6-2 学園の令嬢
数週間後、カイルとレータはいったんモスヴァンの館に立ち寄った後、あまり目立たない格好をして、執事たち数名の使用人と一緒に帝国学園に向かった。
2人とも帝都に来るのは生まれて初めてである。こんな大都市とはこれまで無縁だった。今までモスヴァンよりも大きな街には来たことがなかったのだ。
皇帝の宮殿、官庁街の建物や賑やかな商店街、大きな公園など初めて見るものばかりだった。観光で歩き回りたいところだったがもちろんそんな暇はない。
学園に来ると、執事が守衛に話をして門を開けてもらい、2人は中に入った。
今は終業式の前の日。つまり出発の前日の夕方である。従者や他の使用人は外の宿で一泊して、明日また顔を合わせることになった。
「あと1つ、念のためですが」
と別れ際に執事がつけ加えた。
「学園の中では、お2人は人獣戦士に変身なんかしないで下さいね。学園の中ではお2人の正体は誰も知りませんから」
「まったく誰も知らないんですね?」
「誰にも知らせていません。学園長にすら教えていないのです。あくまでお2人は普通の従者で、お嬢様の帰省の雑用の手伝いのために今日やって来た、ということにしてあります」
「でも万が一ってこともあるでしょ。変身して戦わなきゃいけないことが起こるかも」
とレータが言うと
「そうですね、学園に魔族や敵国軍が攻めてきたとかいうんだったら、その時は仕方ないです」
「え、学園にそんなのが今すぐ来るわけないと思うけど」
「でしょうね。そんな非常事態にでもならない限りは、変身しないで下さいっていうことです。大騒ぎで収拾がつかなくなりますから」
「刺客が来たら?」
「学園には警備の者が大勢います。どうしても他に手段がない時は仕方ありませんが、それ以外は、警備の者に任せてください」
「わかりました」
「もちろん、学園を出たら話は別です。替え玉として馬車でモスヴァンに向かう途中で襲撃してくる奴がいたら、変身して暴れてもらって構いませんよ」
そう言って執事は、他の使用人数名といっしょに帝都の自分たちの宿に向かって去って行った。
学園の敷地の中の、打ち合わせで決まっていた場所で、ナタリアと2人は顔を合わせた。
「カイル!レータ!」
笑顔でナタリアは駆け寄ってきた。
「お久しぶりです」
レータもうれしそうだ。
本当にはしゃぐようにナタリアは2人の手を取る。
ナタリアのこういう素直で屈託のないところが2人とも好きだった。ただ、それは世の中の苦労をあまり知らないからこそだったかも知れない。
「きてくれてありがとう」
「素敵な学校ですね」
とレータはうらやましげに言う。
「何だったら、2人とも途中から編入するようにできなくはないよ。この任務が終わったら、正式に生徒になれる」
「え?そんなことできるんですか」
とカイルは驚いた。
「従者や使用人でも特別な申請があれば、生徒として入学はできるの。やってみる?」
レータは少し考えていたが
「やっぱり遠慮しておきます」
と苦笑いして言った。
「あら、そうなの?」
「勉強は苦手ですから。体育だけなら自信ありますけど。…でもカイルなら勉強もできそうだよ、ね?」
「ん…。どうだろ。でも僕もこういう場には似合わないかな」
ナタリアは笑って
「まぁ、学園の校則とか礼儀作法はうるさいから、2人には合わないかもね」
と言った。
「やっぱり窮屈なんですね。何となくそうだろうと思ってました」
とレータが言うと
「自由な2人がうらやましいな」
とナタリアはぽつりと言った。
果たして自分たちはナタリアがうらやましがるほど自由なのだろうか、と2人は思ったが、余計なことは考えないことにした。
「今夜は使用人用の宿泊室があるから、そこに案内するね」
「明日、終業式があって、それから替え玉として入れ替わって出発ですよね」
「そうそう」
そんなことを言いながら、3人は学園の敷地内を歩いて行く。
時々すれ違う生徒や教職員がいたが、カイルとレータがあまりにも粗末な服を着ているので、じろじろ見られることもあった。何しろ腕と腿が丸出しの行動優先の格好である。
「あ、そうだ、着替えしないとまずいね」
ナタリアは思い出したように言った。
「着替え…ですか?」
ここで2人は、ナタリアが大きな袋を手に持っているのに気がついた。
「これ、あなたたちの服なのよ。着替えてもらいたいの」
