EP 9
異世界おでんとすれ違う価値観。そして気付いてしまった残酷な現実
「大将! 月見大根と、肉椎茸の串! あと、太陽芋の練り物を二つお願いします!」
「あいよっ! 嬢ちゃんたち、よく食うねえ!」
赤提灯……ではなく、淡く光る魔導ランプがぶら下がった屋台の長椅子。
醤油と出汁の香ばしい匂いが立ち込める中、私は目を輝かせて湯気の上がる鍋を見つめていた。
ルナミス帝国の裏路地にあるこの屋台は、佐藤太郎さんという偉大な地球人(建国者)が残したレシピを受け継いでいるらしく、なんと『おでん』が売られていたのだ。
「お待たせ! 熱いから気をつけてな」
ドカッ、と木製の深皿が二つ、カウンターに置かれる。
琥珀色の出汁が染み込んだ『月見大根』は、文字通り満月のように真ん丸で、お箸……じゃなくて串を刺すと、スッと崩れるほど柔らかく煮込まれている。
「はふっ、ふはぁ……っ! 美味しーい!!」
口に入れた瞬間、大根の優しい甘みと、魚介系の出汁の旨味が爆発した。
実習疲れの帰り道、コンビニで買っていたおでんも美味しかったけれど、この異世界おでんは別格だ。大根自体が持つ魔力というか、生命力が段違いに濃い。
「次はこれ、『肉椎茸』! ええっ、キノコなのにまるでお肉みたい! 噛むと肉汁とキノコの旨味が同時に溢れてくる……ご飯が欲しくなる味!」
私がハフハフと熱熱のおでんを頬張りながら一人で食レポをしている横で、銀髪の青年――冷徹な凄腕イケメンは、無言のまま恐ろしいスピードで串を平らげていた。
「大将。ロックバイソンの牛すじ串、あと五本。それとピラダイのつみれだ」
「あいよ! 兄ちゃん、細いのに底なしだな!」
彼は「奢りだと言ったのはお前だからな」という目つきで私をチラリと一瞥すると、山盛りの牛すじをあっという間に胃袋に収めていく。
それにしても、横顔が綺麗だ。
長い睫毛に、スッと通った鼻筋。どことなく影のある琥珀色の瞳。
ルークス様が「陽」のイケメンなら、彼は完全に「陰」のイケメンである。ただ、食べている時の顔は少しだけ年齢相応(たぶん私と同年代か、少し上くらい)の青年らしく見えて、私はなんだか嬉しくなった。
「ふぅ……。で? お前、さっきの『六法全書』とかいうのは何なんだ」
ある程度腹が膨れたのか、青年が串を置き、胡散臭そうな目で私を見た。
「あの状況で、抜刀もせず鞘で殴るなど正気の沙汰じゃない。あの手のゴロツキは、痛い目を見た程度じゃ学習しない。息の根を止めるか、二度と武器を持てないように腕を切り落とさなきゃ、次は寝首を掻きに来るぞ」
彼の言葉には、この過酷な異世界を生き抜いてきた者特有の、冷たく重い現実感がこもっていた。
「うっ……それは、そうかもしれないですけど」
私は月見大根をモグモグと飲み込み、姿勢を正した。
「でも、命を奪うのって、そんなに簡単にやっちゃダメだと思うんです。私、一応これでも医療従事者の端くれ……じゃなくて、人を癒やす仕事を目指しているので! それに、六法全書のルールで、過剰防衛は厳しく罰せられちゃうんです」
「六法全書……どこかの古代魔導書か? まるで神の呪いだな」
「あはは、当たらずとも遠からず、です」
日本の法律(という名のシステムによるポイント没収の恐怖)に縛られているなんて言っても、信じてもらえないだろうから誤魔化しておく。
彼は呆れたようにため息をついた。
「甘いな。お姫様の冒険者ごっこは、三日で死ぬぞ。その高価な『紅蓮の鎧』も、お前のような甘ちゃんが着ていれば、ただの歩く金庫だ」
「お姫様じゃありません! 私は神城美月。今日から自分の力で稼いで生きていく、独立したEランク冒険者です!」
私は腰の皮袋をポンッと叩き、胸を張った。
ルークス様のお城での過保護な生活を捨て、私は自立したのだ。
「フッ……独立ね。俺はリアスだ。せいぜい、裏路地で身ぐるみ剥がされないように気をつけるんだな、美月」
リアス、と名乗った彼は、出された水を一気に飲み干した。
口は悪いし態度も冷たいけれど、私の顔や装備を見ても「媚び」や「過保護」といった特別な扱いを一切しない彼の態度は、私にとってすごく居心地が良かった。
彼は私を「神速の剣士」でも「白衣の天使」でもなく、ただの「甘くて世間知らずな新米」として、対等に(底辺として)扱ってくれているのだから。
「リアスさんですね! 忠告ありがとうございます。でも私、案外しぶといので大丈夫ですよ! さっ、いっぱい食べてくださいね! 私、今日はギルドの依頼で銅貨を20枚も稼いだんですから!」
「……銅貨20枚? ほう、そいつは『大金』だな」
リアスがなぜかピクリと眉を動かし、憐れむような、いや、面白がるような底意地の悪い笑みを浮かべた。
その笑顔の意味を、この時の私は深く考えていなかった。
「大将、ごちそうさま! すごく美味しかったです!」
鍋の中がすっかり空になり、串入れの筒がハリネズミのように満杯になった頃。
私は満足げにお腹をさすりながら、屋台のおじさんに声をかけた。
「おう、毎度あり! 兄ちゃんもよく食ってくれて気持ちよかったぜ! えーっと、お代は二人合わせて……銀貨1枚と、銅貨80枚だな!」
「はいっ! 銀貨1枚と銅貨80枚ですね! ……ん?」
私は、皮袋に手を伸ばしたままフリーズした。
えっと。
銀貨1枚って、銅貨何枚分だっけ?
