EP 7
冒険者ギルドの洗礼と、正当防衛のラインで悩む私。そして現れた冷徹なネフィリム
冒険者ギルドの重厚なオーク材の扉を押し開けると、むわっとした熱気と、エール(安酒)の酸っぱい匂い、そして汗と埃の匂いが押し寄せてきた。
「おおぉ……っ!」
私は目を輝かせた。
これぞ異世界! これぞファンタジー!
昼間から酒盛りをして大声で笑い合う戦士たち、クエストボードの前に群がって真剣な顔で依頼書を吟味する魔法使いや弓使い。ルナミス帝国は近代化が進んでいると聞いていたけれど、国境近くのこの街には、古き良き冒険者のロマンが色濃く残っているようだ。
「よしっ、まずは受付に並んで登録を……」
私は意気揚々と『新規登録・依頼受付』と書かれたカウンターの列の最後尾についた。
バックパックの重みと、腰の『白雪』の感触が、これから始まる冒険への期待を高めてくれる。
「おいおい、見ねえ顔だな。お嬢ちゃん」
突然、背後から声をかけられた。
振り返ると、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた三人組の男たちが立っていた。使い込まれた革鎧を着ており、顔には傷跡。絵に描いたような「柄の悪いゴロツキ冒険者」である。
「こんなむさ苦しい場所に、ずいぶんと上等なおべべを着たお姫様が迷い込んだもんだ。おい見ろよ、この鎧……ミスリル銀に特注の魔導結界コーティングじゃねえか。すげえ金かかってるぞ」
一人の男が、私の着ている『紅蓮の鎧』を値踏みするように舐め回す。
しまった。私にとってはルークス様からもらった大切なお守りだけど、プロの冒険者から見れば「私は金持ちのカモです」と宣伝して歩いているようなものだ。
「貴族のお嬢様の冒険者ごっこか? 怪我する前に、おうちのベッドに帰んな。それとも、俺たちが特別に『大人の冒険』を教えてやろうか? ギャハハハ!」
周囲の冒険者たちは、見て見ぬふりをして酒を飲んでいる。新人の「洗礼」として黙認されているらしい。
男の一人が、下卑た笑みを浮かべて私の肩に手を伸ばしてきた。
(……来た。テンプレ通りの絡まれイベント!)
私はスッと腰を落とし、左手で白雪の鞘を握った。
抜けば、一瞬だ。この距離なら、三人の首を落とすのに瞬き一回の時間もかからない。
しかし、私の脳内には『スキル説明書』の警告文が赤文字で点滅していた。
【絶対遵守事項:六法全書の適用】
日本の法律に違反する行為を行った場合、莫大なポイントが減算、あるいはスキルが凍結されます。
(待って。今この男たちを斬り捨てたら……完全に『過剰防衛』、あるいは『傷害致死罪』になる!? いやいや、そもそも向こうはまだ暴言を吐いているだけで、手を出してきていない。今ここで抜刀したら、私がただの通り魔(先制攻撃)になっちゃう!)
刑法第36条、正当防衛の成立要件は「急迫不正の侵害」が存在すること。
つまり、相手が明確な害意を持って物理的な攻撃を仕掛けてきた瞬間にのみ、反撃が許されるのだ。しかも、相手が素手なのにこちらが真剣を使えば、防衛の程度を超えたとみなされる可能性が高い。
「あ、あのぅ、すみません」
私は刀から手を離し、極めて真面目な顔で男たちに尋ねた。
「もし私から金品を奪ったり、危害を加えようとしているのなら、先に『明確な殺意または害意を伴う第一撃』を打ってもらえませんか? あ、もちろん急所は外してほしいんですけど。そうしてもらわないと、正当防衛が成立しなくて私が困るんです」
「…………は?」
男たちの顔から、下卑た笑いが消えた。
代わりに浮かんだのは、「何言ってんだコイツ、頭おかしいのか?」という純粋な困惑だった。
「な、舐めてんのかテメェ! 痛い目見ねえと分からねえらしいな!」
激昂したリーダー格の男が、ついに右の拳を大きく振り上げた。
よしっ、急迫不正の侵害、成立! 相手は素手だから抜刀はせず、白木の鞘のままアゴを打ち抜いて脳震盪を起こさせる!
