それぞれの願い
私は立ち上がって伸びをしながらクロヴィスを振り返った。
「クロ。昨日の師匠の話なのですが」
「はい」
「受けようと思います。ヴェルザグラトをこの世界から確実に追放しつつ、わたくしもちゃんと生き残れるように。そのためには、この体を全開の聖女の加護にも耐え得る体にしないと」
「…………」
鼻がいいクロヴィスじゃなくてもわかってしまった。
その場が悲しみの匂いに包まれたことに。
私は慌てて言葉を付け加える。
「その、ええと……わ、わたくしは自分のことを粗末に扱っているわけではないのですよ。いつもあなたがわたくしの幸せを守ってくれることには、本当に感謝しているんです」
「……はい」
「わたくしは死にたくない。その気持ちは今も変わりません。だからこそ、死なないために師匠の申し出を受けるのです。……それに」
「……?」
「この世界がヴェルザグラトの災厄に飲み込まれてしまったら……きっと未来の聖女や、わたくしの大切な人たちの子孫が悪魔の脅威に怯え、悲しい思いや痛い思いをすることになるでしょう? それは……無視できないなって、思ってしまったんです」
ソファーに座ったまま少し俯いているクロヴィスの顔は、前髪に隠れてしまってよく見えない。
「…………あなたはいつもそうです。自分のことを後回しにしてでも、目の前で苦しんでる他人のことを助けずにはいられない。……本当にお人好しで、自己犠牲的だ」
「えっ……?」
ちょっと待って……。
それは……どう考えてもアゼリアには当てはまらない、よね?
どくん。
確信が持てずにふわふわしていたひとつの予想が、少しずつ形を成していく。
「そんなあなただから、俺は誰よりも幸せになってほしかった。なのに……。死んだらそれで終わりです。意味がない」
「クロ……もしかして、あなたは……」
「俺はお嬢様のされたご決断には反対しません。ですが、今回のことはもう一度考え直していただけませんか? どうして……よりによってあなたが、死のリスクを負わなければいけないんですか……」
今までもそう、なんとなく予感はしていた。
クロヴィスが私を見るアップルグリーンの瞳には、どこかアゼリアではない誰かを映しているように感じる時があったから。
アゼリアは誰に対してもはっきりとした物言いこそしていたものの、決して身勝手で悪逆非道な公爵令嬢ではなかった。
ただ、目の前で苦しんでいる人を助けずにいられないようなお人好しでもなかった。
公爵令嬢という自分の立場をしっかりとわきまえていたし、必要であれば99を救うために1を切り捨てるような非情な決断もできただろう。
じゃあ、クロヴィスが言っていた自己犠牲的なお人好しって?
……前世の私のこと、では?
他人から嫌な人だと思われたくなくて、些細な用事をついつい断れずに引き受けてしまったり。
関係を悪くしたくなくて、自分が我慢すれば丸く収まる問題は何も言わずに我慢してしまったり。
自信がなくて、八方美人で、誰にも気づかれず、勝手に自分をすり減らしながら生きていく……そんな弱くて不器用な人間が、前世の私だった。
おそらく、目の前の青年は事故で死んだ前世の私のことを知っている。
「…………っ」
……誰なの?
どうしてここに?
前世の私には、生まれ変わってまで私のことを大切にしてくれるような人なんていなかったはず。
……あなたは私が"誰"なのかを知っているのに、私にはわからないなんて。
私はうるさい心臓を黙らせるために、深く息を吸って、ゆっくりと吐き出す。
……確か、真っ白な死後の世界にいたあの女神は、魂っていうのは感情も記憶も過去も真っさらになって転生する……って言ってた。
つまり、普通の魂は私のように前世の記憶を持ったまま転生したりしないんだろう。
ってことは、私ができる限り長生きするよう言われたのと同じように……クロヴィスも何かの制約を受けて転生したイレギュラーな魂なのでは?
私がアゼリアじゃないことに気づいていながら、そのことに一切触れなかったのは……その制約のせい?
次々に吹き出す疑問をなんとか押さえ込んで、私はもう一度深呼吸をしてから改めてクロヴィスに笑顔を向ける。
「……大丈夫ですよ、クロヴィス。だって、考えてもみて? 師匠曰く、7割も成功するのですよ。そして成功すれば、聖女の加護で多少の無茶をしても体が粉々になるような心配をしなくてよくなるのです」
「……」
静かに握り締められる青年の拳を見て、心の中で「ありがとう」と「ごめんね」を何度も繰り返す。
「……クロ、わたくしのことをよく知るあなたならわかるのではないでしょうか。突然の死の苦しみと同じくらい、未練や後悔もまた……胸の奥につかえて、静かに呼吸を奪っていくのだということを」
「……」
前世の私の"突然の死"は私から大切な人たちを奪っただけじゃなくて、その逆でもあった。
大切な人と突然会えなくなってしまって未練や後悔があるのは、残されたほうもきっと同じだっただろう。
「わたくしは死にたくないし、少しでも後悔がないように生きたい。どちらも同じ、わたくしのわがままであり、願いです。ですがこれらは前向きに考えたとき、あなたの願いとも一致しているのではないですか?」
「……俺は……」
急かさずに答えを待っていると、やがてクロヴィスは頷いてから顔を上げて私を見た。
「……お嬢様の笑顔と幸福こそ、俺の願いです」
「ふふ、ありがとう。これからもわたくしのそばにいて、力を貸してください」
「もちろん、仰せのままに」
大丈夫。
アゼリアは運がいいらしいし、7割成功する肉体鍛錬のハズレの3割を引いたりなんかしない。
普段エブリスタで書いている同名小説をこちらでも順次アップしています。
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