2「ユウ、アリスと友達になる」
再び目が覚めたとき、視界には天井が映っていた。
――温かい。何だろう――布団。布団がかけられている。
どうやら私は、ベッドに横たわっているみたいだった。
――助かったのか……。
女の子に水をもらった記憶がかすかにあった。
とりあえず体を起こそうとしてみる。腕にちゃんと力が入らない。それにひどく頭が痛い。
どうにか布団をめくると、服が変わっているのに気付いた。男物のジーンズと破れたシャツではなく、上下とも女物の白い寝間着になっている。誰かが着替えさせてくれたのだろうか。あの女の子かな。
……それにしても、私が女物を着ることになるなんて。今は女なんだから、当然と言えば当然なんだけど。何だか変な気分だよ。
頑張って起き上がろうとしたけど、ふらついて立てない。ずっと何も食べていないのだから無理はないかと思い、大人しくそこに座っていることにした。
ふかふかとした温かいベッド。この部屋。何より私を助けてくれた、あの茶色がかった赤髪の女の子の存在。そこから到達する自明の事実。
実感するにつれて、じわじわと喜びが込み上げてくる。
――この星には、私と同じような人間がいるんだ!
私は、独りじゃなかった。よかった……本当によかった……。
心配だったんだ。誰もいなかったらどうしようって。いても、自分と全然違っていたらどうしようって。
つい、じーんときてしまい、ぎゅっと目を瞑ってしばらく噛み締めていた。このところ、何かと感傷的になっている気がするなと思いながら。
やがて少しは落ち着いてみると、気になる点が浮かんできた。
――どうしてあの女の子の言葉がわかったのだろう。しかも日本語に聞こえたのはなぜだろう。
意識が朦朧とはしていたけど、こちらが話した言葉も普通に通じていたことは覚えている。
……まさか日本語を話すわけないだろうしね。勝手に翻訳されているのかな。
能力を授かったときに、こんな便利能力に目覚めたのだろうか。一体どうなってるんだろうな。
そのとき、奥のドアが開いた。やってきたのは、私を助けてくれた彼女だった。
意識を取り戻した姿を見るなり、眩いほど嬉しそうな顔をしてすっ飛んできた。
「よかった! 気がついたのね!」
まず私の顔をまじまじと見つめ、それから全身をくまなく見回してくる。何だか視線がくすぐったい。
ひとしきり眺めると安心したのか、ほっとしたように一つ大きな溜め息を吐いた。
「ああよかった。ほんとに心配したんだから」
「……やっぱり、君が助けてくれたんだ」
「うん。アルーンも一緒にね」
「アルーン?」
「あ、うちで飼ってる鳥の名前よ。人が乗るくらい大きくてね。あなたのために全速力で急いでくれたの」
――そっか。そのアルーンが運んでくれたおかげで助かったわけか。
「後でお礼言っておこうかな」
「いいことね。賢い子だから、きっと喜んでくれるわ」
彼女は明るく笑った。はつらつとしていて、素敵な笑顔の人だなと思った。
「そうそう。服はぼろぼろだったから替えておいたわよ。前のは一応洗って置いてあるから安心して」
――やっぱり。彼女が着替えさせてくれたんだ。
……てことは、全部見られちゃったのかな。うん。そうなるよね……。
ちょっと恥ずかしくなった。でも女同士でよかった。自分か相手か、どちらかでも男だったら死にたくなっていたよ。異性だと彼女もやりにくかっただろうし。
そんなことを考えていると、彼女はこちらの胸元に視線を落として、少し困ったように微笑んだ。
「それはあたしの寝間着だけど、もし嫌だったらごめんね」
「嫌だなんて、そんなことないよ。それより助けてくれて本当にありがとう。正直、もうダメかと思ってたんだ」
「ううん。どういたしまして」
そこで、手を差し出してきた。握手かと思ったけど、違うみたいだ。
右手の人差し指と中指、二本の指を揃えて伸ばし、他の指は曲げたままになっている。ちょうど閉じたチョキの形だ。
「あたしはアリス。アリス・ラックインよ。よかったらあなたの名前も教えてくれない?」
名乗りを聞く限り、どうやら名前はアメリカ式らしい。私も名乗り返そうとしたところで、面白いことに気付いた。
