第12話 日本人は自国以外の生水を飲んではならず
縦長の瞳孔が、木に隠れて騒いでいた私達を見据えている。
大きく開けられた口は鋭く生え揃ったナイフみたいな牙だけでなく、底の見えない口腔内を覗かせていた。
まるで、蛇に睨まれた蛙のように身動きできなくなった私と違い、先輩は魔法の絨毯を操ってドラゴンの前まで降りていく。
ホワイト・ドラゴンは目の前に現れた私たちの動きを具に見ていた。
ドラゴンの爪の先ほどの大きさしかない人間なんて、私達から見たアリンコみたいなもんだろう。
「あ・・・・・・」
絨毯に座った状態でドラゴンの巨大さに呆気にとられていると、ドラゴンの喉元がピンク色に染まっているのが目に留まった。
刹那、昨日、ニチカくんが深刻な表情をして話していたことを思い出す。
『お産をしたばかりのお母さんだと思います。逆鱗が薄桃色でしたので』
ピンクがかっている鱗は、桜貝みたいに艶めいている。
──ってことは、お母さんドラゴンの卵もあるはず。
しかし、目の前には巨大なホワイト・ドラゴンの姿しかなく、伏せっている足元にはそれらしき物は見つからない。
キョロキョロと視線だけで辺りを見渡していると、視界の隅っこで先輩がひらりと魔法の絨毯を飛び降りるのが見えた。
難なく地面に着地した先輩は、腰に片手を当てて鎌首をもたげているドラゴンを見上げる。
あんまりにも無防備な先輩の姿に心臓がキュッと縮こまりそうだ。
しかし、私が呼び戻すよりも先に、先輩がドラゴンに向かって口を開いた。
「よう、同郷。ここの住み心地はどうだ?」
ウチの先輩、意外と動物に話しかけるようなタイプだったらしい。
今回の場合は、魔物だけど。
いつも通りの飄々とした態度で、ドラゴンに調子を尋ねる先輩の身を後ろで案じる。
すると、ドラゴンが不可思議そうに長い首を傾げた。
「グワァ、アアァ?」
「合ってる。だから、話してみろ」
見る見る間に、自分の目が見開かれていくのが分かる。
あんなにも臨戦態勢だったホワイト・ドラゴンは、真下にいる先輩を襲ったりせずに、ただただ鳴き声だけを発しているのだから。
「グググァ、グァ」
「マジか。そりゃあ、ここまで逃げてくるよな。でも、街道で子育ては大変だろ」
「グアアアアアッ!」
「流石にユニコーンを退かすのは無理だって。やるとしたら、殲滅になる。流石にそれをしたら、妖精が黙ってないってのは分かるだろ」
「グゥゥゥン。ウウウウ」
「わーった!分かった!探す。探してみる。ったく、我儘なレディだな」
どうしよう。
何故か襲ってこないドラゴン相手に、先輩が一人劇場を始めてしまった。
新卒の時に世話になったスピリチュアル店長も、ペットの鳴き声を勝手に良いように解釈して、一人で喋っているタイプだったけど、別にそこまで気にはならなかった。
けど、先輩が同ジャンルっていうのはちょっと、ねぇ。
一通り、ドラゴンとのお喋りを楽しんだ先輩は、ホワイト・ドラゴンに手を振ると、魔法の絨毯の上へと戻ってきた。
「今から、妖精の湖に行くぞ」
「ドラゴンって、意外と大人しいんですね。先輩の一人会話にまで付き合ってくれるなんて」
咆哮どころか、炎のブレスを浴びせることもなく、ドラゴンは大人しく私達を見送ってくれる。
見た目はイカついし、バカでかいドラゴンだけど、害が無いなら、放っておいてもいいんじゃないかとさえ思えてくる。
そんな私の呑気な口ぶりに、先輩は何を言われたのかが理解できないとばかりに両目を瞬いた。
だが、それも一拍のこと。
見る見る間に耳まで真っ赤に染めた先輩は、すぐ後ろで抗議の声を上げる。
「ちげぇわ!ちゃんと会話してたっつーの!」
「いやいや、嘘言わないでください。ドラゴンと会話出来るなんて、ハリーでもしなかったですよ」
「誰だ、ハリーって。いや、そんなこたぁ、どうでもいい。とりあえず、湖だ。ユニコーンに話をつけに行く」
これ以上、会話を重ねても無駄だと思ったらしい先輩が強引に会話を切り上げた。
ただ、豪快に方向転換させた魔法の絨毯によって、体が一瞬だけブレる。
