3「ユウ、魔力を測定する」
叔母さんが振舞ってくれた美味しい手料理の甲斐あって、数日ほどで全快した。
治っても行く当てがなかった私を、二人は親切にも引き続き泊めてくれた。そればかりか、着替えがないからと、何着も服まで買ってくれた。
ただ連れてもらった服屋では、アリスに着せ替え人形にされたり、初めてのブラジャー(ここではインマーというらしい)の付け心地に戸惑ったりしたのだけど……それはまた別の話だ。うん。思い出すのも恥ずかしいから、別の話にして欲しい。
暮らしてみてわかったことがある。どうやらこの世界、地球とまったく共通点がないわけでもないようだ。平均すると地球より文明レベルは劣っているけれど、対応物はかなりある。魔法が科学の遅れを補っている部分も相当多い。
光魔法を使った光灯が夜の町を明るく照らし、火魔法を利用した調理器具が家庭に備わり、水魔法を応用した水道設備が町中に張り巡らされているといった具合だ。なので、そんなに不便もなかった。
それから、驚いたこともある。なぜか私は、この世界の読み書きまでもできるらしい。
読むときは勝手に日本語に翻訳されて頭に入ってくる。何か書きたいときも、まず日本語で考えれば、文字が自ずと浮かんですらすら書けてしまう。どういうからくりか知らないけど、あまりに便利過ぎる能力だと思った。
少なくとも、変身能力なんかよりずっと有用なんじゃないかな。って、絶賛女の子中の私が言ってもみじめになるけど。
***
さて、アリスの入学もすぐそこまで迫ってきたある日のこと。魔力を測るため、役所へ出かけることにした。
これまでどこ行くにも一緒だったアリスが、またついて来ようとした。でも場所はもう教えてもらっているし、一度は一人で町を歩いてみたいと断った。かなり残念そうな顔をしてたけど、ごめんねと宥めておく。
もちろん私だって、理由もなく誘いを断ったわけじゃない。あの子と一緒にいては、変身する隙がないからね。仕方ないんだ。
一応、男の状態でも魔力を測っておこうと考えていた。もしかしたら、男女で魔力値が違う可能性を考えてのことだ。
サークリスの街並みは、石造りの建物が中心のようだ。レンガ積みの家が多く、一部は木造もあるけれど数は少ない。
町の中心部には、立派な時計塔がそびえ立っている。高い建物も少ないので、どこからでもよく見える。朝から夕にかけて、一日四回綺麗な鐘の音が鳴り、人々に時間を教えてくれる。
建物だけ見れば、まるで中世ヨーロッパ並みの景観だけど。中身はそうでないのは、既に気付いた通り。
特に驚いたのは、魔導鉄道の存在だった。各地の町を緊密に結んでいて、通商も盛んに行われている。地球の観点で言うなら、一部は既に近代化されているわけだ。
一方で、旧態依然とした部分もある。この町の住民は、平民と貴族に大きく分かれている。ちなみにアリスと叔母さんは平民だ。
貴族は様々な特権を有している。例えば、彼らだけが参政権を持っており、彼らにしか就けない仕事があるとか。
住む場所も市民街と貴族街で綺麗に分かれている。用もなく貴族街に一般人が立ち入ることは、基本的にタブーというか、御法度らしい。
街並みを堪能しながら、しばらく大通りを歩いていると、役所にはあっさりと着いてしまった。ここがそうですと言わんばかりにでかでかと看板が掲げてあって、間違えようもない。
けれどもすぐには向かわず、まずは近くの公園へ入っていく。目当ての場所を探し求めて、練り歩くこと少しばかり。
――あった。公衆トイレ。
ここの個室を使って変身するつもりだった。急に性別が変わるところを、決して人に見られないように。
周りや中に誰もいないことを確認してから、ささっと男子トイレに侵入する。女子トイレにしなかったのは、もちろん変身後の性別を考えてのことだ。
外から個室に入るときよりも、出るときの方が、人に見つかるリスクが高いと判断した。中からじゃ外の様子はわかりにくいからね。
もし女子トイレから男が出てきたのを見られたら、即刻通報ものだ。それだけは何としても避けたい。
いざ入ってみると、正面に小便器がいくつも立ち並んでいた。掃除が行き届いておらず、どれも目を覆いたくなるほど汚い。アンモニア臭がそこら中に漂って、鼻についてしょうがなかった。
思わず顔をしかめる。こういう残念なところは、世界を跨いでも共通みたいだ。
……それにしても。男子トイレなんて、入り慣れているはずなのに。
なんでだろう。女の子になっている今、とてもいけないことをしている気がして。何だかドキドキする。
高鳴る胸の鼓動に応えるように、足は逸る。最速で個室へ滑り込むと、すぐさま鍵をかけた。
はあ……はあ……。
思いがけない興奮に息を乱しつつも、ほっと胸を撫で下ろす。
――とりあえず、これでもう誰にも見られる心配はない、って……。
うええ……。この個室、なんか男臭い。
ほのかにイカ臭さまでする……。誰か、ここでしたのかな。うう、気持ち悪い。