――ユウって名前、そのまま使えちゃうね。
何の偶然か。内心苦笑いしてしまう。名まで性を兼ねられることに、皮肉めいたものすら感じる。
「私はユウ。ユウ・ホシミ」
見よう見まねで、同じように右手の指を差し出してみた。握手ではないけど、似たような習慣かもしれない、と何となく思ったからだ。
すると正解だったようで、彼女は二本の指を私の指にぎゅっと絡めた。握手ならぬ握指というやつだろうか。
「よろしくね」
「よろしく」
――アリスか。異世界で初めての知り合いがこんなに温かい人で、本当に嬉しいよ。
「ところで、ユウ。あなたが起きたら、聞きたいことがあったの」
「なに?」
彼女の表情が、真剣なものに変わる。
「死の平原の真ん中にたった一人でいるなんて無茶なこと、どうしてしていたの?」
「そ、それは……」
さて、なんて言おうか。どうしよう。困ったな。
違う星からやって来て遭難してましたと言っても、絶対に頭がおかしいと思われる。というか、死の平原なんて物騒な名前が付いているんだ、あそこ。道理で何もないと思ったよ。
何か上手い言い訳はと考えあぐねていると、彼女は顎に手を添え、また私の顔をまじまじと見ながら続けた。
「その髪の色といい、あの変わった服といい。あなた、この辺の人じゃないでしょ」
「ま、まあ、そうだね……」
――うん。確かにこの辺の人じゃない。日本人だからね。
「やっぱり! それで、あんな……ひどい恰好でいたのはどうして? 服まで破られて……」
憐みの目を向けてくる。ひどく心配してくれているみたいだ。
「もしかして。ねえ、何か恐ろしいことでもあったの? できれば事情を聞かせてくれない? 力には、なれないかもしれないけれど」
――恐ろしいこと。あったよ。とびきりのやつが。主にあいつとか、あいつとか、あいつとか……。
ただされたことを思い出すだけで、身が針のように強張る。口にするのもおぞましくて、つい黙り込んでしまう。
この人の想定の範疇と、こちらが体験した事実はまず違うだろう。それでもきっと、私は苦虫を潰したような顔をしているに違いない。こんな弱り目に平静を装えるほど、強くはないから……。
そんな私を見て、思うところがあったのか。これ以上の追及をやめてくれた。そして優しくも、こう言ってくれたのだった。
「そう……。どうしても思い出したくないことなのね。なら今は無理には聞かないわ。話したくなったら話してくれたらいいからね」
「ありがとう。ごめん。何も話せなくて」
「いいのよ。あたしが悪かったわ」
気まずいと思ったのだろうか。すぐに話題を変えてきた。
「そうそう。ここはサークリスで、あたしの叔母の家よ。あたし、これから魔法学校に入学するんだけど、それまでの間お世話になっているの」
「そうなんだ」
どうやらここはサークリスという場所らしい。でもそれより気になったのは、魔法学校という言葉だった。
――魔法。そんなものが当たり前に出てくる日が来るとは思わなかった。
ただ、その言葉をファンタジー以外で聞いたのは、これが初めてではないことに思い当たる。
エーナだ。確か、魔法がどうとか言っていた。
――そうか。わかったかもしれない。
あの人がいきなり杖を振ってきたり、何か仕掛けてはぶつぶつ言っていた意味が。
手前勝手なイメージだけど。魔法使いと言えば、やっぱり杖だ。あのとき彼女は、私を抹殺しようとしていた。魔法を使おうとしていたのかもしれない。それも私を攻撃するやつを。
ところが、何かの要因で発動しなかった。だから困惑していたのか。
もし魔法が飛んできたら、まず対処はできなかった。あの時点で死んでいたに違いない。
運がよかったのか、それとも。
『今ここで死ななければ、あなたはきっと生きてしまったことを後悔する』
……運が悪かったのか。今のところは、よくわからない。
知らない星を旅するのは、確かに過酷かもしれない。だけど、誰しも経験し得ない貴重な機会を得たとも言える。決して悪いことばかりとは思えない。あそこまで言う理由が、まだよくわからないのだ。
あいつが言っていた、いずれわかることに関係があるのだろうか?