さっきまではどんなに速いスピードで前進したり、降下したりしても体は動かなかったのだから、これは先輩が意図的に魔法を緩めたりした結果だろう。
ちょっとセコいことをする年上に半目になったけど、物申したら、いよいよ安全装置の付いていないジェットコースターみたいな体験をさせられそうな気がする。
物分りのいい私は、黙って魔法の絨毯に運ばれることにした。
◇◆◇
ホワイト・ドラゴンの位置から、森の上を魔法の絨毯で南下すること二十分ほど。
鬱蒼と生い茂る森の中で、ぽっかりと拓けている場所が見えてきた。
その内の半分くらいの面積を占めている湖は、西側へと沈んできた太陽の日差しを受けて七色に輝いている。
此処が魔物の住処である霧の森の中でなければ、有名な観光地になっていたことだろう。
ゆっくりと降下していく魔法の絨毯に、落ちないと分かりつつも表面を握り込む。
すると、後ろの先輩が私の肩をさっと押した。
背中から先輩の方に倒れ込んだことに目を白黒させていると、背後から「凭れとけ」と短い気遣いが聞こえてくる。
どうやら、私が落ちるんじゃないかと怖がっているのがバレていたらしい。
ってことで、私は思いっきり先輩を座椅子として扱わせていただくことにして寄りかかった。
容赦のない私に、先輩の「お前なぁ」という呆れた声が降ってくるが気にするものか。
先輩の呆れた視線を背中に感じていると、徐々に視界が地上へと近づいて行く。
湖の側へ、魔法の絨毯が地面から20cmほどの高さで止まったのを見計らって、私は地面に降り立った。
マイナスイオンが充満しているのか、深呼吸しなくても空気が美味しい。
肺いっぱいに空気を吸い込んでいる私の傍らでは、先輩が湖の前でしゃがみこんでいた。
「凄い魔素だな。流石、ダンジョンのお膝元にあるだけある」
「まそ?」
聞き馴染みの無い言葉に、首を傾げる。
地球とは星すら違うだろうから仕方がないのだけど、この世界はやたらと専門用語が多くて覚えるのが大変だ。
不思議な顔をする私とは裏腹に、先輩は湖の水を両手で掬う。
薄らと笑う先輩の目元を、靡いた風が前髪で覆い隠した。
「空気に含まれた魔力のことだ。人間や魔物の体で作られる魔力と違って、自然発生した物が魔素」
先輩のお椀型にした両手の中で、掬われた水が七色に輝いているのが見える。
どうしてこんなにキラキラと輝いているのだろうと見蕩れていると、先輩はそれに口をつけて一気に煽った。
「先輩!?人の手が入ってない生水はヤバいですって!!お腹下しても知りませんよ!!」
「下さねぇわ! 美味いぞ、この水。魔素を含んでいるから、使った魔力も回復する。俺──いや、此処は魔法使いにとって楽園だな」
浮いている魔法の絨毯に、ちらりと視線をやる。
確かに私と先輩を乗せて運んでくれた魔法の絨毯の原動力は、そもそも先輩の力だ。
というか──。
「もしかして、先輩のジョブって魔法使いでした?」
「・・・・・・絨毯飛ばして、お前を浮かして、風避けの魔法も使えんのに魔法使い以外の選択肢があるか?」
「なるほど、本当にハリーでしたか」
「だから、ハリーって誰だよ」
先輩がホグワーツに通っている所を想像しようとして、首を振る。
服はまともに着ず、朝まで酒を飲み続け、しまいには煙管休憩が欠かせないサボリーマンだ。
きっと、入学許可証すら届くまい。
私が何かよからぬ事を考えていることは、流石の先輩も気付いたらしい。
湖の水を掬って、抗議するようにこちらに飛ばしてきた。
飛んできた水飛沫を、すんでの所で躱す。
へへんと勝ち誇った顔をしてみせると、先輩はあからさまにめんどそうな顔をして逸らしやがった。
喧嘩を売ってきたのは向こうなのに、勝手だ。
抗議しに行こうと足を進めようとしたところで、つんのめる。
「わぁ!」
しかし、地面にダイブすることにはならず、何故かビヨヨンと私の体は宙に浮いていた。
その正体を探るべく、恐る恐る後ろへと振り向く。
視線をやったその先には、角が生えた白い馬がいた。




