第一章 公爵様と紅蓮の白雪姫
目覚めたら異世界。初回ボーナスでメスを呼んだら日本刀が出てきた件
「……うーん、血圧の正常値は収縮期が120未満で、拡張期が80未満、と……。それから、術後の合併症リスクの分類は……」
重い。まぶたが鉛のように重い。
目の前には分厚い医学書と、びっしりと書き込まれた看護実習のレポート用紙が山積みになっている。
私は神城美月、20歳。絶賛、正看護師を目指して医療系大学で地獄の実習とテスト勉強に追われる日々を送っている。
「……あかん、もう目が開かない……ちょっとだけ、5分だけ仮眠……」
机に突っ伏した瞬間、私の意識は深い泥のような眠りへと引きずり込まれた。
夢の中で、私は立派な白衣を着て、颯爽と病院の廊下を歩く素敵な正看護師になっていた。そして、曲がり角でぶつかったのは、白馬に乗ったような超絶イケメンのドクターで――。
「……んっ、冷たっ!?」
頬に触れるひんやりとした感触と、鼻腔をくすぐる青臭い匂いで目が覚めた。
消毒液のツンとした匂いでも、レポート用紙のインクの匂いでもない。これは、土と、草と、湿った風の匂い。
ゆっくりと顔を上げ、目を瞬かせる。
「……えっ?」
そこは、見慣れた1Kのボロアパートの一室ではなかった。
天を突くような巨大な樹木。足元に群生する見たこともない色彩のシダ植物。木漏れ日が差し込む、鬱蒼とした深い森の中だった。
「……夢? いや、夢にしてはリアルすぎる。頬をつねる……痛い。すごく痛い」
私は慌てて立ち上がり、周囲を見渡した。
パジャマ代わりのスウェット上下という気の抜けた格好のまま、大自然のど真ん中に放り出されている。スマホはない。財布もない。あるのは、ポケットに入っていたお気に入りのボールペン1本だけ。
「もしかして、寝ぼけて近所の山まで歩いてきちゃった? いやいや、私のアパートは4階だし、オートロックだし……。じゃあ、これって……」
ラノベ好きの友人がよく教室で熱弁していたシチュエーションが脳裏をよぎる。
「異世界、転移……ってやつ?」
呆然と立ち尽くす私の目の前に、唐突に、半透明の光るパネルが「ポンッ!」という軽快な電子音と共にポップアップした。
【システム起動を完了しました】
【対象者:神城美月 のアカウントを作成】
【 初回異世界ボーナス:1,000 Pを獲得しました! 】
「ひゃあっ!?」
空中に浮かぶ文字に、思わず後ずさる。
P? ドラッグストアのポイントカードみたいなノリで異世界に来ちゃったの?
震える指でパネルに触れると、画面が切り替わり、詳細な【スキル説明書】が表示された。
看護学生たるもの、医療機器のマニュアル熟読は基本中の基本だ。私は深呼吸をして、真剣な眼差しでそのテキストを読み込んだ。
■ ユニークスキル①:【ランダムボックス】
ポイント(P)を消費して、地球の物品を召喚できるシステムです。
・1回 100P消費:カテゴリーを「3つ」選択して召喚(例:赤、服、公務員 = 消防服)
・1回 1,000P消費:カテゴリーを「4つ」に増加(より精密な指定が可能)
・1回 10,000P消費:カテゴリーを「5つ」に増加(大型機械・特殊車両なども召喚可能)
■ ユニークスキル②:【善行システム】
あなたの行動を評価し、ポイントを付与するシステムです。
【獲得例】
・ゴミ拾い:1P
・皿洗い:1P
・人助け(軽度):100P〜
・医療行為(怪我人の治療など):100P〜500P
・地域的、文化的貢献:1,000P〜
⚠️【絶対遵守事項:六法全書の適用】⚠️
対象者は日本の「六法全書(現代刑法・民法)」に準拠した行動を求められます。
殺人、傷害、器物損壊、窃盗など、日本の法律に違反する行為を行った場合、莫大なポイントが減算、あるいはスキルが凍結されます。正当防衛・緊急避難の成立要件には十分ご注意ください。
「……いやいやいやいや! 異世界に来てまで日本の法律守らなきゃいけないの!?」
思わず大声でツッコミを入れてしまった。
つまり、よくある異世界ファンタジーみたいに「気に入らない奴は魔法でドカン!」とか「盗賊は問答無用で斬り捨てる!」みたいな無法プレイをしたら、一発で前科持ち(ポイント破産)になるということだ。
「まあ、私、超がつくほどの善良な一般市民だし。看護学生だし。法律違反なんて絶対しないからいいけど……」
ガサガサッ!!
