EP 2
ボロボロの村と芋ジャージの人魚姫。インフルに抗生剤は効きません!
国境の街ガルムを出発して、ひたすら街道を歩くこと数時間。
人間、魔族、獣人の三大国の勢力がちょうどぶつかり合う中立地帯――通称『緩衝地帯』へと入るにつれ、整備されていた石畳の道はだんだんとひび割れ、周囲には荒涼とした景色が広がり始めていた。
「ねえ、リアスさん。本当にこの道で合ってるんだよね? なんだか、どんどん不毛の地に向かっている気がするんだけど……」
私は大容量のバックパックを背負い直し、額の汗を拭った。
いくら『紅蓮の鎧』が軽くて快適とはいえ、周囲の空気そのものがどんよりと重苦しい。
「だから言っただろうが、ど阿呆。前金で金貨10枚なんていう美味い話に飛びつくからこうなるんだ。あそこはただの辺境じゃない、各国の小競り合いで荒れ果てた、見捨てられた不毛の土地だぞ」
リアスは腰の魔刃鞭を軽く叩きながら、呆れたようにため息をついた。
その美しいゆで卵肌は相変わらずツヤツヤだが、表情は「地獄の門へ向かう罪人」のように暗い。
「いや、美月殿! 見てみろ、あそこに看板が立っているぞ。あれが目的地であるポポロ村に違いない!」
前方を歩いていたルークが、安物の鉄の剣の鞘をシャキーンと鳴らしながら振り返った。
彼が指差した先には、今にも腐って崩れ落ちそうな、シロアリに喰い荒らされた木製の看板があった。そこにはかすれた文字で『ポポロ村』と書かれている。
私たちは、期待と一抹の不安を胸に、その看板をくぐり抜けた。
そして、目の前に広がった光景を目にした瞬間、全員の動きがピタリと止まった。
「…………何だ、このボロボロの村は……」
完璧な美貌を持つ元公爵令息の口から、乾いた、絶望的な呟きが漏れ出た。
そこは、「村」と呼ぶのすら躊躇われるほどの惨状だった。
地面は干からびてひび割れ、雑草すら満足に生えていない。
立ち並ぶ家屋の半数は屋根が吹き飛び、壁には何かの魔獣に引っ掻かれたような生々しい爪痕が残っている。人影は全くなく、ただ乾燥した風がヒューヒューと虚しく吹き抜けるだけ。
「想像以上のディストピアだわ……。これ、インフラ整備っていうレベルじゃないよね? 完全に廃村寸前じゃない……」
私はゴクリと唾を呑み込んだ。前金の金貨10枚(約100万円)の重みが、急に命の担保のように思えてくる。
「フン、今ならまだ引き返せるぞ。ギルドに前金を突き返して、この依頼は無かったことに――」
リアスが冷酷に撤退を提案しようとした、その時だった。
にぎやかで、妙にキャッチーな、そしてどこか懐かしい『電子音のイントロ』が、静まり返ったボロボロの村の奥から響いてきたのだ。
テケテケテケテケ、キラキラリーン☆
「……ん? 何だこの音は。魔導拡声器の響きだな」
「行ってみましょう! 生存者がいるわ!」
私たちは音のする村の中央広場(らしき荒れ地)へと急いだ。
そこには、奇妙な集落(?)が形成されていた。
ボロボロのテントが数張り。そして、その中心に置かれていたのは、ひっくり返された**プラスチック製の『みかん箱』**だった。
そのみかん箱の上に乗って、手作りの魔導マイクを握り締め、全力でステップを踏んでいる一人の美少女がいた。
「……えっ?」
私は思わず目を見開いた。
年齢は16歳くらいだろうか。透き通るような青い髪に、宝石のように純真な瞳。魔族の妖艶さとも、人間の整った顔立ちとも違う、お伽話に出てくる『人魚姫』そのものの、儚げで可哀想なほど可愛い美少女。
……しかし、彼女が身に纏っていたのは、ルナミスデパートのセール品と思われる、絶望的にダサい**『ピンク色の芋ジャージ』だった。
しかも足元は、完全に履き潰された茶色の『健康サンダル』**。
その凄まじいビジュアルのギャップに、私たちが硬直しているのもお構いなく、彼女はみかん箱の上で、数人のおじさん(と、なぜか一匹の野良犬)という極小の観客に向けて、満面の笑みで歌い始めた。
「みんなー! 今日も私のステージへようこそぉ! 届いて、私のミラクルボイス! 『インフル・バスター ~お薬の時間よ~』、ミュージック、スタートですのぉー!」
ジャチャジャーン!! と、安っぽい電子音が鳴り響く。
彼女――海中国家シーランの元プリンセスであり、現在は極貧地下アイドルに転落中の『リーザ』ちゃんは、健康サンダルをペタペタと鳴らしながら、拳を突き上げて熱唱し始めた。
♪ ガンガンガン! アタマガガン!
♪ 視界が回るよ 39度!
♪ インフルエンザ大魔王 やっつけろ!
