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フェバル〜TS能力者ユウの異世界放浪記〜  作者: レスト / 三端由也
剣と魔法の町『サークリス』 前編

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2「ユウ、アリスと友達になる」

 再び目が覚めたとき、視界には天井が映っていた。

 ――温かい。何だろう――布団。布団がかけられている。

 どうやら私は、ベッドに横たわっているみたいだった。

 ――助かったのか……。

 女の子に水をもらった記憶がかすかにあった。

 とりあえず体を起こそうとしてみる。腕にちゃんと力が入らない。それにひどく頭が痛い。

 どうにか布団をめくると、服が変わっているのに気付いた。男物のジーンズと破れたシャツではなく、上下とも女物の白い寝間着になっている。誰かが着替えさせてくれたのだろうか。あの女の子かな。

 ……それにしても、私が女物を着ることになるなんて。今は女なんだから、当然と言えば当然なんだけど。何だか変な気分だよ。

 頑張って起き上がろうとしたけど、ふらついて立てない。ずっと何も食べていないのだから無理はないかと思い、大人しくそこに座っていることにした。

 ふかふかとした温かいベッド。この部屋。何より私を助けてくれた、あの茶色がかった赤髪の女の子の存在。そこから到達する自明の事実。

 実感するにつれて、じわじわと喜びが込み上げてくる。

 ――この星には、私と同じような人間がいるんだ! 

