第二章 戦慄のレッドオーガと、交差する三人の運命
野営地の朝は飯テロから! 魔法ポーチと絶品シープピッグの極上ホットサンド
「んんっ……ふわぁ……」
小鳥のさえずりと、木々の葉が擦れ合う微かな音で、私は目を覚ました。
顔を出した寝袋(ランダムボックス製、マイナス気温対応の高機能マミー型シュラフ)の隙間から、朝焼けに染まる薄紫色の空が見える。空気はひんやりと澄んでいて、深呼吸をすると胸の中まで洗われるような心地よさだった。
「よく寝たぁ……って、ここは……そうだ、野営地だ」
昨夜、リアスさんに「借金を労働で返せ、明日の朝六時に東門だ」と脅された後、無一文の私は安宿に泊まることもできず、街の外れにある比較的安全な平原で野宿をしたのだった。
寝袋から這い出して軽く伸びをすると、パキパキと関節が鳴る。
ふと視線をやると、少し離れた焚き火の跡のそばで、リアスさんが岩に背を預けて腕組みをしたまま、静かに目を閉じていた。
長い銀糸のような髪が、朝の風に揺れている。相変わらず、寝顔まで彫刻のように完璧なイケメンだ。
でも、よく見ると彼の腰のあたりに、見慣れない革袋がコロンと転がっていた。
「あれって……」
そーっと近づいて観察する。
牛革のような素材でできた、小ぶりなポーチ。しかし、微かに魔力の波長みたいなものが漏れ出している。
ルークス様のお城にいた時、兵士さんたちが噂していたのを聞いたことがある。
『ドワーフの発明品で、ハンドバッグサイズなのに牛一頭が入る魔法ポーチ』という超高級アイテムだ。
「よし。ごくり……」
私はゴクリと喉を鳴らした。
実は、私の『ランダムボックス』は便利だけれど、昨日の野宿セットを出したせいでポイントが残り少なくなっている(現在3,322P)。これ以上ポイントを浪費するのは、今後のサバイバルを考えるとかなり危険だ。
しかし、朝になればお腹は減る。育ち盛りの二十歳だ。
無一文の私が朝ごはんを食べるには、この「お金持ちそうなリアスさんの魔法ポーチ」から食材を拝借するしかない!
「リアスさーん……起きてますかー?」
顔の目の前で手を振ってみるが、ピクリとも動かない。ネフィリムとはいえ、昨夜の疲れもあってか熟睡しているようだ。
私はそーっと、本当にそーっと、彼の腰から魔法ポーチの紐を解いた。
「えっと……中はどうなってるのかな。よいしょ」
ポーチの中に手を入れると、外見からは想像もつかないほど広大な空間が広がっていた。手探りでガサゴソと探ると、冷気に包まれた一角がある。魔法で鮮度を保つ冷蔵スペースだ。
「おっ、これは……!」
私が引っ張り出したのは、立派な肉の塊だった。
赤身と脂身が美しい層を描いている。これは昨日、おでん屋の大将が教えてくれた『シープピッグ』のお肉だ! 豚肉の濃厚な旨味と、羊肉のヘルシーで上品な風味を併せ持つという、この世界ならではの絶品魔獣肉である。しかも、丁寧に塩漬けと燻製が施された厚切りのベーコンブロック!
さらにポーチを探ると、大きな丸パン(米麦草から作られた香ばしいパン)、チーズの塊、そして新鮮な『レ足す』が出てきた。
『レ足す』は、シャキシャキとした食感と共に、食べるとじんわり保温効果があるという不思議な野菜だ。
「うふふ、揃った。朝の定番にして最強のメニューが作れちゃうわね」
私はランダムボックスで昨日出しておいた万能ナイフとカセットコンロ(これは昨夜、火おこしに失敗して泣く泣くポイント消費で出した)を準備した。
まずは、シープピッグの厚切りベーコンを、贅沢に一センチ以上の厚みでスライスしていく。
包丁(万能ナイフ)を入れると、スッと吸い込まれるような極上の柔らかさ。赤身の美しさと、真っ白な脂身のコントラストがたまらない。
カセットコンロに火をつけ、薄く油を引いたフライパン(これもランダムボックス製だ)を温める。
そこに、分厚いベーコンを並べる。
ジューーーッ……!!
途端に、脂が弾ける激しい音と共に、暴力的なまでに香ばしい匂いが弾けた。
豚肉のガツンとくる脂の甘い香りと、羊肉特有の食欲をそそるスパイシーな香りが、燻製の煙と混ざり合って朝の空気に広がっていく。
「わぁ……っ、いい匂い!」
表面にカリッと焦げ目がつくまでじっくりと焼き上げる。脂身が透き通り、カリカリのクリスピー状態になったところで、一度お皿に引き上げる。
次に、ベーコンから出た極上の脂が残るフライパンに、厚めにスライスした丸パンを投入する。
パンがシープピッグの旨味たっぷりの脂を吸い込み、表面が黄金色にカリッと焼き上がる。
「ここに、チーズをたっぷりと乗せて……」
火から下ろす直前のパンの上に、薄く切ったチーズを並べる。余熱でチーズがトロァ……ととろけ出し、パンの表面に光沢のあるベールを作り出す。
さあ、仕上げだ。
黄金色のパンの上に、よく洗って水気を切った『レ足す』をたっぷりこんもりと乗せる。
その上に、主役であるシープピッグの極厚カリカリベーコンをどーん!と二枚重ねで鎮座させる。
最後に、もう一枚のパンでギューッと挟み込み、上から少し体重をかけてプレスする。
ザクッ、ジュワァァ……!