「オ、オ・レ・の! リーザぁぁぁっ!」
「リーザちゃん、今日もジャージが眩しいよぉぉ!」
最前列にいる、頭のハゲ散らかったボロ服のおじさん三人組が、涙目で手製のペンライト(ただの光る陽薬草)を激しく振り回している。野良犬も「ワォォーン」と遠吠えでコールを入れている。
(……インフル?)
私は、おでんにサケスキーのアルコールが数ミリグラムだけ残っていた脳をフル回転させた。
インフルって、まさか地球のあの『インフルエンザ』のこと? たぶん、佐藤太郎さんがこの世界に持ち込んだ現代知識の病名だろう。医療系大学生として、その単語を無視することはできなかった。
リーザちゃんの歌は、ついにサビへと突入する。
彼女はジャージの袖をまくり上げ、可愛いウインクをキメながら、必殺技を放つポーズをとった。
♪ 今だ! 必殺! タミフルパーンチ!
♪ コウ・セイ・ザイ! ビーム!(キラッ☆)
「うおおおぉぉぉっ! コウセイザイビーム、いただきましたぁぁ!」
おじさんたちが歓喜のあまりバタバタと倒れ込む。
しかし、そのサビの歌詞が鼓膜に到達した瞬間、私の医療従事者(見習い)としての『魂』が、限界突破して大爆発を起こした。
「――ちょっと待ったぁぁぁぁぁぁぁぁねぇぇぇーーーーーーッッッ!!!」
私はバックパックを放り投げ、もの凄い勢いでみかん箱の前に乱入した。
「ふぇっ!? な、なんですのぉ!?」
歌を強制中断されたリーザちゃんが、マイクを握ったまま目を丸くして硬直する。最前列のおじさんたちも「なんだあいつ!」「リーザちゃんのステージを邪魔するな!」と騒ぎ立てるが、今の私には何も聞こえない。
私はみかん箱の上にいるリーザちゃんの芋ジャージの襟元をガシッと掴み、顔を至近距離まで近づけて、熱弁を振るい始めた。
「リーザちゃん!! タミフルはまだいいわ! 抗インフルエンザ薬だから、発症から48時間以内ならウイルスの増殖を抑える効果がある! それは正しい!」
「は、はいですの……?」
「でもね!! インフルエンザ(ウイルス)に『コウセイザイ(抗生剤・抗生物質)』は、1ミリも、絶対に、逆立ちしたって意味がないのよぉぉぉぉっ!!」
「ふぇぇぇっ!?」
私のあまりの迫力に、リーザちゃんが涙目になって後ずさる。だが、看護学生のリミッターが外れた私を止めることは誰にもできない。
「いい!? 抗生物質っていうのは、細胞壁を持った『細菌』を殺すための薬なの! 対してインフルエンザは、細胞を持たない『ウイルス』なのよ! 構造が根本的に違うの!
風邪やインフルエンザの時に『とりあえず抗生剤出してください』って言うお医者さんや患者さんが地球にもたくさんいたけど、あれは二次感染の予防かただの気休めなの!
ウイルスに抗生剤を使っても、ウイルスは死なないどころか、お腹の中の良質な善玉菌(乳酸菌とか)が全滅して、ただただ猛烈な下痢に襲われるだけなのよぉぉぉ!」
「げ、げりぃぃっ!? アイドルに向かって下痢なんて言っちゃダメですのぉぉ!」
リーザちゃんは恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして、芋ジャージの袖で顔を隠した。
「……おい、美月。頼むから初対面の、しかも芋ジャージを着た妙な人魚のガキを相手に、専門知識でキレ散らかすのはやめろ。見てるこっちが恥ずかしい」
後ろから追いついてきたリアスが、完全に遠い目をして私の肩を掴んで引き剥がした。
「あ、美月殿! しかし、あのボロボロのみかん箱の上で、芋ジャージという質素な装束を身に纏い、民の病を払うために命がけで歌う彼女の姿……。これぞまさに、歴史から隠された『悲劇の歌姫』ではないだろうか!」
ルークは一人、サファイアの瞳を感動に潤ませて、折れた鉄の剣を胸に当てていた。この王子様、本当にブレないな。
「ふ、ふぇぇ……。あ、貴方たち、一体誰なんですの……? 私の神聖なギグ(みかん箱)をめちゃくちゃにして……」
芋ジャージの裾を握りしめ、健康サンダルの中で足をモジモジさせながら、リーザちゃんが涙目で私たちを見上げた。
「あ、ごめんなさい! 私、チーム・白雪の神城美月です。B級冒険者で……その、医療の知識に関してはちょっとうるさいだけで、怪しい者じゃないの!」
私が慌てて笑顔を作ると、リーザちゃんは「ふぇ?」と、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で呆然と立ち尽くしていた。
こうして、荒れ果てた不毛の地『ポポロ村』での、私たちの記念すべき最初の出会いは。
感動の村おこしの始まりではなく、元看護学生による「インフルエンザへの適切な薬物治療の熱弁」という、完全に明後日の方向への大爆発によって幕を開けたのだった。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