 私は、独りじゃなかった。よかった……本当によかった……。

 心配だったんだ。誰もいなかったらどうしようって。いても、自分と全然違っていたらどうしようって。

 つい、じーんときてしまい、ぎゅっと目を瞑ってしばらく噛み締めていた。このところ、何かと感傷的になっている気がするなと思いながら。

 やがて少しは落ち着いてみると、気になる点が浮かんできた。

 ――どうしてあの女の子の言葉がわかったのだろう。しかも日本語に聞こえたのはなぜだろう。

 意識が朦朧とはしていたけど、こちらが話した言葉も普通に通じていたことは覚えている。

 ……まさか日本語を話すわけないだろうしね。勝手に翻訳されているのかな。

 能力を授かったときに、こんな便利能力に目覚めたのだろうか。一体どうなってるんだろうな。


 そのとき、奥のドアが開いた。やってきたのは、私を助けてくれた彼女だった。

 意識を取り戻した姿を見るなり、眩いほど嬉しそうな顔をしてすっ飛んできた。


「よかった! 気がついたのね!」


 まず私の顔をまじまじと見つめ、それから全身をくまなく見回してくる。何だか視線がくすぐったい。

 ひとしきり眺めると安心したのか、ほっとしたように一つ大きな溜め息を吐いた。


「ああよかった。ほんとに心配したんだから」

「……やっぱり、君が助けてくれたんだ」

「うん。アルーンも一緒にね」

「アルーン?」

「あ、うちで飼ってる鳥の名前よ。人が乗るくらい大きくてね。あなたのために全速力で急いでくれたの」


 ――そっか。そのアルーンが運んでくれたおかげで助かったわけか。


「後でお礼言っておこうかな」

「いいことね。賢い子だから、きっと喜んでくれるわ」


 彼女は明るく笑った。はつらつとしていて、素敵な笑顔の人だなと思った。


「そうそう。服はぼろぼろだったから替えておいたわよ。前のは一応洗って置いてあるから安心して」


 ――やっぱり。彼女が着替えさせてくれたんだ。

 ……てことは、全部見られちゃったのかな。うん。そうなるよね……。

 ちょっと恥ずかしくなった。でも女同士でよかった。自分か相手か、どちらかでも男だったら死にたくなっていたよ。異性だと彼女もやりにくかっただろうし。

 そんなことを考えていると、彼女はこちらの胸元に視線を落として、少し困ったように微笑んだ。


「それはあたしの寝間着だけど、もし嫌だったらごめんね」

「嫌だなんて、そんなことないよ。それより助けてくれて本当にありがとう。正直、もうダメかと思ってたんだ」

「ううん。どういたしまして」


 そこで、手を差し出してきた。握手かと思ったけど、違うみたいだ。

 右手の人差し指と中指、二本の指を揃えて伸ばし、他の指は曲げたままになっている。ちょうど閉じたチョキの形だ。


「あたしはアリス。アリス・ラックインよ。よかったらあなたの名前も教えてくれない?」


 名乗りを聞く限り、どうやら名前はアメリカ式らしい。私も名乗り返そうとしたところで、面白いことに気付いた。

 ――ユウって名前、そのまま使えちゃうね。

 何の偶然か。内心苦笑いしてしまう。名まで性を兼ねられることに、皮肉めいたものすら感じる。


「私はユウ。ユウ・ホシミ」


 見よう見まねで、同じように右手の指を差し出してみた。握手ではないけど、似たような習慣かもしれない、と何となく思ったからだ。

 すると正解だったようで、彼女は二本の指を私の指にぎゅっと絡めた。握手ならぬ握指(あくし)というやつだろうか。


「よろしくね」

「よろしく」


 ――アリスか。異世界で初めての知り合いがこんなに温かい人で、本当に嬉しいよ。


「ところで、ユウ。あなたが起きたら、聞きたいことがあったの」

「なに?」


 彼女の表情が、真剣なものに変わる。


「死の平原の真ん中にたった一人でいるなんて無茶なこと、どうしてしていたの?」

「そ、それは……」


 さて、なんて言おうか。どうしよう。困ったな。

 違う星からやって来て遭難してましたと言っても、絶対に頭がおかしいと思われる。というか、死の平原なんて物騒な名前が付いているんだ、あそこ。道理で何もないと思ったよ。

 何か上手い言い訳はと考えあぐねていると、彼女は顎に手を添え、また私の顔をまじまじと見ながら続けた。


「その髪の色といい、あの変わった服といい。あなた、この辺の人じゃないでしょ」

「ま、まあ、そうだね……」


 ――うん。確かにこの辺の人じゃない。日本人だからね。


「やっぱり! それで、あんな……ひどい恰好でいたのはどうして? 服まで破られて……」


 憐みの目を向けてくる。ひどく心配してくれているみたいだ。


「もしかして。ねえ、何か恐ろしいことでもあったの? できれば事情を聞かせてくれない? 力には、なれないかもしれないけれど」


 ――恐ろしいこと。あったよ。とびきりのやつが。主にあいつとか、あいつとか、あいつとか……。

 ただされたことを思い出すだけで、身が針のように強張る。口にするのもおぞましくて、つい黙り込んでしまう。

 この人の想定の範疇と、こちらが体験した事実はまず違うだろう。それでもきっと、私は苦虫を潰したような顔をしているに違いない。こんな弱り目に平静を装えるほど、強くはないから……。

 そんな私を見て、思うところがあったのか。これ以上の追及をやめてくれた。そして優しくも、こう言ってくれたのだった。


「そう……。どうしても思い出したくないことなのね。なら今は無理には聞かないわ。話したくなったら話してくれたらいいからね」

「ありがとう。ごめん。何も話せなくて」

「いいのよ。あたしが悪かったわ」


 気まずいと思ったのだろうか。すぐに話題を変えてきた。


「そうそう。ここはサークリスで、あたしの叔母の家よ。あたし、これから魔法学校に入学するんだけど、それまでの間お世話になっているの」

「そうなんだ」


 どうやらここはサークリスという場所らしい。でもそれより気になったのは、魔法学校という言葉だった。

 ――魔法。そんなものが当たり前に出てくる日が来るとは思わなかった。

 ただ、その言葉をファンタジー以外で聞いたのは、これが初めてではないことに思い当たる。

 エーナだ。確か、魔法がどうとか言っていた。

 ――そうか。わかったかもしれない。

 あの人がいきなり杖を振ってきたり、何か仕掛けてはぶつぶつ言っていた意味が。

 手前勝手なイメージだけど。魔法使いと言えば、やっぱり杖だ。あのとき彼女は、私を抹殺しようとしていた。魔法を使おうとしていたのかもしれない。それも私を攻撃するやつを。