「ねえ。ユウ」
アリスの声に、思考を呼び戻される。
「きちんと治療してもらったから、もう危険な状態は脱したと思うけれど。まだかなり弱ってるわ。よかったら、快復するまでは泊っていかない?」
「そこまでしてもらっていいの?」
「いいの。あたしもその方が話し相手ができて嬉しいし。叔母も快諾してくれるわ。あ、もちろん他に当てがないなら、だけど」
当然ない。右も左もわからず、体力も限界の今、この素敵な申し出を遠慮するなんて自殺行為に他ならない。
もしこの家に留まれるなら、当面生活の心配をしなくていい。それに色々と話を聞くだけで、この世界に関する情報を安全に得られるだろう。その上彼女も望んでいるというのだから、断る理由はなかった。
「じゃあ、重ねてお世話になるようで悪いけど。お願いしてもいいかな」
すると、この日とびきりの笑顔が返ってきた。底抜けに明るくて、見てられないほど輝いている。こんなに裏のない人がいるのか。
「ほんと!? やった! これで退屈しないわ! しばらくの間よろしくね!」
「うん。こちらこそよろしく」
そうして温かい雰囲気に包まれた、そのとき――。
ぐううううううううう。
特大の音がお腹から発生し、鳴り響いた。
あっ……。
ずっと、物食べてなかったからだ……。
頬がかっと熱くなり、俯いてしまった。やっちゃった……。
気まずい沈黙が場を包む。それを破ったのは、大袈裟に明るく振舞ってくれたアリスだった。
「そうだった! ユウが起きたっていうのに、すっかり忘れてたわ! ごめんね。お腹すいたでしょう。叔母が作ったスープが残ってるの。今すぐ持ってくるから、待っててね!」
「う、うん……。ありがと……」
うわー、恥ずかしい。きっと今私の顔、真っ赤になってるんだろうな……。
待っていると、大急ぎで温めたスープを持ってきてくれた。
赤色で、見たことのない野菜が入っている。それを見て、飛びつきたくなる気持ちにブレーキがかかる。
……どうしよう。大丈夫かな。違う星の私には、毒になるものが入ってたりしないかな。
ついびびってしまって、中々手を付けられなかったのだけど。
「どうしたの? 苦手なものでも入ってる?」
「い、いや。そういうわけじゃ」
促されて、立ち昇る湯気の良い匂いと、極限までの空腹には勝てなかった。恐る恐る、一口飲んでみる。
……すごくおいしい!
心配した私がバカだった。カボチャのスープのような優しい味がして、目が潤むほど美味しかったんだ。五臓六腑に沁みわたるとは、まさにこのことだと思った。
それからは、押し寄せる食欲に任せてがっついてしまった。正直、周りを気にする余裕もなくて。アリスは呆れ笑いをしている。
「こらこら。慌てなくてもちゃんとおかわりあるからね」
「うん。うん……!」
「ふふ。ほんと美味しそうに食べる子だこと」
結局一気に飲み切ってしまい、さらにおかわりまで頂いてしまった。
それにしても美味しかった。本当に美味しかった。飢えてなければ、これほど食に感謝することもなかったかもしれない。
食後も、アリスと色々な話をした。どうも同い年だとわかり、大いに盛り上がった。
彼女は快活で話が上手く、すぐに打ち解けた。身分も何もかも明かしていないのに、気後れを忘れそうになるほど親しくしてくれた。異世界で初めて友達ができたことが、心の底から嬉しかった。
ところが、ちょっと困ったこともあった。
目の前で変身するわけにもいかなかったので、ずっと女のままだった。だから当然、彼女は私のことを完全に女だと思っていて。話題も女の子特有のそれが多くなる。残念なことに、その辺りの機微がわからなくて……。
適当に愛想笑いや相槌を打ってやり過ごしたけど、ガールズトークをそつなくこなすには、まだまだ経験値が足りないと痛感するのだった。
やがて、叔母さんが帰宅してきた。ちょうどアリスから無邪気さを抜いたような、穏やかな雰囲気で優しい人だった。治療師を呼んでくれたのも、治療費を持ってくれたのも彼女らしい。
もう一人の命の恩人に対し、深く礼を述べた。しばらく泊まる旨をアリスが伝えると、予想通りに快諾してくれた。本当にありがたい話だ。
***
そして、夜も更けてきた頃。とんでもない事件が起きてしまった。
なんと、お風呂に入ることになりました。
……うん。私だけならまだいいんだ。あんまよくないけど。
アリスと一緒なんだ。
ああ! ばかっ! 泊まるって言った時点で、こうなる可能性を予測しておくべきだった!
わかっていれば、断れない流れになる前に対処できたかもしれないのに!