もしかして、女だから男の匂いに敏感になってるのか……? でも、せっかくここまで来たんだ。我慢だ。我慢。
気を取り直して。変身する前にまず着替えないと。女の服を着た変態男になってしまう。
ミニスカートにブラジャーをした男の自分をつい想像して、ぶんぶんと首を横に振った。そんなのは中学のとき、クラスの悪乗りでなぜか出ることになった悪夢のミスコンだけで十分だ。
男子なのに完璧に女装させられて。女子からは着せ替え人形扱い、男子からもひやかしが出るしで。すごく恥ずかしかったんだよね……。ああ、嫌なこと思い出しちゃったな。
背負っていたリュックを、適当な場所に下ろす。アリスの目もあったせいで、さすがに男物の服は買えなかった。
でもこの日のため、上着として二着ほどユニセックスっぽいものを選んでおいた。わざわざ叔母さんから借りたこのリュックに詰めてきたのだ。
そのうち一着は今着ている。もう一着は、一度男になって役所で測定を終えてから、また女になる際に着替えようと考えている。
なぜそんな面倒なことをするのか。もちろん少しでも怪しまれないためだ。いくら性別が違うと言っても、私の名前はこの世界で相当珍しいのは間違いない。
まったく同じ名前を持つ人物が、同じ日に魔力を測りに来て、しかも同じ服まで着ていたら。かなり目立つ。変に思われる。
さすがに気にし過ぎかなとも思うけど、万一この能力が世間にバレたときの計り知れないリスクを考えれば、できることはした方がいい。こんな変な体質なんて知られたら、どんな珍物扱いをされるか。下手すれば、人体実験かも……。想像するだけで怖かった。
とまあ、上着はこんなところで。下に履くものは、残念だけどあの服屋に男女兼用できそうなものがなかった。元々身に着けていたジーンズを履くことにする。ちょっと目立つけど仕方ない。
――さあ、着替えを始めよう。
まずはシャツをめくり上げる。さっきから妙に胸が高鳴っているせいか、いつの間にかじっとりと汗ばんでいた。何となく匂いを嗅いでみる。
……自分の匂いだから、あまりわからないけど。ちょっと甘酸っぱい感じというか、男のときとはやっぱり違う匂いかな。
――って、何やってんだろう。
ブラジャーのホックに手をかける。最初こそ着脱の仕方がわからなくて、アリスに教えてもらった。ちなみに「そんなことも知らないなんて」と、また変な顔をされたのは言うまでもない。
さすがにもう何度も付け外しをしている。慣れた手つきでホックを外すと、ワイヤーによる抑圧を失った胸がぷるんと震えた。
とうに見慣れた、張りのあるご立派なそれを見下ろしながら、小さく溜息を吐いた。
――胸があるってのも、いいことばかりじゃないよね。揺れると痛いし、肩は凝るし。何より男の視線が気になるし。めっちゃ見てくるんだもん……。
幾多の熱い視線を思い返すと、顔が火照ってきた。乙女か。
……でも、自分がなってみないとわからない感覚って、あるものだよね。
ブラだって面倒なときもあるけど、付けないと透けちゃってまずい服もある。毛もちょくちょく処理しないと恥ずかしくていけない。女の人って、何気ない顔してかなり苦労してたんだなって、今ならわかるよ。
まあ男は男で別の苦労があることを私は知ってるんだけど。お互い様か。
めくっていたシャツを戻し、ミニスカートを脱ぎ、パンツもえいやと脱ぎ去り。脱いだものは丁寧にリュックにしまって、代わりにトランクスとジーンズを取り出して履いていく。ちょっとぶかぶかだ。
――準備完了っと。
うん。逆パターンほど許されないわけじゃないけど。女の恰好にこの服は、ミスマッチ感がやばい。アリスが変に思ったのも無理はないか。
――では、変身。
また全身に電流が走るようなあの感覚がして、俺は男になった。
――よし、行こう。
気付けば、あれだけきつかったはずの男臭さも、いけない妙な気分も、すっかり消え失せていた。
***
魔力測定機は、役所の魔法係で使用を受け付けているという。そこへ向かうと、受付のお姉さんが応対してくれた。役所仕事にしては、随分とフレンドリーな印象の人だな。
「この用紙に名前等を記入して下さい。証明書の発行等にも使用するので、正確にお願いします」
渡された紙に記入事項を順番に書いていく。まったく知らないはずの文字がすらすらと出て来るのは、相変わらず気味が悪い。
すべて書き終えて返すと、名前を確認された。
「ユウ・ホシミ様でよろしいですね?」
「はい」
「では、こちらが測定機になります。機械音声での指示がありますので、そちらに従って下さい。それでもわからないことがございましたら、遠慮せず聞いて下さいね」
「わかりました」
何と言っても血圧計と計り方がそっくりなので、困ることはなかった。違いは、腕を圧迫されないことかな。
ただ……。腕を出したはいいけど。数値がゼロからうんともすんとも言わないのは、どうしてだろう。
不思議に思っているうちに、正常に測定終了を知らせる音声がかかった。
――どうやら測定自体にエラーはなかったみたいだけど……。これってどういうことなんだ?