 ところが、何かの要因で発動しなかった。だから困惑していたのか。

 もし魔法が飛んできたら、まず対処はできなかった。あの時点で死んでいたに違いない。

 運がよかったのか、それとも。


『今ここで死ななければ、あなたはきっと生きてしまったことを後悔する』


 ……運が悪かったのか。今のところは、よくわからない。

 知らない星を旅するのは、確かに過酷かもしれない。だけど、誰しも経験し得ない貴重な機会を得たとも言える。決して悪いことばかりとは思えない。あそこまで言う理由が、まだよくわからないのだ。

 あいつが言っていた、いずれわかることに関係があるのだろうか?


「ねえ。ユウ」


 アリスの声に、思考を呼び戻される。


「きちんと治療してもらったから、もう危険な状態は脱したと思うけれど。まだかなり弱ってるわ。よかったら、快復するまでは泊っていかない?」

「そこまでしてもらっていいの?」

「いいの。あたしもその方が話し相手ができて嬉しいし。叔母も快諾してくれるわ。あ、もちろん他に当てがないなら、だけど」


 当然ない。右も左もわからず、体力も限界の今、この素敵な申し出を遠慮するなんて自殺行為に他ならない。

 もしこの家に留まれるなら、当面生活の心配をしなくていい。それに色々と話を聞くだけで、この世界に関する情報を安全に得られるだろう。その上彼女も望んでいるというのだから、断る理由はなかった。


「じゃあ、重ねてお世話になるようで悪いけど。お願いしてもいいかな」


 すると、この日とびきりの笑顔が返ってきた。底抜けに明るくて、見てられないほど輝いている。こんなに裏のない人がいるのか。


「ほんと!? やった! これで退屈しないわ! しばらくの間よろしくね!」

「うん。こちらこそよろしく」


 そうして温かい雰囲気に包まれた、そのとき――。


 ぐううううううううう。


 特大の音がお腹から発生し、鳴り響いた。


 あっ……。

 ずっと、物食べてなかったからだ……。


 頬がかっと熱くなり、俯いてしまった。やっちゃった……。

 気まずい沈黙が場を包む。それを破ったのは、大袈裟に明るく振舞ってくれたアリスだった。


「そうだった! ユウが起きたっていうのに、すっかり忘れてたわ! ごめんね。お腹すいたでしょう。叔母が作ったスープが残ってるの。今すぐ持ってくるから、待っててね!」

「う、うん……。ありがと……」


 うわー、恥ずかしい。きっと今私の顔、真っ赤になってるんだろうな……。


 待っていると、大急ぎで温めたスープを持ってきてくれた。

 赤色で、見たことのない野菜が入っている。それを見て、飛びつきたくなる気持ちにブレーキがかかる。

 ……どうしよう。大丈夫かな。違う星の私には、毒になるものが入ってたりしないかな。

 ついびびってしまって、中々手を付けられなかったのだけど。


「どうしたの? 苦手なものでも入ってる?」

「い、いや。そういうわけじゃ」


 促されて、立ち昇る湯気の良い匂いと、極限までの空腹には勝てなかった。恐る恐る、一口飲んでみる。

 ……すごくおいしい!