……何となくだけど。この状態で女の裸を見たからって、何とも思わないだろうって気はする。実際胸を見ても平気だったし。うん。
だから変なことになる心配はないと思うけど。でもなあ。なんか騙してる気がして、申し訳なくて……。
それで、さっきからあんまり目を合わせられないでいた。でも馴れ馴れしさにかけて筋金入りのアリスは、容赦なくスキンシップ攻勢を仕掛けてくるわけで。困った。ほんとどうしよう。
「スタイルいいのね。ユウは」
「そう、かな」
確かに夢の中で見た女の子は、かなりスタイルが良かったかもしれない。
今の私は、まさにその姿でいるのだから、そうした感想が出ても不思議ではないのかも。自分で言ってて恥ずかしいけど。
「それに、胸もあるしねえ~」
いたずらな笑みを浮かべると、胸の先をつんと突いてきた。
「ひゃっ!」
くすぐったいような、気持ち良いような――初めての感覚。思わず情けない声が出てしまった。
反射的にさっと胸を隠して、顔も背けてしまう。我ながらあまりに初々しい反応に、お相手は満足したようだった。
「へえ。ちょっと女らしくないと思ってたけど、あなたもそんなかわいい顔するのねえ」
「きゅ、急に触らないでくれよ! びっくりしたじゃないか!」
――心臓が、どきどきしてる。私の身体って、こんなに敏感なのか……?
「そーんな真っ赤な顔でそっぽ向いて言っても、迫力ないわよ~。ユ・ウ・ちゃん♪」
「はあ……」
――ダメだ。この人、すっかり楽しんでるよ。
好奇心というか、いけない心というか。流れは止まらなかった。さらに侵攻は進んで、胸をもみもみされてしまう。
手が触れたとき、トラウマが脳裏を過ぎった。ぴくんと肩が跳ねて、身構えそうになる。
――いや、落ち着け。相手は女の子だぞ。スキンシップでやっているんだから。
つい身をよじってしまったのを、単にくすぐったがっていると思ったのか、彼女は気に止まずいたずらを続けた。
慣れてきたら、正直ほっとした。あいつとはまるで違う、優しい手つきだったから。
――ほら、なんだ。何も怖がることはないじゃないか。全然痛くないし。逆に気持ち良いというか、妙にそわそわする感じが……。
「ん……」
不意に変な声が。まずい。別の意味で危なくなってきたぞ。
あ、ちょっと。これは……やばい。やばいって。あの、アリス。アリスさん?
本気出して弄らないで! おかしくなっちゃいそうだから!
「ちょっ……アリス、やめっ!」
「ほれほれ~、ユウはここが弱いのかしら?」
「あっ……ん……んんっ…………ばか、やめろって!」
ほとんど涙声で訴えると、
「あはは。ちょっと刺激が強過ぎたかもね」
満足気に笑って、やっと手を緩めてくれた。
「はあ……ふう……。もう、ひどいよ」
「あっはっは。ごめんね。反応が可愛かったからつい」
「しょうがないなあ」
――結構いたずら好きな子みたいだな。アリスは。
でもまだ私の胸に未練があるみたい。視線がずっと留まっている。
「でもいいわねえ。何を食べたらこんなに大きくなるのかしら」
「さあ」
知らないよ。女になったら、最初から膨らんでたわけで。
すると突然、彼女は自身を指して、恨めしげに宣う。
「ねえねえ。ほら、見てよ! あたしなんてさ、このちっぱいよ!」
そう言われると、さすがに見ないわけにはいかなくて。ごめんなさいと心の内で謝りながら、覚悟を決めて向き合う。
――やっぱり、思った通りだった。女の裸を見ても、男なら起こるはずの邪な気持ちは、特に湧いてこなかった。性的には平常心そのものだ。代わりに罪悪感が半端じゃないんだけどね……。
うん。確かに小ぶりな胸……というかぺったんこだけど。しなやかで健康的な体と合わせて、元気はつらつなアリスにはよく似合っていると思う。正直な感想を述べた。
「確かに小さめかもしれないけど、それはそれで素敵だと思うけどな」
「ふーん。余裕ある者の発言ね~。まったく、羨ましいわ」
――いや、余裕なんてないよ。確かに胸の余裕はあるかもだけど、罪悪感とか恥ずかしさとかで、もう死にそうだよ……。
二人で浴槽に浸かる。いつまでも避けていると変だし、もう色々と諦めるしかなかった。
なるべく自然体をと心がける。それに必死な時点で、平気じゃないことは明らかだけど。
ずっともじもじしている私が、アリスにはよほど可愛く映ったらしい。面白がってどんどん体を絡めてきたので、ますます心が乱れてしまった。
