EP 6
救急救命大パニック! 勘違いの謝罪と、過保護な王子様の涙
もうもうと立ち込める土煙と、オゾンのような雷の焦げた匂い。
私――神城美月の全身を巡っていた強烈なアルコールは、凄まじい爆発音と衝撃によって一瞬にして蒸発していた。
「……っ、げほっ、ごほっ!」
背中には、冷たく硬いレンガの壁の感触。
そして私の体の上には、私を衝撃から庇い、覆い被さるようにして倒れ込んだ銀髪の青年、リアスの重みがあった。
「り、リアスさん……!?」
恐る恐る彼に声をかける。返事はない。
背中に回した私の手に、ぬるりとした温かい液体の感触が伝わってきた。血だ。雷鳴の衝撃波をモロに背中で受けた彼の服は焼け焦げ、深い裂傷から鮮血が流れ出している。
「嘘、でしょ……。私の、せいで……っ!?」
頭の中が真っ白になる。
恋愛偏差値ゼロ、ポイ活命の能天気な看護学生の脳内が、緊急事態を告げるサイレンで埋め尽くされた。
「しっかりしてください! リアスさん!! 意識レベル確認、JCS三桁!? 脈拍……速い、弱い! 出血性ショックの初期症状!?」
私はパニックになりながら、彼の体を仰向けに寝かせた。
医療物資! 早くランダムボックスで出さなきゃ!
でも、こんな重傷、地球の救急キットだけで治せるの!? 救急車? いや、1万ポイント消費して救急車を出したところで、異世界に救急救命医は乗っていない!
「そ、そうだ! 消毒! それから止血帯! いっそ心臓マッサージ!? いや、AED(自動体外式除細動器)のカテゴリー検索ってどうやれば……!?」
半狂乱になった私が、リアスの胸の真ん中に両手を重ね、全体重をかけて心臓マッサージ(※心停止していないのにやると非常に危険)を敢行しようとした、まさにその瞬間だった。
「……ゴフッ。や、やめろ……ど阿呆……っ」
「ひゃっ!?」
重傷を負っているはずのリアスが、最後の気力を振り絞るようにして私の両手をガシッと掴んだ。
「俺の、肋骨を……折る気、か……。勝手に、殺すな……」
「り、リアスさん! 生きてる!! よかったぁぁぁ!」
私がボロボロと大粒の涙をこぼして泣き叫ぶと、リアスは苦痛に顔を歪めながら「うるせえ……耳元で喚くな。イテテ……」と悪態をついた。
息も絶え絶えなのに、口の悪さだけは通常運転だ。その憎まれ口が、今の私にはどれほどありがたかったか分からない。
「美月殿!! 無事か!?」
土煙を掻き分けて、青ざめた顔のルークス様が駆け寄ってきた。
彼の手から長剣がカランと音を立てて地面に落ちる。ルークス様の視線の先には、無傷で涙を流す私と、私を庇って血まみれになっているリアスの姿があった。
「なんという……俺は、美月殿を庇った彼に、雷鳴剣を……!」
ルークス様は、自分が『美月を攫う悪魔』だと思い込んでいた男が、実は誰よりも己の身を挺して私を守ったという絶対的な事実を前に、愕然と膝をついた。
しかし、彼はただ後悔して立ち尽くすような男ではない。アルヴィン公爵家の次期当主としての圧倒的な責任感と、超一流の魔法技術が彼を動かした。
「待っていろ、すぐに治す!」
ルークス様はリアスの横に膝をつき、両手を彼の胸の上に翳した。
「『慈愛なる聖なる光よ、傷つきし者の身体を癒やせ。我、大いなる治癒をここに乞う!』」
ルークス様の掌から、目が眩むほど眩い、しかしひだまりのように温かい黄金の光が溢れ出した。
それは、お城の治癒魔術師たちが使っていた魔法とは比べ物にならないほど高位の『大回復魔法』だった。光がリアスの体を包み込むと、焦げた皮膚が再生し、深くえぐれた背中の裂傷が、みるみるうちに塞がっていくのが分かった。
「……はぁ、はぁっ……。すごい、本当に血が止まってる……」
私が呆然と見守る中、リアスの顔色に少しずつ血の気が戻ってくる。
数分後、完全に傷が塞がったのを確認すると、ルークス様は額に大粒の汗を浮かべながら、深く、深く頭を下げた。
「す、すまない……リアス殿」
ルークス様の声は、震えていた。
「俺は早とちりをして……貴様を悪しき魔族だと決めつけ、あまつさえ美月殿の命の恩人である貴様に剣を向けてしまった……。騎士として、いや、男として万死に値する愚行だ。いかなる罰でも受けよう……!」
土下座せんばかりの勢いで謝罪する公爵令息。
それを見たリアスは、ゆっくりと上体を起こし、だるそうに首をポキキと鳴らした。
