EP 2
川から飛び出した巨大凶悪魚を一刀両断したら、ロマンチストなイケメン公爵令息に拾われました
見知らぬ森を歩き始めて、およそ一時間が経過した。
頭上を覆い隠すような巨大な樹木の隙間から差し込む日差しは、私が知っている地球のそれよりも少しだけ刺すように強い気がする。
「あー、喉渇いた……。いくら実習で徹夜慣れしてるとはいえ、水分補給なしの山歩きは脱水症状の危険があるわ……」
パジャマ代わりに着ていたグレーのスウェット上下は、すっかり森の土や葉っぱで汚れ始めている。
歩きながら、私は空中に半透明のパネルを呼び出した。
【現在の所持ポイント:900 P】
初期ボーナスの1000Pから、先ほど『白雪』を呼び出すために100Pを使ったので、残りは900P。
先ほど、茂みの横に落ちていた明らかに人工物である謎の空き缶(オリーブドラブ色に塗られ『ルナミス帝国軍支給品』と謎の文字が書かれていたが、今の私には読めなかった)を拾ってポケットに入れたところ、【善行獲得:ゴミ拾い +1P】という通知が出た。
現在、901P。
つまり、この世界で地道に良いことをし続ければ、ポイントを貯めて現代の物資を呼び出し、生き延びることができるというわけだ。
「……あ、水の音!」
耳を澄ますと、木々の向こうからサラサラという心地よいせせらぎの音が聞こえてきた。
駆け足で茂みを抜けると、そこには太陽の光を反射してキラキラと輝く、美しい清流があった。川底の小石までくっきりと見えるほど透明度が高い。
「よかった、これなら煮沸しなくてもギリギリ飲める……かも。いや、でも未知の寄生虫とか細菌感染のリスクを考えたら……」
医療系学生としての知識が警鐘を鳴らすが、喉の渇きは限界だった。
私は川岸にしゃがみ込み、そっと両手を水面に差し入れた。冷たくて気持ちいい。
その時だった。
川底の影が、不自然に揺れた。
直感的に「ヤバい」と思った時には、すでに水柱が上がっていた。
「シャアァァッ!!」
水しぶきを上げて飛び出してきたのは、ピラニアを中型犬ほどのサイズに巨大化させたような、凶悪な面構えの魚型モンスターだった。
この世界における『ピラダイ』(ピラニアの凶暴さと鯛の美味さを併せ持つ魔獣)である。
鋭く並んだノコギリのような牙が、私の顔面に向かって迫り来る。
「ひゃあっ!?」
変な悲鳴が出た。心臓が跳ね上がり、交感神経が一気に優位になる。
だが、パニックに陥った私の意識とは裏腹に、肉体は完全に「別の生き物」として作動していた。
腰に差した白鞘に右手が添えられる。
重心が沈み、親指が鍔を押し上げる。
視覚情報が極限までスローモーションになり、空中に飛び出したピラダイの筋肉の動き、鱗の隙間、そして「斬るべき線」がはっきりと見えた。
息を吐く。踏み込む。
『無月流居合い――閃光』
――カパッ。
私が刀を抜き、そして再び鞘に「カチン」と収めた瞬間。
空中に飛び出していた巨大な魚は、見えない糸で引かれたように空中で左右にパカッと分かれ、そのまま私の足元の川岸にベチャリと落下した。
「……ふぅ。あっぶなー。スウェットに魚の血が飛ぶところだった。生臭くなったら最悪だし」
私は小さくため息をつき、ピクピクと動いているピラダイの断面を見下ろした。
うん、脊椎も内臓も綺麗に両断できている。解剖学の授業でもここまで綺麗な断面はなかなかお目にかかれないだろう。
「――見事だ。あまりにも、美しい」
唐突に、背後から男性の低い、それでいてよく響く声がした。
「えっ?」
振り向いた私の目に飛び込んできたのは、まるで乙女ゲームのパッケージからそのまま抜け出してきたような、信じられないほどの「超絶イケメン」だった。
プラチナブロンドの髪を風に揺らし、サファイアのように青い瞳が私を真っ直ぐに見つめている。
身に纏っているのは、機能的でありながらも洗練された意匠が施された軍服のような騎士の装束。腰には豪奢な装飾が施された長剣を佩いている。
ルークス・アルヴィン。
ルナミス帝国におけるアルヴィン公爵家の嫡男であり、この領地の実質的な当主である彼。
実は彼、先ほどから少し離れた場所で、この森に迷い込んだはぐれ魔獣の気配を追っていたのだ。
(……なんという剣技だ。闘気も、魔法による身体強化の気配すら全くない。ただ純粋な「技」の極致だけで、あのピラダイを一瞬にして両断しただと?)
