EP 7
月下の酒盛りと男の約束。公爵令息、愛のために全てを捨てる!?
街の喧騒から少し離れた、静かな平原の野営地。
パチパチとはぜる焚き火の音が、涼やかな夜風に溶けていく。
「……すぅ、すぅ……むにゃ……ルークスさまぁ、過剰防衛は減点対象ですよぉ……」
ランダムボックスで召喚したマイナス気温対応の高機能寝袋に包まれ、テントの中で幸せそうに寝息を立てているのは、騒動の中心人物である私――神城美月だ。
サケスキーの暴飲による泥酔、そして号泣の末に完全にバッテリーが切れ、私はテントに運び込まれてからわずか数秒で深い眠りに落ちていた。
そして、そのテントの外。
赤々と燃える焚き火を挟んで、二人の男が静かに向かい合っていた。
一人は、深い傷が癒えたばかりのネフィリムの青年、リアス。
もう一人は、プラチナブロンドの髪を揺らすアルヴィン公爵令息、ルークス。
「……重ねて礼を言う、リアス殿。俺の愚かな早とちりのせいで、貴様には命に関わる傷を負わせてしまった。あまつさえ、美月殿を身を挺して守ってくれたこと……この恩は、アルヴィン公爵家の名にかけて必ず報いよう」
ルークスは、焚き火の揺らめく光の中で、深々と頭を下げた。
彼の手には、街の酒場で買ってきた上質なエールが入った木組みのジョッキが握られている。
リアスは、ルークスから差し出されたジョッキを受け取ると、面倒くさそうに息を吐いた。
「恩だの公爵家だの、堅苦しい言葉は反吐が出る。俺はただ、あの馬鹿女が魔法の射線上に飛び出してきたから、咄嗟に動いちまっただけだ」
「それでもだ。貴様は自らの命を危険に晒した。……俺は、美月殿を愛していると言いながら、彼女の心も、彼女を取り巻く現実も、何一つ見えていなかったのだな」
ルークスは自嘲気味に笑い、ジョッキのエールをあおった。
その様子を、リアスは冷ややかに、しかしどこか見透かすような琥珀色の瞳で見つめていた。
「……なぁ、ボンボン。お前、あの女の『本当の姿』を知っているのか?」
「本当の姿、だと?」
「ああ。お前はあいつを『汚れなき白雪姫』だの『鳥籠の姫君』だのと言っていたな。確かに、あの底抜けの人の良さと、意味不明な『掟(法律)』に縛られている甘さは、温室育ちの姫君そのものだ」
リアスはそこで言葉を切り、焚き火の炎を見つめた。
彼の脳裏に蘇るのは、数時間前の東の森での光景。巨大なレッドオーガを、魔力も闘気も使わず、ただ純粋な『神速の抜刀』のみで両断した、返り血の中の少女の姿。
「だがな、あの女は今日、Bランクの変異種であるレッドオーガを、たった一太刀で真っ二つに斬り捨てたぞ。俺の魔法の援護など一切なしでな」
「――なっ!?」
ルークスが、驚愕に目を見開いた。
「レッドオーガを……美月殿が、一人で!?」
「ああ。俺も最初は目を疑ったがな。あの女は、人間のゴロツキ相手には『掟に反する(過剰防衛になる)』からと鞘で殴るような真似をするが……相手が掟の適用外だと分かった瞬間、躊躇なく命を刈り取る『怪物』に化ける」
リアスは手元のエールを飲み干し、ルークスに向かって鋭い視線を突き刺した。
「いいか、ルークスとか言ったな。あの女は、お前が安全な城の奥に匿って、愛でていられるような愛玩動物じゃない。自らの手で血を浴び、己の力で道を切り開くことのできる『本物の剣士』だ。お前が無理やり鳥籠に閉じ込めようとするのは、あの女の牙を折り、誇りを踏みにじる行為に他ならない」
「俺が……美月殿の、誇りを……」
ルークスは、自分の手のひらを見つめ、ギリッと強く握りしめた。
『いつか、ルークス様の隣に立ち、背中を預け合える対等な存在になるために』。
彼女の手紙の言葉が、そして先ほど路地裏で泣きじゃくりながら謝ってきた彼女の姿が、痛いほどに胸に突き刺さる。
「……貴様は、選ばなければならない」
リアスは、冷徹な声で最後の宣告を下した。
「アルヴィン公爵家の次期当主として、安全な城で何不自由なく過ごすか。それとも……地位も名誉も安全も捨てて、あの馬鹿女が往く泥濘の道を、共に歩む覚悟があるか。どちらかだ。両方は手に入らないぞ」
ルークスは、何も答えなかった。
ただ、燃え盛る焚き火の炎を、真剣なサファイアの瞳でじっと見つめ続けていた。