「……チッ。全く、なんて日だ」
リアスは忌々しそうに、血と土にまみれた自分の服を払った。
「朝っぱらからレッドオーガの討伐に付き合わされて、B級冒険者に上がったと思ったら……夜は酔っ払いの阿呆の介抱をさせられ、最後は話の通じない勘違いボンボンと決闘させられるとはな。厄日にも程がある」
「うぅ……ごめんなさい……」
「返す言葉もない……」
私とルークス様は、正座をしてリアスの前に並び、シュンと首を垂れた。
完全に、説教される子供の構図である。
しかし、リアスはそれ以上私たちを責めなかった。
彼はルークスを一瞥し、「お前の魔法のおかげで痛みは引いた。罰だのなんだのと面倒くさいことを言うな」とだけ言い捨てた。
静寂が降りた路地裏で、私はふと、ずっと聞きたかったことを口にした。
「あの……ルークス様。どうして、この街にいるんですか?」
お城を出る時、私は『自分の足で立ち、対等になるために鍛え直す』と手紙に書いた。ルークス様なら、私の決意を尊重して、お城で待っていてくれると思っていたのだ。
その問いを聞いた瞬間。
ルークス様の肩が、ピクリと震えた。
「どうしてって……」
彼がゆっくりと顔を上げる。
そのサファイアの瞳には、かつての『完璧な白馬の王子様』としての余裕は一切なく、ただの不器用で、一人の女性を愛してしまった青年の、生々しい感情が溢れ出していた。
「馬鹿者ッ!!」
「ひゃいっ!?」
突然のルークス様の大声に、私はビクッと肩を跳ねさせた。
「お前が急にいなくなって……俺がどれだけ、どれだけ心配したと思っているんだ!!」
ルークス様は、涙声で叫んだ。
「朝起きて、もぬけの殻の部屋を見た時の俺の気持ちが分かるか!? 確かに俺の過保護が、君の剣士としての誇りを傷つけたことは謝る! だが、だからといって、危険な冒険者の街へ一人で行かせる男がどこにいる!!」
「る、ルークス様……」
「君が傷つくくらいなら、俺に嫌われてもいい! 鳥籠に閉じ込めていると罵られても構わない! だが……君の命が失われる恐怖だけは、俺には耐えられないんだ……ッ!!」
ボロボロと大粒の涙を流しながら、子供のように感情をぶつけてくるルークス様。
その姿を見て、私は自分のしでかしたことの重大さ(心配のかけすぎ)に、ようやく気がついた。
私は『自立したい』という自分の気持ちばかりを優先して、彼が私に向けてくれていた、不器用だけど純粋な『愛情』を、正面からへし折ってしまっていたのだ。
「ひぐっ……ひゃいっ! ごめんなさぁぁい!! ぴえ〜〜ん!!」
私もたまらず、ボロボロと号泣し始めた。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、ルークス様に向かって何度も頭を下げる。
「私が悪かったですぅぅ! ルークス様の気持ち、全然考えてませんでしたぁ! ごめんなさい、ごめんなさいぃぃ!」
「美月殿……! ああ、無事で……本当に無事でよかった……!」
泣きじゃくる私と、涙を流しながら私の肩を抱きしめようとするルークス様。
感動の再会、そして和解のシーン。
夜の路地裏に、美しい愛のテーマが流れようとした――まさにその時だった。
「おい」
地面に座り込んだままのリアスが、底冷えのする声で私たちの間に割って入った。
「いちゃついてないで、俺の背中の服の破れ目からスースー入ってくる夜風をどうにかしろ。それと、治癒魔法で塞がったとはいえ、まだ体力が戻ってないんだ。最後までちゃんと治せ。このど阿呆どもが」
完全に二人だけの世界(ラブコメ空間)に入りかけていた私とルークス様は、ハッとしてリアスの方を振り向いた。
そこには、自分を巻き込んで勝手に感動のフィナーレを迎えようとしているバカップル(未遂)に対し、チベットスナギツネのような無の表情を浮かべるネフィリムの姿があった。
「あ、は、はいぃっ! テーピングと包帯出します!!」
「す、すまないリアス殿! 今すぐ体力回復のポーションを!」
こうして、血みどろの決闘と勘違いの大騒動は、泥酔した私の乱入という最悪のトリガーを経て、なんとも締まらない形で幕を閉じることになったのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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