 心配した私がバカだった。カボチャのスープのような優しい味がして、目が潤むほど美味しかったんだ。五臓六腑に沁みわたるとは、まさにこのことだと思った。

 それからは、押し寄せる食欲に任せてがっついてしまった。正直、周りを気にする余裕もなくて。アリスは呆れ笑いをしている。


「こらこら。慌てなくてもちゃんとおかわりあるからね」

「うん。うん……!」

「ふふ。ほんと美味しそうに食べる子だこと」


 結局一気に飲み切ってしまい、さらにおかわりまで頂いてしまった。

 それにしても美味しかった。本当に美味しかった。飢えてなければ、これほど食に感謝することもなかったかもしれない。


 食後も、アリスと色々な話をした。どうも同い年だとわかり、大いに盛り上がった。

 彼女は快活で話が上手く、すぐに打ち解けた。身分も何もかも明かしていないのに、気後れを忘れそうになるほど親しくしてくれた。異世界で初めて友達ができたことが、心の底から嬉しかった。

 ところが、ちょっと困ったこともあった。

 目の前で変身するわけにもいかなかったので、ずっと女のままだった。だから当然、彼女は私のことを完全に女だと思っていて。話題も女の子特有のそれが多くなる。残念なことに、その辺りの機微がわからなくて……。

 適当に愛想笑いや相槌を打ってやり過ごしたけど、ガールズトークをそつなくこなすには、まだまだ経験値が足りないと痛感するのだった。


 やがて、叔母さんが帰宅してきた。ちょうどアリスから無邪気さを抜いたような、穏やかな雰囲気で優しい人だった。治療師を呼んでくれたのも、治療費を持ってくれたのも彼女らしい。

 もう一人の命の恩人に対し、深く礼を述べた。しばらく泊まる旨をアリスが伝えると、予想通りに快諾してくれた。本当にありがたい話だ。


 ***


 そして、夜も更けてきた頃。とんでもない事件が起きてしまった。


 なんと、お風呂に入ることになりました。

 ……うん。私だけならまだいいんだ。あんまよくないけど。


 アリスと一緒なんだ。


 ああ! ばかっ! 泊まるって言った時点で、こうなる可能性を予測しておくべきだった!

 わかっていれば、断れない流れになる前に対処できたかもしれないのに!

 ……何となくだけど。この状態で女の裸を見たからって、何とも思わないだろうって気はする。実際胸を見ても平気だったし。うん。

 だから変なことになる心配はないと思うけど。でもなあ。なんか騙してる気がして、申し訳なくて……。

 それで、さっきからあんまり目を合わせられないでいた。でも馴れ馴れしさにかけて筋金入りのアリスは、容赦なくスキンシップ攻勢を仕掛けてくるわけで。困った。ほんとどうしよう。


「スタイルいいのね。ユウは」

「そう、かな」


 確かに夢の中で見た女の子は、かなりスタイルが良かったかもしれない。

 今の私は、まさにその姿でいるのだから、そうした感想が出ても不思議ではないのかも。自分で言ってて恥ずかしいけど。


「それに、胸もあるしねえ~」


 いたずらな笑みを浮かべると、胸の先をつんと突いてきた。


「ひゃっ!」


 くすぐったいような、気持ち良いような――初めての感覚。思わず情けない声が出てしまった。

 反射的にさっと胸を隠して、顔も背けてしまう。我ながらあまりに初々しい反応に、お相手は満足したようだった。


「へえ。ちょっと女らしくないと思ってたけど、あなたもそんなかわいい顔するのねえ」

「きゅ、急に触らないでくれよ! びっくりしたじゃないか!」


 ――心臓が、どきどきしてる。私の身体って、こんなに敏感なのか……?


「そーんな真っ赤な顔でそっぽ向いて言っても、迫力ないわよ~。ユ・ウ・ちゃん♪」

「はあ……」


 ――ダメだ。この人、すっかり楽しんでるよ。

 好奇心というか、いけない心というか。流れは止まらなかった。さらに侵攻は進んで、胸をもみもみされてしまう。

 手が触れたとき、トラウマが脳裏を過ぎった。ぴくんと肩が跳ねて、身構えそうになる。

 ――いや、落ち着け。相手は女の子だぞ。スキンシップでやっているんだから。

 つい身をよじってしまったのを、単にくすぐったがっていると思ったのか、彼女は気に止まずいたずらを続けた。

 慣れてきたら、正直ほっとした。あいつとはまるで違う、優しい手つきだったから。

 ――ほら、なんだ。何も怖がることはないじゃないか。全然痛くないし。逆に気持ち良いというか、妙にそわそわする感じが……。


「ん……」


 不意に変な声が。まずい。別の意味で危なくなってきたぞ。

 あ、ちょっと。これは……やばい。やばいって。あの、アリス。アリスさん?

