4-7 村に来た伯爵令嬢
ハンス亡き今、伯爵としては将来のことも考えて、できるだけ早くナタリアに辺境伯領全体のことについて学んでもらう必要があった。
そこでナタリアに領地のあちこちの地域を視察させるようにしていたのだが、ベルダ村の番がたまたま回って来たのである。
村長や司祭たちの案内でナタリアは村のあちこちを見て回った。教会の前を通ったときは墓地をとおりすぎたが、もちろんそこに眠る4人の子どもたちがなぜ亡くなったのかは知るよしもなかった。
一通り視察した後、ナタリアは牧場や農地や市場などを見るだけでなく、山の方までちょっと足を伸ばしてみたいと言い出した。ベルダ村は山の風景がかなり美しかったのである。
「あまり山奥に行くと、いろいろ危ないこともあるかと思いますが」
と村長が言うと、ナタリアは
「そんな危ないところには行きませんよ」
とすぐ言い返した。
そして途中まで来ると、ナタリアは
「村の皆さんのご案内の行列はもういりません。お手数をおかけするのも申し訳ないですし。私1人で軽く山の方まで行って見てきますわ。すぐ戻りますから…」
とも言い出した。
しかし村長たちは
「お1人で行動されて、お嬢様に万が一何かあったら困ります。何が起こるかわかりませんから。土地のことを知ってる者が誰か同行しないと…」
と、ナタリアの単独行動に強く反対した。
するとナタリアは、待ってましたとばかりにこう答えた。
「じゃあ、カイルとレータの2人を私につけてもらえないかしら?あの2人がいれば大丈夫でしょ。だいたい人獣戦士なんだし」
いささか安直な考えだったが、村長たちは単独行動されるよりはマシだと思って、さっそくカイルとレータに頼んだ。
「お前さんたち。ちょっと面倒をかけて悪いけど、ナタリア様のお供をして山の方までつきあってくれないか?」
そういうわけで、2人はナタリアと山まで出かけることになった。これこそナタリアにとっては願ったりかなったりだった。先日の会食以来気に入っていた2人と一緒に行動してみたかったのである。
馬には頼らず歩いて山道を登って行く。地元で慣れているカイルとレータはもちろん山道には強かった。
「ナタリア様、ここの山道、きつくありませんか」
「もし何でしたら休んだ方が」
カイルとレータが気遣って声をかけると、ナタリアは
「これくらいなら全然平気。鍛えてるから」
と答えた。
実際、ナタリアは登山や狩猟などで野外を歩き回る訓練をかなりやっていた。
斜面が次第に急になり道も怪しくなってくると、カイルはさすがに心配になって
「そろそろここらへんで戻りませんか?」
と言ったのだが、ナタリアは
「もっと眺めのいいところに行きたいな」
と言って聞き入れず、すたすたと登って行く。
貴族の令嬢がここまで脚が強いとは思わなかったので、レータもカイルも少々驚いた。
とは言え、慣れていない場所である。ナタリアは木の根っこにつまづいて思わず転びそうになった。
「気をつけて歩いてくださいよ」
とストレートにレータが言うと
「ちゃんと気をつけてるわよ」
とナタリアは強気に言い返した。
やれやれ…という顔でカイルがレータと目を合わせる。
「私は、別に意味もなく山に登ってるんじゃないよ」
とナタリアが言い出した。
「うんと高いところから、この村全体を見てみたいの。あなたたちの住んでいるこんな素敵な村のこと、ちゃんと見ておかないとダメでしょ。滅多に来れないんだから」
とナタリアは強く言い張った。
「私、もっと知りたいの。あなたたちのことも、この村のことも、領地全体のことも」
カイルとレータも、こういう前向きなナタリアを嫌いになれなかった。仕事とはいいながら、こんなふうに3人で一緒に山歩きをするのが楽しくないと言えば嘘になる。