とナタリアが言う。
「どんな服なんですか?」
とレータが興味を示す。
「学校の制服。従者もこの学園の中でいっしょに行動するときは着る決まりになっているの。他の貴族の従者もみんなそうしているから。ちょっと今の格好だと目立ちすぎて浮いてるし」
2人は使用人宿舎の一角で着替えた。
カイルはレータの制服姿に思わず見とれてしまった。
レータは
「ねえ、この制服私に似合うと思う?」
などといってすっかりご機嫌になっている。
「かわいいな。すごく似合うよ、レータ」
とナタリアが言ってくれた。カイルも何か言おうとしたが、うまく言葉にできなかった。
使用人宿舎の前でそんなふうにしゃべっている3人の前に、何か近づいてくる気配があった。
カイルとレータがそちらの方向に眼をやると、何と2匹の大きな黒い猛犬がいた。首輪がついているので野犬ではなかった。
ウウ…とうなりながら近づいてくる。
ナタリアが気づいて「え?」と叫ぶ。
本気で襲ってきたらただでは済まなさそうな猛犬だった。
おびえているナタリアをかばうように、カイルとレータが進み出る。猛犬は2人に向かって飛びかかってきた。
2人は猛犬を強くにらみつけた。飛びかかってきた猛犬が、2人の眼を見る。
とたんに動きが止まり、うなり声も収まった。次第に猛犬はおびえた表情になり、うつむいたようになって引き下がり始める。
2人が前に進み出すと、猛犬は悲鳴を上げて逃げて行った。
「もう大丈夫でしょう」
とカイルがナタリアに声をかけた。
「怖かった…あの犬、何で逃げて行ったの」
「僕らの眼を見て、獣だと思ったからでしょう。身体は変身していなくても、犬の本能で何かわかったんだと思います」
「あ、そうか」
「首輪をつけていたから、飼い主のところに戻っていくんじゃない?追いかければ飼い主がわかるかも」
とレータが言って、3人は犬の逃げた方向に歩き出す。
「私たち、人間の姿でも多少は鼻が利くから、犬の行った場所はすぐわかりますよ」
まもなく犬のいる場所がすぐ見つかった。倉庫の片隅に、1人の女子生徒がいたのだ。
2匹の犬に向かってその女子生徒は「何で戻ってきたの?何やってるの」とか言っていた。犬がすぐに戻ってきたのが信じられない様子だった。
そこに3人、とりわけナタリアがやってきたのを見て、その女子生徒は「ひっ!!」と震え上がる。
「セレナ先輩…ですね」
「…わ…私は…」
「この人はね、私の1つ上の学年のセレナ先輩。ある侯爵家のご令嬢」
とナタリアが2人に説明する。
「失礼ですが、この猛犬は、セレナお嬢様の飼い犬だったんですね」
とカイルが言う。
「人にケガさせようとしたの?」
とレータも追及した。
「ち、違うの…ちょっと脅かそうとしただけで」
犬たちも地面に這いつくばって、女主人と同じくらいにおびえていた。
ここでカイルは、伯爵たちの説明を思い出した。政治的に伯爵を陥れようとする勢力がある、と。
だとしたらこれも、このセレナ先輩とかいう生徒の思いつきではなく、政治的背景があるのではないか?
アンチ伯爵の政治勢力が、女子生徒を通じて、犬を使ってナタリアを脅して恥をかかせたり、大けがをさせようとしたりしたのでは?
カイルはナタリアやレータとちょっとひそひそ相談してから、セレナにこう言った。
「誰に頼まれてやったんですか?それを教えていただければ、セレナ様のことは誰にも言いませんよ」
セレナはあっさり素直になって事情を説明したが、それは政治的陰謀などではなかった。
単に上級生数名が、ナタリアが人気があるらしいので嫉妬して、恥をかかせたかっただけだという。犬を使って服を引きちぎる程度のことを考えていたらしい。
「服だけでは済まないかも知れないでしょ。ナタリア様が大けがしたらどうするのよ」
「どうせ大声を上げてすぐ逃げるだろうから、そんな大事にはにならないで済むと思って。学校の中だし」
確かに言われてみれば、学校の中ならすぐ人が駆けつけるだろう。もともと犬はさっさと引き下がらせるつもりだったのかも知れない。
これ以上追及しても何も大した情報は出てこないだろうと思って、3人はセレナを解放した。何も政治的背景はなく、生徒による悪質な嫌がらせだったのだろう。
「2人のおかげで、さっそく助かったわ。それじゃ、明日はよろしくね」
ナタリアは2人を抱きしめて、生徒用の寮の方に戻っていった。