私が迎撃の体勢に入った、その瞬間だった。
「――邪魔だ。後がつかえてる」
氷のように冷たい、低い声が響いた。
直後。
ドゴォォォンッ!!
私の目の前にいたリーダー格の男が、何の見えない力で弾き飛ばされたかのように宙を舞い、ギルドの壁に激突して白目を剥いた。
いや、見えない力じゃない。
私の背後から歩み出てきた「誰か」が、とんでもない速度で男の鳩尾に前蹴りを叩き込んだのだ。
「あ、兄貴ィ!?」
「て、テメェ、何しやがる!!」
残された二人のゴロツキが慌てて武器に手をかけるが、乱入者はため息をつきながら、腰に提げていた鞭の柄だけを握り込んだ。
「チッ……ギルドの列で立ち止まるな。俺はさっさと依頼の報告を済ませて、飯を食いたいんだよ」
言うが早いか、男の姿がブレた。
鞭の柄の末端による、流れるような二連撃。
「ガッ」「ゴッ」という鈍い音と共に、二人のゴロツキは悲鳴を上げる間もなく床に崩れ落ち、泡を吹いて気絶した。
一瞬の出来事だった。
「…………えっ?」
私は目を見開いて、その乱入者を見上げた。
彼が振り返る。
……顔がいい。いや、ルークス様とは全く違うベクトルの、凄まじい色気と危険な香りを放つ超絶イケメンだった。
銀色の髪に、魔力を帯びたような鋭い琥珀色の瞳。
ルークス様が「太陽の下の白馬の王子様」だとするなら、彼は「月夜に君臨する魔王」のような、近寄りがたい美しさを持っていた。
(魔刃鞭……それに、この圧倒的な魔力の気配)
彼の背中に一瞬だけ、漆黒と純白の翼が幻のように揺らいで見えた気がした。天使と魔族の混血、ネフィリム。そんな単語が私の頭をよぎる。
彼は倒れたゴロツキを一瞥すると、靴の裏についた汚れを気にするように舌打ちをした。
「英雄だの勇者だの、寝言は寝て言え。この世界は、力が無ければ潰され、金が無ければ干からびるだけだ」
誰に言うでもなく独り言のように呟いた彼は、つかつかと私の方へ歩み寄ってきた。
私は思わず身構えた。
まさか、私まで「生意気だ」と叩きのめされる!?
「あ、あの……助けていただき、ありがとうございま――」
「おい、お前」
彼が私を見下ろす。その瞳には、私の着ている『紅蓮の鎧』に対する敬意も、私の顔への興味も、1ミリも存在しなかった。
「お前もだ。登録するのかしないのか、どっちかにしろ。受付の列が止まってて邪魔なんだよ」
「……へっ?」
彼は「助けてやったお姫様」であるはずの私を、完全に『道の真ん中にあるカラーコーン』か何かと同じ扱いをして、さっさと私の横を通り過ぎ、受付嬢の元へ歩いて行ってしまった。
「な、なんだアイツ……! 魔物の討伐証明部位をあんなに山ほど……」
「触らぬ神に祟りなしだ。アイツは凄腕だが、金と効率にしか興味がない冷血漢だからな……」
周囲の冒険者たちがヒソヒソと囁き合っている。
私はポカンと口を開けたまま、彼の手続きが終わるのを眺めていた。
ルークス様は、私が少し歩くだけで「護衛を!」「手が荒れる!」と騒ぎ立ててくれた。
しかし、あの彼は、女の子がゴロツキに囲まれていようが知ったことではなく、ただ「自分が受付に行くのに邪魔だったから」男たちを蹴り飛ばしただけなのだ。
(……なんか、すっごく新鮮!)
異世界に来て初めて「か弱いお姫様」ではなく「ただの邪魔な通行人A」として扱われたことに、私は不思議と清々しさを覚えていた。
「次の方、どうぞー!」
受付嬢の声にはっと我に返り、私は慌ててカウンターへと進み出た。
「は、はいっ! 新規の冒険者登録をお願いします!」
木製の身分証(一番下のEランク)を受け取り、私はようやく異世界での「自立への第一歩」を踏み出した。
この後、あの超・現実主義で冷徹なイケメンと、まさか屋台のおでん屋で相席することになるなんて、この時の私はまだ知る由もなかったのである。
読んでいただきありがとうございます。
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