背後の茂みが大きく揺れ、低い唸り声が聞こえた。
振り返ると、猪のようだがサイズが軽トラックほどもある巨大な獣が、赤い目をギラギラさせてこちらを睨んでいた。口からはみ出した牙には、何かの血がこびりついている。
「ひぃっ……!」
野生動物。いや、この世界で言うところの「魔物」だろうか。
逃げなきゃ。でも、足がすくんで動けない。
獣が前足をかき、突進の構えを見せる。
「そうだ、ランダムボックス! ポイントを使って武器を出さなきゃ!」
現在の所持ポイントは、初回ボーナスの1,000P。
100Pを消費して、カテゴリーを3つ選ぶ。
頭をフル回転させる。武器……私に扱えそうな武器って何だ? 銃なんて撃ち方も知らない。鈍器は重くて振れない。
私は医療系だ。刃物なら、解剖学の授業で少しは慣れている……はず!
「そうだ、メスだ! すっごく大きくて、切れ味抜群の医療用メスを出して!」
私はパネルを乱打し、頭に浮かんだキーワードを叫んだ。
【日本】! 【武器】! 【刃物】!
ポォン! という音と共に、上空に光り輝くダンボール箱のような立方体が出現し、パカッと開いた。
中から落ちてきたのは、巨大なメス――ではなかった。
「……えっ?」
スウェット姿の私の手に収まったのは、一振りの「刀」だった。
装飾の一切ない、白木の鞘に収められた美しい日本刀(白鞘の居合刀)。
ずしりとした心地よい重みが、手のひらから全身へと伝わってくる。
「なんで……メスじゃないの……」
困惑は、一瞬だった。
白鞘を握り込んだ瞬間、私の思考から「パニック」や「恐怖」が嘘のようにスッと消え去った。
――トクン。
心臓の音が、やけにゆっくりと聞こえる。
巨大な猪が、大地を蹴って凄まじいスピードで突進してくる。
その圧倒的な質量と暴力が迫り来る中で、私は極めて冷静に、足幅を広げ、腰を落とし、左手で鞘を引き、右手で柄に手をかけた。
私は、ただの真面目な看護学生だ。恋愛経験もゼロ。休日は実習のレポートに追われている。
けれど、一つだけ、隠している……というか、地球では全く役に立たなかった特技がある。
『無月流 居合流免許皆伝』。
実家の古びた道場で、幼い頃から祖父に叩き込まれた。
他の技は一切教わらなかった。ただ一つの型、ただ一つの抜刀術だけを。
「来る日も来る日も、雨の日も風の日も、ただ一度の太刀筋を極めろ」という祖父の教えのまま、私は真面目さだけを取り柄に、木刀を、そして真剣を、何百万回と振り続けた。
そして今、異世界の森の中で、私の肉体は完全に「その状態」へとシフトしていた。
「――シューッ……」
細く、長い呼気。
猪の巨大な牙が、私のスウェットを掠める寸前。
『無月流居合い――閃光』
――カチン。
私が刀を白木の鞘に収めた、その静かな音が森に響いた。
直後。
私の横をすり抜けた軽トラックサイズの猪は、唐突にその巨体を「左右に真っ二つ」に分かたれ、ズザァァァッと左右別々の方向へ滑りながら倒れ込んだ。
血飛沫が舞う前に、すでに勝負は終わっていた。
「……ふぅ」
私は鞘から手を離し、スウェットの襟元をパタパタと仰いだ。
切断面は鏡のように滑らかだ。悪くない。いや、地球の道場で藁束を斬っていた時より、不思議と身体が軽く、刀の軌道が澄んでいた気がする。
「医療用メスより、よっぽど使い慣れてるから結果オーライ、かな」
私は手の中の白鞘を見つめた。
吸い込まれるように美しい刀身を思い出す。
「あなたの名前は……『白雪』。よろしくね、私の相棒」
小さく微笑みかけて、私は刀をスウェットの腰紐にぐっと差し込んだ。
「さてと。とりあえず、水場を探さないと。のど渇いちゃったし。……あ、さっきの猪の解体、これ善行ポイントにならないかな?」
血生臭い森の中、私は少しだけ足取りを軽くして、水の音がする方へと歩き出した。
これが、私――神城美月の、波乱に満ちた異世界生活の始まりだった。
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