好き放題心ゆくまで堪能された後、やっと落ち着いた。その後は湯が冷めるまで、たっぷりお喋りをして。やがて話題は、私の今後のことになった。
「ユウはさ、治ったらどうするの?」
「さあ。どうするのかな」
わからない。これからどんな風に生きていけばいいのだろう。
「どうするのかなって。あなた、自分のことでしょう」
そうだよなあ。何とかしないとって、思ってはいるんだけど。何もかもが違い過ぎて、どこから手を付けたらいいのか。
けど、そうだ。とりあえずできそうなことなら――。
呆れたような顔を向けている彼女に、尋ねてみる。
「アリス。魔法って、誰でも使えるのかな」
今回の遭難で、とにかく力が必要なことを思い知った。とは言え、この常人の身をいくら普通の方法で鍛えたところで、限界はすぐにやって来る。
でも、もしも色んな魔法が使えたなら。今回のようなピンチになったとき、取れる選択肢は広がるはずだ。
それに、何の力もないままでいたら――また――。
身震いがした。
――いやいや。もう考えるな。あいつのことなんて。
「あなた、魔法学を習ったことないの?」
「実は、まったく知らないんだ」
ずっと科学の世界にいたからね。
よほど常識のない話なのか、アリスはかなり驚いていた。
「まあ。それは珍しいわね。魔法はね、あたしみたいに魔力のある者にしか使えないのよ」
「その魔力というのは、私にもあるのか?」
とことん無知を晒すと、得意な顔で親切に教えてくれた。
「知りたいなら、役所にある測定機を使えば、どのくらいか測れるわよ」
「ふうん。そんなのがあるのか」
「うん。魔力というのはね、魔素を取り入れる能力のことだから、体質で結構個人差があるの。もし魔力があまり少ないと、残念ながら魔法は使えないんだけど。ユウはどうでしょうね」
「そっか。なるほど。それで、魔素ってなに?」
「もちろん、空気中の七割を占めるあの魔素のことよ。って、さすがにこれは常識だと思うんだけど。ユウってほんとに何も知らないのねえ」
さすがのアリスさんも目を細め、怪訝な視線を向けてくる。あまりに知らないから、不思議に思われたかな。
……と、とりあえず苦笑いで誤魔化しておこう。ちゃんと誤魔化せてるかな? あはは。
それにしても――魔素。空気中の七割を占める、か。
この星では、地球上の窒素の代わりを占める位置にあるらしい。とすると、あのエメラルドグリーンの空は、世界中に溢れる魔素によるものかもしれないな。
魔法のことは少しだけわかった。どうやって勉強しているのかも気になるところだ。ここも素直に聞いてみるしかないか。
「アリスは、サークリス魔法学校ってところに通うんだよね。どんな場所なんだ?」
「この町で一番大きな魔法学校よ。剣術学校が隣にあるんだけど、そこと合同で町が運営しているの。入学するとクラスに分かれて、四年間魔法について学ぶのよ。校風も良いし、今から楽しみなの」
「へえ。いいなあ。私もちゃんと高校生活したかったな……」
なにせ入学してから、一年もしないうちに異世界に飛ばされてしまったわけで。
「なに? コウコウって」
「いや、何でもないんだ」
――はは。そっか。高校って呼び方をする学校はないんだね……。
「学校かあ。ちゃんとした場所で魔法を学べるなら、それが一番いいんだけどなあ」
「もしかして、あなたも魔法使いになりたいの?」
「うん。もし魔力があったらだけどね。でも家もお金もないから、独学でやろうかなって思ってるけど」
そう伝えると、顔がぱっと明るくなった。
「それなら大丈夫よ! サークリスはね! 別名『剣と魔法の町』というくらい、剣術と魔法には力を入れているの」
「剣と魔法の町?」
何だか妙にど直球で、ファンタジックな響きだな。
「そう! 強い勉学奨励政策をしててね。援助も厚いのよ!」
「へ、へえ。そうなんだ」
なんか急にすごい身を乗り出すね、君……。
「そうなの。魔力さえあれば、望めば簡単に編入できるし、お金のない人には奨学金もあるわ。三食付きの寮だってあるから、住む場所の心配もしなくていい。あたしも寮に入るつもりなの!」
興奮気味にまくし立てた彼女は、明らかに息が上がっている。剣幕に押されつつも、一連を聞いて、私もじわじわと希望が込み上げてくるのを抑えられなかった。
「編入が簡単。奨学金に、三食付きの寮だって!?」
渡りに船とはこのことだ。それなら暮らしの心配もなく、思う存分魔法の勉強ができる。しかも、安全に。
殺人未遂、レイプ野郎、遭難。どん底の不幸続きだった私にも、ようやく運が向いてきたのかもしれない!