疑問はすぐに解けた。横で眺めていたお姉さんが、驚いた顔で言ってきたから。
「ゼロ、みたいですね」
ゼロ、だと……。
愕然とした。
そんな! つまり俺は、まったく魔法が使えないってことなのか!?
……ああ。夢にまで見たのに。手から火とか起こしてみたかったのに……。
妄想逞しく期待していただけに、落胆は半端なものじゃなかった。
「魔力が一切ないなんて、非常に珍しいことですよ。普通はどんな方にも、必ず少しはあるものなのですけどね」
「そうなんですか……」
「魔力値鑑定書を発行する必要はありませんね」
「はい……」
露骨にがっかりしているのが、よほど目に余ったみたいで。お姉さんは引きつった笑みを浮かべて、とにかく慰めてくれた。
「大丈夫ですよ。魔力がほとんどない方も多いですから。あの……あまり気を落とさないで下さいね」
「はい……」
意気消沈。とぼとぼとした足取りで、役所を去る。
くそ~、俺は所詮地球人だ。魔法なんて無理だっていうのか。
――いや、まだわからない。
心折れそうになる自分をどうにか奮い立たせた。
――そうだよ。まだ女の自分が残ってる。もう一回だけチャンスはある。
と言っても、性別が変わるだけで、あまり期待なんてできそうにないけど……。
――いやいや。弱気になっちゃダメだ。
よし。さすがにすぐ行くとまずいから、ちょっと時間を空けてから再挑戦しよう。
もし女でもダメなら……悔しいけど仕方ない。アリスには悪いが、別の手段を考えなくてはいけない。どうしても強くならなきゃ、この先やっていけそうにないし。
再びあの公園の公衆トイレに帰って来た。また誰もいないことを確認して、今度は女子トイレに入り込む。
――ああ。すごく緊張する。
女が男子トイレにいても「間違えましたっ!」とか可愛く言えば、なんとなく見逃してもらえそうな気もする。でも男が女子トイレで見つかったら、即逮捕だろう。マジでやばい。こわい。
変身を隠すためとは言え、こんな変質者みたいなことをする羽目になるなんて。もっと良い方法が浮かばなかったのが残念だ。
幸い誰にも見つからなかった。個室に入って鍵をかけ、今度は先に変身してから服を着替える。男のままだと、女の服はぱっつんぱっつんになっちゃうからね。
無事、身も服装も女になった私は、まず適当に近くのお店でウィンドウショッピングを楽しんだ。そうして時間を潰してから、また役所に向かう。いざ運命の勝負。
大一番の立会人は、再びあのお姉さんだった。また用紙に必要事項を書いていく。一回目よりもすんなりと書き終えた。
「ユウ・ホシミ様ですね。あら?」
「どうしたんですか?」
「先ほども同じお名前の方が来られたんですよ。失礼ですが、珍しいお名前ですから。といっても、男性の方でしたけどね」
「へええ! 不思議な偶然もあるものですねえー!」
「そうですねえ。すみませんね、関わりのないことを申し上げて」
「いえいえ」
――ふう。ちょっとだけ冷や汗かいたよ。やっぱり服も変えて正解だったな。
さて、やってきました測定機。頼む。魔力よ、あってくれ!