ルークスの胸は、かつてないほどの高鳴りを覚えていた。
彼の治めるルナミス帝国は、佐藤太郎という建国者によってもたらされた「魔導ライフル」や「魔導バズーカ」が飛び交う、近代化されすぎた超・合理主義国家である。
しかし、ルークスの本質は『古き良きロマン』を愛する男。
魔導重火器による遠距離からの殲滅戦に辟易し、「剣と魔法のファンタジー」や「己の腕一つで道を切り開く英雄」に強い憧れを抱き続けていたのだ。
そんな彼の目の前に、音もなく現れた黒髪の少女。
異国の修行僧のような、飾らない灰色の装束(※上下スウェット)。
そして、一切の魔法に頼らず、ただ神速の抜刀術のみで魔物を斬り伏せるその気高き姿。
(あぁ……美しい。彼女こそ、俺が夢にまで見た『真の剣士』……いや、戦場に舞い降りた女神か)
完全にフィルターのかかった目で感動に打ち震えるルークスが、静かに片膝をついた。
「驚かせてしまって申し訳ない、気高き剣士殿。俺はルークス・アルヴィン。この地を預かるアルヴィン公爵家の者だ」
「は、はいっ!?」
私は裏返った声を上げてしまった。
近い。顔がいい。イケメンすぎる。
大学の実習先の病院にもかっこいい研修医の先生はいたけど、そんなレベルじゃない。顔面偏差値がカンストしている。
恋愛経験ゼロ、友達の生々しい恋愛トークには愛想笑いでやり過ごしてきた私にとって、こんな真正面からイケメンに膝をつかれるシチュエーションに対する耐性は皆無だった。
「あ、あの、神城美月、です。……かみしろ、みつき。えっと、ただの通りすがりの看護学生……じゃなくて、旅の者、です!」
「ミツキ……東方の響きだな。やはり、遥か東の地から武者修行の旅を?」
「む、武者修行!? あ、はい、そんな感じです! (とりあえず合わせておこう!)」
パニックになりながらもコクコクと頷く私を見て、ルークスはふっと柔らかく微笑んだ。
その笑顔の破壊力たるや、私の心拍数は完全に頻脈状態だ。誰か除細動器(AED)を持ってきてほしい。
「その洗練された太刀筋、そして己を飾らぬ質素な装束……武の道を極めんとする貴女の精神性に、深く敬意を表する」
ルークスは私のスウェットを「質素な装束」と好意的に解釈してくれているらしい。穴が開く前に新しい服をランダムボックスで出さなきゃ。
「この森は凶悪な魔獣が多く危険だ。貴女ほどの腕前があれば遅れはとらないだろうが、旅の疲れもあるだろう。もしよければ、俺の城へ招待させてくれないだろうか? 先ほどの素晴らしい剣技を見せていただいた、せめてもの礼だ」
「お、お城……ですか?」
私は脳内で素早く計算した。
お城。つまり、大きな建物。たくさんの人がいる場所。
人がいれば、怪我をしたり病気になったりする人もいるかもしれない。掃除をする場所も、手伝う仕事も山ほどあるだろう。
(それって……善行ポイント、稼ぎ放題のボーナスステージなんじゃ!?)
「行きます! ぜひ、お世話になります!」
私が食い気味に返事をすると、ルークスはぱっと顔を輝かせ、まるで姫君をエスコートするかのように優しく私の手を取った。
「感謝する、ミツキ殿。貴女のような素晴らしい剣士を客人に迎えられるとは、アルヴィン家の誇りだ。さあ、こちらへ」
彼に手を引かれながら、私は心の中でガッツポーズをした。
よしっ、これでとりあえずの寝床とポイント稼ぎの拠点は確保できた。
異世界生活、出だしは上々である。
彼が私に対して、どのような「とんでもないロマンと幻想」を抱いているかなど、ポイントの計算で頭がいっぱいの私には、知る由もなかった。
読んでいただきありがとうございます。
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