ヴァステリアと600年前の聖女(2)
クロヴィスが広げてくれた昔の聖女の巻物は、長さにして5メートル近くあった。
ヴァステリアは憎まれ口を叩いていたけど、600年も前の巻物がこうして劣化もせずに残っているっていうことは、間違いなく大切に保管されてたんだろう。
私は巻物の端から端へ、表面を聖女の加護で優しく撫でた。
すると禁書室とは少し違って、ところどころの文字が光ってふわふわと宙へ浮き上がり、意志を持ったかのように綺麗に整列していく。
ヴァステリアの亜空間を星空のようにきらきらと輝かせたそれらは、600年の時を超えたメッセージとなって完全な姿を現した。
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世界に愛されし、後世の聖女へ
あなたがこのメッセージを読んでいるということは、きっとエルグランド王家が封印の守護の任を全う仕損じ、ヴェルザグラトが復活しかけているということなのでしょう。
討伐に失敗した私のツケをこのような形で払わせることになってしまい、本当にごめんなさい。
私から伝えられることは多くはないけれど、ここに記すことが少しでもあなたの手助けになることを願っています。
ヴァステリア様の手記によると、ヴェルザグラトは「他者の感情を対応した自然現象へと変換し、操る力を持つ悪魔」とのことでしたが、正確には「他者の感情を己の魂へと変換する力を持ち、自然現象にまつわる魔術を好んで使う悪魔」のようです。
つまりヴェルザグラトにとって、喜怒哀楽の様々な感情に富むこの世界は、自己補完し続けることができる、まさに楽園。
おそらくこの世界に人間が生き続ける限り、奴の完全な消滅もまた難しいでしょう。
私も奴の肉体こそ破壊したもののその精神体までは完全な破壊に至らず、やむを得ず封印をし、その守護を王家へと託しました。
どうか今一度ヴェルザグラトを封印し、その封印の守護という大役をエルグランド王家に思い出させてやってはくれないでしょうか。
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優しい書体。
字の通り、きっと心優しい600年前の聖女は、この世界の人を守るためにヴェルザグラトと戦ったんだろう。
……怖くなかったのかな。
どう考えたってこれは私へ向けられたメッセージだっていうのに、私はまだ得体の知れない悪魔との戦いから逃げる方法ばかりを探している。
怖い。
死にたくない。
アゼリアの記憶を持つ私には、この世界には永遠の別れが惜しい人がたくさんいる。
申し訳ないけど、私はあなたのような救国のヒーローにはなれないよ。
どうにかならないかな。
レオンやヴァステリア、ジェトリウスの力をなんとか借りられないかな。
私が罪悪感と情けなさで泣きそうになっていると、輝きを放つ優しい文字たちは再びふわふわと動き出して、新たなメッセージを作り出した。
その内容に思わず目を見開く。
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…………とまあ、偉そうで無責任なことを言ってるなあと私も思います。
後世の聖女よ、どうか自分を責めないで。
あなたは自由で、ヴェルザグラトの再封印を請け負う責任も、戦う義務も、あなたにありはしない。
死を恐れることは、恥ではない。
逃げることは、無責任ではない。
あなたは何にも縛られることはなく、誰もあなたに力の使い道を強制できないのです。
ですので、もしもの時はヴァステリア様、私の代わりにヴェルザグラトの再封印をお願いしますね。
弟子の尻拭いも師匠の仕事だと思いまーす。
けど私はデキる弟子なので、一応心ばかりのお手伝いとして、封印の鍵になる魔術を残しておきまーす。
困ったら使ってもいいですよ(笑)
え?
歴史の転換点に関わると刑期が延びる?
は、どうせ2000年も3000年も変わらないでしょ(笑)
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「ナメやがって、あの小娘がぁ!!」
そう怒鳴って立ち上がったヴァステリアはお気に入りのはずの豪勢な装飾のある椅子の背を両手で掴むと、巻物に向かって力一杯振り下ろして叩き割った。
心なしか頭上の角が鋭く伸びている気がする。
ここまでヴァステリアを激昂させるなんて、600年前の聖女はとても愉快でお茶目な人だったらしい……。
「し、師匠、落ち着いてください」
「あンのロクデナシの大嘘つきめ! 死後600年経ってもなおこの儂をおちょくるとは!」
「お嬢様、文字がまた変化してます」
「!」
クロヴィスに言われて慌てて見ると、ヴァステリアを小馬鹿にしていた文字はまたふわふわと動いて新たな文章を紡ぎ出していた。
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きっと怒って椅子でも壊しているでしょうから、ヴァステリア様を揶揄うのはこのくらいにしてあげましょう。
というわけで、後世の聖女。
あなたがヴェルザグラトと戦わずとも方法はありますから、どうか責任を感じすぎないでくださいね。
あなたはこの世界に愛されている。
どうか同じだけこの世界と自分のことを愛し、大切にしてあげてください。
偉大なる大陶芸家
アイリスより
(追伸)
ヴァステリア様へ
ついに最後まであなたへ直接お伝えすることはできませんでしたが、私はあなたの魔術指導には本当に感謝しています。
ありがとうございました。
そして、ごめんなさい。
あなたが唯一美味しいと言って食べてくれた、私の手作りのカボチャスープ……
……実はあれ、家畜のエサのとうもろこしから作ったコーンスープだったんです(笑)
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「はぁ。さすがにスープにされたところで、カボチャととうもろこしの違いすらわからん儂ではないわ」
追伸を読んだヴァステリアが怒り狂って巻物を燃やしちゃったりしないかとヒヤヒヤしていたけど、彼女は意外と冷静だった。
ただ、口にはしなかったけどおそらくクロヴィスも私と同じことを思っただろう。
きっとこの大昔の聖女は本当に家畜のエサからコーンスープを作ってヴァステリアに飲ませたんだろうな、と。
私はいろんな意味で600年前の聖女……アイリスを尊敬した。
宙に浮いていた文字たちは役目を終えると、キラキラと輝きながら巻物の端の余白に集まっていく。
「これは……」
そうしてできたのはどの魔術書でも見たことがない魔術印だった。
ただ、ひとつだけわかる。
これはかなり複雑で強力な拘束力のある、悪魔を封印するための魔術印だ。
「……チッ、あの小娘め……そういうことだったのか……」
「?」
舌打ちをしたヴァステリアは険しい顔をしている。
「これは生命力を原料にした封印魔術だ。あの馬鹿は自分の命を使ってヴェルザグラトを封印し、後世で同じことが起こらなくて済むよう、儂らのためにこれを残したんだろう」
「……っ!」
「どうもおかしいとは思っていたんだ。ヴェルザグラトを討伐して世界は平和になったというのに、妙に死に急いでる様子でなあ。死後自分の肉体を火葬し、残った骨を練り込んで剣を5本鍛えろ、それを虚界……人間界と魔界の隙間だな、そことの"壁"が薄い場所に打ち込み、決して開かぬ鍵とせよ、と言い残したかと思えば、ほどなくして誰にも看取られることなく眠るように逝ってしまった」
「そんな……」
アイリスはまさに伝説と呼ばれるに相応しい聖女だったんだ。
世界を守るために命を捧げただけじゃなく、後世の聖女がヴェルザグラトとの戦いで困らないよう、強力な魔術まで残して。
「…………」
「……お嬢様?」
クロヴィスの声が遠くに聞こえる。
まるで耳元に心臓があるかのように、自分の鼓動が大きく聞こえた。
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