恐る恐る、細腕を差し入れてみる。今度は、男のときとまるで違う反応だった。みるみるうちに数値が上昇していく。すごい勢いだ。
そして、四桁を少し超えた辺りでようやく止まったのだった。
――一万。ゼロじゃない! よかったあ。本当によかったああ。
私の方はちゃんと魔力があるみたいだ。これでアリスを悲しませなくて済むよ。
別に勝ち負けなんてないのだけど、何か大勝負に勝ったような気がして。ちょっと得意な気分で、お姉さんの方を見やる。
すると、彼女は――口をあんぐりと開けていた。男のときとは比べ物にならないほど、驚いていた。
「まあ! なんてこと!」
「えっ?」
「私、魔力値が一万を超える人なんて、この目で初めて見たわ!」
何をそんなに驚いてるのだろう。というかお姉さん、仕事中なのに口調が素に戻ってるよ。
「そんなに驚くことなんですか?」
「ええ、とてもすごいことですよ! だって魔力値の平均は数十程度ですし、魔法使いの方でも普通は数百から千数百ほどなんですから」
「はあ」
「それが、一万ですよ! 一万! これほどの方は、国中探しても滅多にいませんよ!」
「それほどなんですか……」
若干引いてしまうほどハイテンションなお姉さん。そんなに珍しいのか。魔力があっただけですっかり安堵していた私には、寝耳に水だった。
でも彼女の話が本当なら、普通の魔法使いと比べて、優に十倍ほどの魔力があることになる。なるほど。確かにすごいかもしれない。
「さっそく魔力値鑑定書を発行しますね!」
「あ、はい」
鼻息荒いままの彼女に、半ば押し付けられるようにして鑑定書をもらった。男のときとはえらい違いだな……。
衆人環視の中、そそくさと外へ逃げる。お姉さんが騒ぎ立てたせいで、やたら注目を集めてしまった。ほんと恥ずかしかったよ……。
一息ついて、もらった鑑定書に目を通してみる。私の魔力値10276と、役所が発行した旨が記されていた。おそらくは魔法によるものであろう、きらきらと光り輝く特殊な印が押されている。どうやらこの印が、本物を保証しているようだ。お札の透かしみたいなものかな。
ともかく、これで大事なことがわかった。どうも二つの身体は、単なる性差以外にも異なる性質を持っているらしい。というか、男の私が惨め過ぎるような……。
片や魔力ゼロ。片や国でも滅多にいないという一万。魔法なんて身につけた日には、男の自分が塵になってしまいそうな圧倒的格差だ。もうちょっと男女のバランスなんとかならなかったのだろうか。
……言ってもしょうがないか。男は男で別の力があるのかもしれないし。わからないけど。
――とにかく、用事はもう済んだ。叔母さんの家へ帰ろう。
***
家へ帰ると、アリスが真っ先に出迎えてくれた。
「ただいま」
「おかえり。どうだった?」
気が気でなかったと思しき彼女に、鑑定書をひらひら見せつけながら、わざとそっけなく言ってみた。
「一万だってさ」
「そう、一万なの……って、えええええええええーーー!?」
素っ頓狂な声を上げる。予想通りに面白い反応をくれた。それに留まらず、即座にすっ飛んできて、私の肩をがっしりと掴んだ。そのまま激しく揺さぶられる。
――わ、強いって。
「ユウ、それってすごいわよ! かなり素質があるって言われたあたしだって、四千五百くらいなのに!」
まるで我が事のように喜んでくれるものだから、こちらまで余計に嬉しくなってくる。
「あはは。これってやっぱりそんなになんだ」
「そうね。そのレベルになると――アーガス・オズバイン。サークリス魔法学校始まって以来の天才生徒と言われてる彼が、確か魔力値一万五千だって話だわ」
「へえ。上には上がいるんだね」
でもそんな天才で一万五千ってことは、私も相当なのか。
男の魔力がゼロだったのはいただけないけども。強くなりたい身としては、相当に運がよかったと言っていいだろう。
「それでも十分すごいわよ。女子の中ではたぶん一番じゃないかしら」
「そっか。ともかく、これで私は入れそうかな?」
「ええ、もちろんよ!」
「ほんとか!」
「うん。実際は魔力を見るだけじゃなくて、学力試験とか色々あるんだけどね。その魔力値ならすぐに受け入れてくれるでしょうね。もしかしたら特例で入学に間に合わせてくれるかも!」
アリスは、弾けるように笑った。
「やったね! ユウ!」
一つも後ろ暗さのない、その温かく素敵な笑顔に、もうどれほど元気付けられてきたかわからない。気付けば、私も自然と笑顔になっていた。
「うん。嬉しいよ、アリス」