もう答えは決まっていた。
「アリス。決めたよ。私も入ることにするよ! 魔法学校に!」
「ほんと!? まさかユウが一緒に入ってくれるなんて! あたし、とても嬉しいわ!」
お湯が飛び跳ねるほどの勢いで、がばっと抱きつかれた。身体が密着して、胸同士がぎゅっと押しつぶされる。
驚いて離そうとしたけれど、締め付ける力が強くて。何より、いつになく深刻な顔を見て、力が抜けてしまった。されるがまま身を任せることにした。
「実は心配だったのよ……。放っておいたら、今度こそどこかでのたれ死んでしまうんじゃないかって。この辺のこと、なんにも知らなそうだし」
「アリス……。そっか。心配してくれてたんだね……。ありがとう」
人に思い切り抱き締められるのなんて、いつからされてなかったっけ……。
こちらも手を回して、抱き返す。裸同士なのも、このときだけは気にならなかった。首筋にもたれかかると、彼女の赤茶髪が軽く頬をくすぐる。
やわらかくて。あったかくて。
人の温かみに触れたとき。とても不安で、心細かったんだと痛感する。
受け入れてくれる人が側にいるだけで、こんなにも安心できるものなんだって。気が緩んだら、不意に頬を伝うものが出てきた。
――ああ。まただよ。こんな簡単に泣いてしまうなんて。どうかしてる。
恥ずかしくて。そっと顔を背けようとしたけれど、すぐに気付かれてしまった。
「あら、ユウ。泣いてるの?」
「……泣いてない」
「うふふ。強がらなくてもいいよ。泣いてるでしょ?」
「……っ……泣いてない!」
元は男の矜持として見せた、最後の強がり。でもアリスには、ちっとも通用しなくて。
「あ……」
そっと頭を撫でられる。肩まで流れる黒髪を、優しくなぞるように。
……今は、女だからかな。自分というものが余計に、ひどく小さく頼りない存在に思えて。
そんな私を温かく包み込んでくれる彼女が、ずっと大きく頼もしく思えて。
だからもう、強がることもできなくて。
「別に泣いたっていいじゃない。一人で怖かったよね。心細かったんだよね」
「……うん」
「大丈夫だよ。もう大丈夫。あたしがいるからね」
「うん……。ありがと」
結局は落ち着くまで、素直に甘えさせてもらうことになった。
アリスもこういうときは変に茶化したりしないで、じっと抱き締めていてくれた。
――うう。図らずも弱みを見せてしまったな……。でもおかげ様で、かなり近付いた気がする。
向こうも同じように感じてくれたみたいで。色々と一安心したらしいアリスは、屈託のない笑顔を見せてくれた。
「でも安心したわ。もしあなたが入れたらだけど、そのときは女の子同士、一緒に頑張りましょ!」
「うん。そうだね――ん?」
女の子同士……? 何かやらかしたような……。
あっ。ああっ!
ものすごい下手を打ってしまったことに、ようやく気付いた。
しまった! この流れだと、ずっと女子として学校に通わないといけないんじゃ……! どうしよう!? そんなに長い間女のままでいるなんて、考えてなかったよ!
くっ。やっぱりやめるって言って、男子で入ることもできそうだけど……。それではアリスを悲しませてしまう。せっかくこんなに喜んでくれてるのに、そんなことはしたくない。でも、でも……。ううう。
しかも寮って、よく考えたら……。
「あのさ。寮なんだけど……」
「安心して。もちろん女子寮だから!」
さくっと止めを刺された! やっぱり。やっぱり女子寮なのか……。
ああ。罪が、重い。心が、重い。
「これからもよろしくね! ユウ」
「はは、は……」
「どうしたの?」
「何でもない。何でもないんだ……」
もし学校に入れたら、ちゃんと女として過ごそう。それなら何も問題はない。ないはずだ。
だって私は! この身体の私は、紛れもなく女なんだから!
か弱い身体を確かめるように、両腕で自らを固く抱きすくめながら、そう決意した。