彼の胸の中で、公爵令息としての「常識」と、一人の男としての「ロマンと愛」が、激しく火花を散らして衝突していた。
夜は、静かに更けていった。
翌朝。
「う、うーん……頭いたぁい……」
小鳥のさえずりと共に目を覚ました私は、ズキズキと痛む頭を押さえながら、テントの入り口を這い出た。
サケスキーの陽薬茶割り。あんなに美味しくて飲みやすかったのに、二日酔いの破壊力は凶悪だった。
昨夜の記憶は、ルークス様が駆けつけてきて大泣きしたあたりから、すっぽりと抜け落ちている。
「あ、おはようございます、リアスさん……って、うわっ!?」
テントの外に出て、私は思わず悲鳴を上げそうになった。
野営地の焚き火の跡地。
リアスさんが呆れたようにコーヒー(ランダムボックスで出したインスタント)を飲んでいる横に、見知らぬ男が立っていたのだ。
使い込まれた、所々傷の入った安物の革鎧。
背中には、冒険者ギルドで初心者向けに売られているような、何の変哲もない量産品の鉄の剣。
足元は泥にまみれた革のブーツ。
どう見ても、その日暮らしの駆け出し冒険者にしか見えない装備だった。
だが、その男が振り返り、朝日に輝くプラチナブロンドの髪と、宝石のようなサファイアの瞳を私に向けた瞬間、私の脳内は完全にパニックに陥った。
「おはよう、美月殿! 目覚めは良いかな?」
「る、るるる、ルークス様ぁぁぁっ!?」
私は飛び上がり、自分の目を何度も擦った。
間違いない、ルークス・アルヴィン公爵令息その人だ!
しかし、あの王族のように煌びやかだった装飾品は? ミスリル銀と魔導コーティングが施された数千万円は下らないであろう特注の甲冑は!?
「えっ、どうしたんですかその格好!? まるで、その辺のEランク冒険者みたいな……!」
「ふふっ、よく似合っているだろう? 昨夜、この街の武具屋や質屋を叩き起こしてな。俺の身につけていた鎧も、公爵家の紋章が入った装飾品も、全て売り払ってこの装備一式を整えたのだ!」
「ええええええええええっ!!??」
私は顎が外れそうなほど口を大開きにした。
「な、なんでそんなこと! もったいない!! 売ったお金はどうしたんですか!?」
「売上金は、全てこの街の孤児院とルチアナ教会に寄付してきた。今の俺は、一文無しのただの駆け出し冒険者だ!」
ルークス様は、誇らしげに胸を張り、眩しいほどの笑顔を私に向けた。
「君が、俺と対等な存在になるために城を出たというのなら。俺もまた、公爵という安全な地位と財産を捨て、君と同じ泥にまみれた大地に立たねばならないと気づいたのだ。リアス殿の言葉で、目が覚めたよ」
「えっ……? リアスさん……?」
私が隣を振り返ると、リアスは頭を抱え、深い絶望の表情で天を仰いでいた。
「今日から俺も、君たちのパーティーに入れてくれ! 君の隣で、共に背中を預け合える戦士になるために!!」
完璧な美貌で、完璧なロマンチストっぷりを発揮するルークス様。
彼は本気だ。本気で「愛する女性と対等になるため」に、数億円の資産価値を全て投げ打って、ド底辺からやり直す決意を固めてしまったのだ。
「ルークス様……そこまで、私のために……」
私は、彼の不器用で真っ直ぐすぎる愛情に、胸がいっぱいになり、再び目からポロポロと涙をこぼした。
「美月殿……!」
「ルークス様……っ!」
朝日の中で、見つめ合い、手を取り合う私たち。
「…………とんだ、馬鹿野郎だ」
蚊帳の外に置かれたリアスが、心底ウンザリした声で吐き捨てた。
「俺は『公爵に戻るか、女を選ぶか』と言っただけで、全財産を捨てろなんて一言も言ってねえぞ……。少しはパーティーの資金源として残しておく頭はないのか、この大阿呆が……」
こうして。
ポイント稼ぎに命を懸ける神速の看護学生(借金なし)。
愛のために数億円の財産を捨てた無一文の公爵令息。
そして、二人の常識外れな行動に胃を痛める、冷徹な現実主義のネフィリム。
決して交わるはずのなかった凸凹すぎる三人のパーティーは、朝日に照らされながら、全く前途多難な冒険の第一歩を踏み出したのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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