ギルドの受付のお姉さんは確か、「銅貨100枚で、銀貨1枚」って言っていたような……。
ということは、合計で銅貨180枚分?
今日の私の全財産は、広場の掃除で稼いだ「銅貨20枚」。
(……た、足りない!? 全然足りない!?)
冷や汗がどっと噴き出した。
異世界の物価を完全に甘く見ていた。よく考えたら、成人男性(しかもめっちゃ食べるネフィリム)と私の二人で、屋台のメニューを端から端まで頼みまくったのだ。地球の居酒屋感覚でも、2000円(銅貨20枚)で済むわけがない!
「あ、あの! 大将、私、銅貨20枚しか持ってなくて……! ランダムボックスで出したテントとか、浄水フィルターじゃダメですか!?」
「あぁ? なんだいそりゃ。ツケは効かねえよ、嬢ちゃん。まさか無銭飲食か?」
大将の目が、にわかにスッと細くなる。
マズい。このままじゃ「詐欺罪」あるいは「無銭飲食」として、警察(衛兵)に突き出される! 六法全書システムに違反して、せっかく貯めた3000Pが没収されてしまう!!
「ひいいいっ! ご、ごめんなさい! 今すぐ日雇いのバイト探してきますからっ! あ、そうだ、財布! もう一つ、非常用の財布が……!」
私は大パニックになりながら、腰のベルトを探った。
ギルドを出た時、確かに腰に結びつけていたはずの、小さな革の小袋。
そこには、今日の報酬の銅貨20枚が入っている……はずだった。
「……あれ?」
無い。
革の紐が、刃物のようなものでスパッと切られた痕跡だけが残っていた。
頭の中が真っ白になる。
思い返せば、冒険者ギルドの列でゴロツキに絡まれた時。
そして、さっきの路地裏で八人の男たちとすれ違った時。
あいつら、ただ絡んできただけじゃなく、そのどさくさに紛れて私の財布の紐を切ってスリ取っていたのだ!
「うそ……私の、全財産(2000円)……」
絶望で膝から崩れ落ちそうになった私の頭上から、チャリン、チャリン、と金属の触れ合う心地よい音が降ってきた。
「ほらよ、大将。銀貨2枚だ。釣りはいらねえ」
見上げると、リアスが懐から銀貨を取り出し、カウンターに無造作に放り投げていた。
「お、おう! 助かるぜ、兄ちゃん! 嬢ちゃん、いい連れを持ってよかったな!」
大将がホクホク顔で銀貨を回収する。
私は、涙目でリアスを見上げた。
「り、リアスさぁん……! すみません、私、奢るって言ったのに……! 財布、スられてて……!」
「……だろうな。お前、ギルドで絡まれた時に紐を切られてただろ。気づいてないお前がマヌケすぎるから黙ってたがな」
「ええええっ!? 気づいてたなら言ってくださいよぉ!」
「なぜ俺が教えなきゃならない? お前が自分で『奢る』って豪語したんだろうが」
リアスは意地悪く口角を上げ、私を見下ろした。
その琥珀色の瞳には、完全に「面白いオモチャを見つけた」という光が宿っていた。
「ど阿呆。これでお前は俺に、列を譲ってやった件と、この飯代で『二回も』借りが出来たな」
「ふえええん……! 異世界生活初日から、借金スタートぉ!?」
過保護なお城を飛び出し、意気揚々と冒険者の街へやってきた私の独立計画は。
初日の夜にして、「無一文」かつ「冷徹イケメンへの借金持ち」という、どん底のマイナススタートを切ることになったのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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