 本気出して弄らないで! おかしくなっちゃいそうだから!


「ちょっ……アリス、やめっ!」

「ほれほれ~、ユウはここが弱いのかしら?」

「あっ……ん……んんっ…………ばか、やめろって!」


 ほとんど涙声で訴えると、


「あはは。ちょっと刺激が強過ぎたかもね」


 満足気に笑って、やっと手を緩めてくれた。


「はあ……ふう……。もう、ひどいよ」

「あっはっは。ごめんね。反応が可愛かったからつい」

「しょうがないなあ」


 ――結構いたずら好きな子みたいだな。アリスは。

 でもまだ私の胸に未練があるみたい。視線がずっと留まっている。


「でもいいわねえ。何を食べたらこんなに大きくなるのかしら」

「さあ」


 知らないよ。女になったら、最初から膨らんでたわけで。

 すると突然、彼女は自身を指して、恨めしげに宣う。


「ねえねえ。ほら、見てよ! あたしなんてさ、このちっぱいよ!」


 そう言われると、さすがに見ないわけにはいかなくて。ごめんなさいと心の内で謝りながら、覚悟を決めて向き合う。

 ――やっぱり、思った通りだった。女の裸を見ても、男なら起こるはずの邪な気持ちは、特に湧いてこなかった。性的には平常心そのものだ。代わりに罪悪感が半端じゃないんだけどね……。

