2-1 山に消えた子ども
ある朝、井戸の水を運んで歩いていたカイルとレータは、広場で何人かが不安そうな顔をして話し合っているのに気づいた。
マルカおばさん、アンナおばさん、村長、そして村長の横に木こりと猟師がいる。
顔ぶれからいっても、単なる雑談の井戸端会議ではなかった。
「何かあったの?」
レータが声をかける。
「アンナさんちのベアタが山に行っちゃったんだよ」
「山に?ベアタが?」
「確かベアタは7歳になったばかりでしょ。1人で山に行ったの?」
7歳の子どもでも1人で遠出しようと思えばできないことはないだろう。ただ、それにしてもなぜいきなり山に行ったというのだろうか。
アンナおばさんが手に持っていた小さな紙片を見せた。
「やまにいってキボウソウをとってくる」とたどたどしい字で書いてある。ベアタが教会で習って覚えたばかりの文字なのだろう。
キボウソウというのは植物の一種だが、地元の民話では願いをかなえる力がある草とされており、高山地帯に生えていて紫色の花を春から夏にかけて咲かせる。
もちろん実際には、願いをかなえる魔法の成分みたいなものをキボウソウが持っているわけではない。あくまで単なるおとぎ話である。
しかし7歳くらいの子どもならまだおとぎ話を本気にしても不思議はない。
アンナおばさんの夫は2年ほど前から兵隊に取られて今は北の国境の守備に回されているので、母子の2人暮らしである。いつ夫が帰ってくるかはまだわからない。
山といっても範囲が恐ろしく広い。
「キボウソウの生えていそうな場所はいくらでもあるからな。まず場所の手がかりがないとどうにもならん。」
と、山になれた木こりが言った。
「場所によっては危険な野獣がいるし」
と猟師も言う。
「捜索隊を作って行きたいところだけど、広すぎてどこに行けばいいかもわからん。どうすればいいか…」
と村長。
カイルは
「確かに二次災害も気をつけなきゃいけないですしね」
と納得する。
「でも、一体どうすれば。このままじゃ…」
とマルカおばさん。
アンナおばさんは何も言えず、青い顔をしてうつむいているだけだった。
カイルとレータはしばらく見つめ合った。
「…僕らなら役に立てるかも」
「そうね」
「え、まさか。お前さんたち、あの力を使うのか」
村長が驚いた顔で見つめる。
「そのまさかですよ、村長。僕たちが行きます」
「私たちなら、変身すれば山も速く登って移動できるし。危険があってもだいたい何とかできるでしょ」
「でも、行き先がわからなきゃ、いくらお前さんたちでもどうにもならないだろ。」
村長が困惑して言う。
「匂いを使えばいいの」
とレータが説明した。
「匂いって?」
「変身した僕らの鼻は犬よりも利きます。かなり離れていても人の匂いがわかる。ベアタの匂いさえわかれば…」
「なるほどね、そういう手があったか」とマルカおばさん。
「そうなると、俺らの出番はなしか」
と木こりが言うと、猟師は
「仕方ない。下手に俺たちが行くよりも、人獣戦士の2人に任せた方がいいだろう」
と答えた。
2人は人獣に変身すると、ベアタの使っていた服やタオルなどの匂いを嗅いで十分記憶にたたき込んだ。
これで広大な山地の中から捜索の範囲を絞り込むことができた。
複数の山道の中から1つを特定して、行くべき方向が決まった。
「頼むよ、2人とも」とアンナおばさんは祈るように声をかける。
「行ってきます。」カイルが言ってレータもうなずき、さっそく飛び出すように走り出す。
その身軽な姿はまさにオオカミやヒョウのようだった。
匂いを頼りに山道をしばらく進むと、どんどん寒くなってきた。7歳児が登るにしてもどこまで登れただろうか。
キボウソウが咲いている場所はかなり高いところに集中している。ただそのあたりは野獣が出ることがあり、たまに人が襲われる例もなくはない。
「今のところ、人間の血のにおいはしないな」
「ベアタはけがはしてないってことね。今のところは」
クマなどの動物に危害を加えられたりはしてなさそうだった。
さらに奥深く上っていくと、どんどん険しくなり、道らしき道もなくなってくる。ここから上るのは普通は困難で、まして子どもが平気で上れるわけがなかった。
「ベアタの匂いはもっと上の方から流れてくる」
とレータが首をひねる。
「一体どうやって上の方まで登ったのかな」
突然、樹木の茂みから何か黒い塊のようなものが飛び出してくる。カイルとレータに匹敵するくらいの大きなクマだった。
それが威嚇するでもなく、様子をうかがうでもなく、いきなりカイルとレータに向かってきた。
2人はもちろんクマなど恐れる必要はない。クマの爪で引っかかれてもほぼ傷はつかない。逆に2人がかりでクマを蹴り、殴る。
どこかで退散するだろうと思っていたが、いつまでも引かないどころかしつこく立ち向かってきた。
人獣の2人を相手にして、なぜクマは逃げないのだろうか。恐れている感じがまったくしなかった。
とうとうカイルが手刀で腹をかっさばき、レータが首筋を食いちぎってとどめを刺した。
「ずいぶん凶暴なクマだな。全然逃げようともしなかった」
とカイルが言う。
まさかこのクマがベアタを喰ったのでは?と一瞬不安になったが、特にそういう痕跡は見当たらなかった。喰われたなら人間の血の匂いがするはずだが、特に匂ってはこない。
その茂みのさらに奥の方に何かもぞもぞ動くものがあった。
よく見ると小グマが2匹いた。あわてて逃げて行く。
「今のは母グマだったの?!」
とレータが叫ぶ。
「ああ、私たちが侵入者だったんだ。お母さんが子どもを守ろうとしただけだった…」
一瞬、レータの胸の中に7年前のことが浮かんだ。自分を守ろうとした母と父の姿。
「…許して…」
レータはしばらくうなだれていたが、気を取り直してまた歩き始めた。
そして…




