖かいけど狭くて薄暗いケージの中にいた。
泥だらけだったはずの体は綺麗にされていて、腹の傷は縫われて塞いである。
「あら? おはよう。お腹空いてない? 君はどっちが好きかな~?」
マスクと手袋をした看護師によって目の前に差し出された、いわゆる"病院食"。
猫用のそれは、歯がなくても食べられるようなグズグズのウェットフードとドロドロのスープの二択だった。
この際食えるならなんでもよかった俺は目の前のそれをペロリと平らげる。
「おお、偉いねぇ~。もう少し食べられるかな?」
時間の感覚がなかったけど、食べて、寝て、もう一回食べたところで、玲がお母さんと一緒に迎えに来た。
彼女は元気に鳴く俺を見てまた泣きそうな顔になって、それから笑った。
壊れ物に触れるようにそっと伸ばされた手に喉を撫でられると反射でゴロゴロ言ってしまう。
「……今日から私たちが君の家族だよ」
世界の全てが見捨てた見ず知らずの俺のことを、彼女だけは見捨てないでくれた。
恩とか感謝とか……そんな言葉では言い表せない。
その日から玲は俺のすべてになったのだ。
……とは言っても、病院の帰りに初めて入れられた新品の臭いがするキャリーケースは窮屈で、狭くて怖くて俺は泣き喚きながら一緒に入れられた玲のマフラーをボロボロに引き裂いてしまった。
それでも彼女は「元気いっぱいでよかった〜! 帰ったらたくさん遊ぼうね!」と笑っていた。
黒くて小さくて丸くなって眠る様子から、玲は俺に『くろまる』という名前を付けた。
「くろ、見て! 綺麗な落ち葉~」
ベランダに舞い込んできた真っ赤な葉っぱを、玲は俺の前に楽しそうな顔でチラつかせる。
その頃、動いてるものに条件反射で飛びついてしまってた俺は、彼女の想像通りの行動をしたんだろう。
「ただいまー……うわっ! 迎えにきてくれたの? ありがとね!」
玲の足音が聞こえたら、玄関まで迎えに出て。
「くろ、おやすみ! また明日遊ぼうね」
部屋の電気が消えたら、玲と枕を共有して眠る。
「今日はくろがうちに来て1年の記念日だから美味しそうなの買ってきたよ、見て! じゃーん」
俺の食事やおもちゃ、鈴のついた赤い首輪に、ベッドやタワー。
何不自由なく与えられるものは全部、玲がバイトで稼いだお金で買ったものらしい。
その日彼女が学生服のブレザーの内ポケットからそう言って自慢げに取り出したのは、普段食べてるものよりも高級で美味しそうな、贅沢な逸品だった。
「またそんなの買って……くろまるが食べなかったらどうすんの」
「大丈夫! くろが白身魚とチキン好きなのはちゃんと知ってるから! 最悪私が食べるし!」
「バカじゃないの? 猫用のご飯をあんたが食べられるわけないでしょ」
「ちゃんと美味しいから食べるよねぇ~? はい、どうぞ!」
玲という少女は真面目だけど不器用で、優しいけど人並みにだらしないところもあって、そんな不完全さもまた彼女らしさとして愛しかった。
「もうそろそろ毛布しまわないと暑いでしょ?」
「でもくろがこの毛布お気に入りなんだよ。ここで寝たいんだって」
確かにこの白い毛布は気に入ってるけど、俺は玲と一緒ならどこでもいいよ。
「ああもう、わかった、一旦洗わせて! くろまるの毛だらけで白い毛布がグレーになってるじゃない! あんたこんなの被って寝てよく気にならないわね」
「元からこんな色じゃん? ねー、くろ♪」
玲と、お母さんと、俺。
広くはないアパートで過ごす時間は穏やかだった。
やがて玲が学校の制服を着なくなって、俺が落ち葉を夢中で追いかけなくなっても、彼女が俺を撫でる指先からは変わらずに愛情が伝わっていたし、俺たちは毎晩寄り添い合って眠った。
普段エブリスタで書いている同名小説をこちらでも順次アップしています。
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