 うん。確かに小ぶりな胸……というかぺったんこだけど。しなやかで健康的な体と合わせて、元気はつらつなアリスにはよく似合っていると思う。正直な感想を述べた。


「確かに小さめかもしれないけど、それはそれで素敵だと思うけどな」

「ふーん。余裕ある者の発言ね~。まったく、羨ましいわ」


 ――いや、余裕なんてないよ。確かに胸の余裕はあるかもだけど、罪悪感とか恥ずかしさとかで、もう死にそうだよ……。


 二人で浴槽に浸かる。いつまでも避けていると変だし、もう色々と諦めるしかなかった。

 なるべく自然体をと心がける。それに必死な時点で、平気じゃないことは明らかだけど。

 ずっともじもじしている私が、アリスにはよほど可愛く映ったらしい。面白がってどんどん体を絡めてきたので、ますます心が乱れてしまった。

 好き放題心ゆくまで堪能された後、やっと落ち着いた。その後は湯が冷めるまで、たっぷりお喋りをして。やがて話題は、私の今後のことになった。


「ユウはさ、治ったらどうするの?」

「さあ。どうするのかな」


 わからない。これからどんな風に生きていけばいいのだろう。


「どうするのかなって。あなた、自分のことでしょう」


 そうだよなあ。何とかしないとって、思ってはいるんだけど。何もかもが違い過ぎて、どこから手を付けたらいいのか。

 けど、そうだ。とりあえずできそうなことなら――。

 呆れたような顔を向けている彼女に、尋ねてみる。


「アリス。魔法って、誰でも使えるのかな」


 今回の遭難で、とにかく力が必要なことを思い知った。とは言え、この常人の身をいくら普通の方法で鍛えたところで、限界はすぐにやって来る。

 でも、もしも色んな魔法が使えたなら。今回のようなピンチになったとき、取れる選択肢は広がるはずだ。

 それに、何の力もないままでいたら――また――。

 身震いがした。

 ――いやいや。もう考えるな。あいつのことなんて。


「あなた、魔法学を習ったことないの?」

「実は、まったく知らないんだ」


 ずっと科学の世界にいたからね。

 よほど常識のない話なのか、アリスはかなり驚いていた。


「まあ。それは珍しいわね。魔法はね、あたしみたいに魔力のある者にしか使えないのよ」

「その魔力というのは、私にもあるのか?」


 とことん無知を晒すと、得意な顔で親切に教えてくれた。


「知りたいなら、役所にある測定機を使えば、どのくらいか測れるわよ」

「ふうん。そんなのがあるのか」

「うん。魔力というのはね、魔素を取り入れる能力のことだから、体質で結構個人差があるの。もし魔力があまり少ないと、残念ながら魔法は使えないんだけど。ユウはどうでしょうね」

「そっか。なるほど。それで、魔素ってなに?」

「もちろん、空気中の七割を占めるあの魔素のことよ。って、さすがにこれは常識だと思うんだけど。ユウってほんとに何も知らないのねえ」


 さすがのアリスさんも目を細め、怪訝な視線を向けてくる。あまりに知らないから、不思議に思われたかな。

 ……と、とりあえず苦笑いで誤魔化しておこう。ちゃんと誤魔化せてるかな? あはは。

 それにしても――魔素。空気中の七割を占める、か。

 この星では、地球上の窒素の代わりを占める位置にあるらしい。とすると、あのエメラルドグリーンの空は、世界中に溢れる魔素によるものかもしれないな。

 魔法のことは少しだけわかった。どうやって勉強しているのかも気になるところだ。ここも素直に聞いてみるしかないか。


「アリスは、サークリス魔法学校ってところに通うんだよね。どんな場所なんだ?」

「この町で一番大きな魔法学校よ。剣術学校が隣にあるんだけど、そこと合同で町が運営しているの。入学するとクラスに分かれて、四年間魔法について学ぶのよ。校風も良いし、今から楽しみなの」

「へえ。いいなあ。私もちゃんと高校生活したかったな……」


 なにせ入学してから、一年もしないうちに異世界に飛ばされてしまったわけで。


「なに? コウコウって」

「いや、何でもないんだ」


 ――はは。そっか。高校って呼び方をする学校はないんだね……。


「学校かあ。ちゃんとした場所で魔法を学べるなら、それが一番いいんだけどなあ」

「もしかして、あなたも魔法使いになりたいの?」

「うん。もし魔力があったらだけどね。でも家もお金もないから、独学でやろうかなって思ってるけど」


 そう伝えると、顔がぱっと明るくなった。


「それなら大丈夫よ! サークリスはね! 別名『剣と魔法の町』というくらい、剣術と魔法には力を入れているの」

「剣と魔法の町?」


 何だか妙にど直球で、ファンタジックな響きだな。


「そう! 強い勉学奨励政策をしててね。援助も厚いのよ!」

「へ、へえ。そうなんだ」


 なんか急にすごい身を乗り出すね、君……。


「そうなの。魔力さえあれば、望めば簡単に編入できるし、お金のない人には奨学金もあるわ。三食付きの寮だってあるから、住む場所の心配もしなくていい。あたしも寮に入るつもりなの!」


 興奮気味にまくし立てた彼女は、明らかに息が上がっている。剣幕に押されつつも、一連を聞いて、私もじわじわと希望が込み上げてくるのを抑えられなかった。


「編入が簡単。奨学金に、三食付きの寮だって!?」


 渡りに船とはこのことだ。それなら暮らしの心配もなく、思う存分魔法の勉強ができる。しかも、安全に。

 殺人未遂、レイプ野郎、遭難。どん底の不幸続きだった私にも、ようやく運が向いてきたのかもしれない!