ナイフで半分にカットすると、カリッと焼けたパンの音と共に、とろけたチーズとベーコンの肉汁が滝のように溢れ出した。
「完成! 特製、シープピッグとレ足すの極上ホットサンド!」
完璧な断面だった。
パンの香ばしさ、チーズのまろやかさ、瑞々しい緑のレ足す、そして暴力的な存在感を放つ厚切りベーコン。
私は思わず自分の分を手に取り、大きく口を開けてかぶりついた。
「はむっ……! ざくっ……じゅわぁぁぁ!」
「……んんーーーっ!! 美味しいぃぃっ!!」
最高だ。地球のどんな高級カフェのサンドイッチにも負けない。
パンの表面はカリッとしていて、内側はもっちり。そこにシープピッグの濃厚な旨味と塩気がガツンと殴りかかってくる。だけど、シャキシャキのレ足すが絶妙な清涼感を与えてくれて、しかも胃の奥からじんわりと温かくなってくるのだ。
チーズのコクが全体を優しくまとめ上げ、一口、また一口と止まらなくなる。
「朝からこんな美味しいもの食べられるなんて、異世界最高……もぐもぐ」
私が幸せの絶頂でホットサンドを頬張っていると、不意に背後から、低く、ドス黒い声が降ってきた。
「……おい」
「ひゃいっ!?」
振り返ると、銀髪の青年――リアスが、夜叉のような恐ろしい顔で私を見下ろしていた。
その視線は、私の手に握られた極上ホットサンドと、彼の腰から消え、私の足元に転がっている『魔法ポーチ』を交互に捉えている。
「お前……。人の大事な魔法ポーチから、勝手に最高級のシープピッグ肉と食材を拝借して、なに優雅に朝飯を食っているんだ?」
「あ、あわわっ! ち、ちがっ……これはその、借金返済のための労働というか、ご主人様への朝食作りのサービスの一環でありまして!」
私は慌てて立ち上がり、もう半分の、まだ熱々でチーズがとろけているホットサンドをお皿に乗せて、両手で彼に差し出した。
「ほ、ほら! リアスさんの分もちゃんと作りましたから! 冷めないうちにどうぞ!」
リアスは忌々しそうに舌打ちをした。
「チッ……ド素人が。食材を無駄にしやがって。俺は飯にはうるさいんだ。不味かったら、その首と胴体を……」
凄みながらホットサンドを受け取り、彼は訝しげに匂いを嗅いだ。
その瞬間、彼の琥珀色の瞳が、ほんの少しだけ見開かれた。
シープピッグの燻製の香りと、パンが脂を吸って焦げた極上の匂いが、彼の鋭敏な嗅覚を直撃したのだ。
リアスは無言のまま、大きく口を開け、ホットサンドにかぶりついた。
ザクッ……!
小気味良い音が響く。
彼の顎が動き、厚切りベーコンとレ足す、とろけるチーズが一体となって咀嚼されていく。
「…………」
リアスは完全に無言だった。
しかし、その表情からは先ほどの殺気が嘘のように消え去り、無意識のうちに二口目、三口目と、恐ろしいスピードでサンドイッチが胃袋へと吸い込まれていく。
(……ふふふ。勝った!)
私は内心でドヤ顔をキメた。
医療系女子を舐めてはいけない。過酷な実習と夜勤(の練習)を乗り切るため、いかに短時間で高カロリーかつ最高に美味い夜食を作るか、私は一人暮らしのアパートで日々研究を重ねてきたのだ。
それに、お城でのメイド業務(ポイント稼ぎ)で、異世界の食材の扱いにもすっかり慣れている。
あっという間に極上ホットサンドを平らげたリアスは、指についた肉汁をペロッと舐め取り、ふいっとそっぽを向いた。
「……まぁ、及第点だ。食えなくはない」
「えーっ!? 絶対今、ほっぺた落ちそうになってましたよね!? 三十秒で完食したくせにー!」
「うるさい。俺は腹が減っていただけだ。……だが、これでお前の借金が銅貨一枚分くらいは減ったと思っておけ」
相変わらず素直じゃない男だ。
でも、彼の声音から先ほどの怒りが完全に消え去っているのを聞いて、私はホッと胸を撫で下ろした。
胃袋を掴むというのは、古今東西、異世界においても最強の交渉術である。
「へっへー! 私、お皿洗いとお料理ポイントで生きてきましたからね! 料理の腕には自信があるんです!」
「ポイント? 意味の分からんことを言うな。さっさと片付けろ。冒険者ギルドに行って、今日の狩りの依頼を受けるぞ」
リアスは背を向け、魔法ポーチを腰に結び直した。
その背中は相変わらず冷たくて無愛想だけれど、昨日の夜よりはほんの少しだけ、壁が薄くなったような気がした。
「はーい! すぐに片付けます!」
私はカセットコンロとフライパンをランダムボックスのインベントリにしまい(※出した物は消すことができる)、朝の清々しい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「よーし、今日もいっぱい人助けして、ポイント稼いじゃうぞー!」
意気揚々とギルドへ向かって歩き出す私。
この後、リアスさんが選んだ依頼が、私にとって最悪のトラウマ級モンスター『レッドオーガ』討伐だということなど、お腹がいっぱいで幸せな今の私には、知る由もなかったのである。
読んでいただきありがとうございます。
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