 もう答えは決まっていた。


「アリス。決めたよ。私も入ることにするよ! 魔法学校に!」

「ほんと!? まさかユウが一緒に入ってくれるなんて! あたし、とても嬉しいわ!」


 お湯が飛び跳ねるほどの勢いで、がばっと抱きつかれた。身体が密着して、胸同士がぎゅっと押しつぶされる。

 驚いて離そうとしたけれど、締め付ける力が強くて。何より、いつになく深刻な顔を見て、力が抜けてしまった。されるがまま身を任せることにした。


「実は心配だったのよ……。放っておいたら、今度こそどこかでのたれ死んでしまうんじゃないかって。この辺のこと、なんにも知らなそうだし」

「アリス……。そっか。心配してくれてたんだね……。ありがとう」


 人に思い切り抱き締められるのなんて、いつからされてなかったっけ……。

 こちらも手を回して、抱き返す。裸同士なのも、このときだけは気にならなかった。首筋にもたれかかると、彼女の赤茶髪が軽く頬をくすぐる。

 やわらかくて。あったかくて。

 人の温かみに触れたとき。とても不安で、心細かったんだと痛感する。

 受け入れてくれる人が側にいるだけで、こんなにも安心できるものなんだって。気が緩んだら、不意に頬を伝うものが出てきた。

 ――ああ。まただよ。こんな簡単に泣いてしまうなんて。どうかしてる。

 恥ずかしくて。そっと顔を背けようとしたけれど、すぐに気付かれてしまった。


「あら、ユウ。泣いてるの?」

「……泣いてない」

「うふふ。強がらなくてもいいよ。泣いてるでしょ?」

「……っ……泣いてない!」


 元は男の矜持として見せた、最後の強がり。でもアリスには、ちっとも通用しなくて。


「あ……」


 そっと頭を撫でられる。肩まで流れる黒髪を、優しくなぞるように。

 ……今は、女だからかな。自分というものが余計に、ひどく小さく頼りない存在に思えて。

 そんな私を温かく包み込んでくれる彼女が、ずっと大きく頼もしく思えて。

 だからもう、強がることもできなくて。


「別に泣いたっていいじゃない。一人で怖かったよね。心細かったんだよね」

「……うん」

「大丈夫だよ。もう大丈夫。あたしがいるからね」

「うん……。ありがと」


 結局は落ち着くまで、素直に甘えさせてもらうことになった。

 アリスもこういうときは変に茶化したりしないで、じっと抱き締めていてくれた。

 ――うう。図らずも弱みを見せてしまったな……。でもおかげ様で、かなり近付いた気がする。

 向こうも同じように感じてくれたみたいで。色々と一安心したらしいアリスは、屈託のない笑顔を見せてくれた。


「でも安心したわ。もしあなたが入れたらだけど、そのときは女の子同士、一緒に頑張りましょ!」

「うん。そうだね――ん?」


 女の子同士……? 何かやらかしたような……。

 

 あっ。ああっ!


 ものすごい下手を打ってしまったことに、ようやく気付いた。

 しまった! この流れだと、ずっと女子として学校に通わないといけないんじゃ……! どうしよう!? そんなに長い間女のままでいるなんて、考えてなかったよ!

 くっ。やっぱりやめるって言って、男子で入ることもできそうだけど……。それではアリスを悲しませてしまう。せっかくこんなに喜んでくれてるのに、そんなことはしたくない。でも、でも……。ううう。

 しかも寮って、よく考えたら……。


「あのさ。寮なんだけど……」

「安心して。もちろん女子寮だから!」


 さくっと止めを刺された! やっぱり。やっぱり女子寮なのか……。

 ああ。罪が、重い。心が、重い。


「これからもよろしくね! ユウ」

「はは、は……」

「どうしたの?」

「何でもない。何でもないんだ……」


 もし学校に入れたら、ちゃんと女として過ごそう。それなら何も問題はない。ないはずだ。

 だって私は! この身体の私は、紛れもなく女なんだから!

 か弱い身体を確かめるように、両腕で自らを固く抱きすくめながら、そう決意した。

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