しかしナタリアがどんどん上に行くのでぼやぼやしていられない。2人ともあわてて追いかけていくしかなかった。
そうこうするうちに、とうとう道のない高さのところにまで来てしまった。
地元の人間なら来るはずのない領域である。
ふと、そこに巨大なイノシシのようなものが2頭飛び出してきた。荒っぽい息を立てて立ちはだかった。
予想もしていなかった事態に、思わずナタリアは「きゃ!」と声を立てる。
イノシシに似ているがもっと大きな凶悪な獣であり、魔獣の血が混ざっているとも言われる独自の野獣だ。まだあまり研究が進んでいない動物だったが、このあたりの地域ではオニイノシシと呼ばれていた。
人間より少し大きいくらいである。
オニイノシシは、山地のかなり奥の方の領域にしか住まず、ふもとや村の方に来ることはないと言われていた。
雑食性で、他の動物を食らうこともあるという。この村では人身被害が出た話はまだないが、他地域では人間が襲われた例も僅かながらあるという報告もある。生態が必ずしもよくわかっていない生き物だった。
オニイノシシたちはこちらの方を睨みながら徐々に近づいてくる。本気で向かってきたら危ない。
ナタリアは立ちすくんで動けない。
本来はこんなところにまで人間が入ることはなかったはずだった。オニイノシシたちは縄張りを侵されたと判断してやってきたのかも知れない。
カイルとレータはお互いに目配せしあって、急いで変身した。ゆっくり服を脱いでいる余裕がなかったので、服はそのままちぎれた。
2人の人獣戦士の姿を見て、オニイノシシたちは驚き警戒する。
軽く1頭に蹴りを入れると、2頭ともあわてて逃げ去って行った。
「とりあえずは大丈夫でしょう。急いで戻りましょう」
さすがにナタリアも嫌だとはもう言えなくなった。3人ですぐに向きを変えて降り始める。
ナタリアが下り坂で転ばないように、人獣の2人が支えつつ歩いて行く。
こうして、ようやく村人や従者たちが待っているのが見えるあたりまで戻ってきた。
「ナタリア様」
と、ここでレータは真面目な口調になった。
「万が一のことがあったら、伯爵様も奥様もものすごく悲しみますよ?無茶はしないでくださいよね。お父様お母様に心配をかけないでください」
カイルもうなずく。
「2人とも、本当にごめんなさい。私のわがままで迷惑をかけてしまって」
驚くほど素直にナタリアは謝り、2人の獣の毛深い手を握りしめた。
と同時にナタリアは、2人が今人間に戻ったら着るものがないことをすぐに察した。
さきほどはあわててすぐ変身したので、カイルとレータの服は裂けてしまっていたのだ。
3人が戻ってきたので従者や村長たちが近づいてくる。
村長は
「おいおい、何でカイルとレータが人獣に変身しているんだ?」
と、異常があったことをすぐ理解した。
ナタリアが
「イノシシの巨大なバケモノみたいなのがいて…」
と言うと、村長や村民たちはざわめいて、いろいろなことを言い始めた。
「オニイノシシですか?そんな奥の方まで行かれたのですか。ちょっと危なすぎですよ」
「何かあったら伯爵様ご夫妻が悲しまれますよ」
と、レータと同じようなことを言う村民もいれば
「何かあったら、うちらの責任問題だし」
と、ぶつぶつ言う者もいた。
「皆さん、本当に申し訳ありません。万一のことがあれば、私1人だけの問題じゃ済まないよね。私、自分のことしか考えていなかった」
ここでもナタリアは素直に謝った。
しかしついでにナタリアは、カイルとレータにこんなことも言い出した。
「こんなこと言うと叱られそうだけど、あなたたちの人獣戦士の姿を見られたのは良かったな」
「はあ…」
「迷惑かけて申し訳なかったけど、でもあなたたちのその人獣の姿、美しくて、かっこ良くて、本当に素敵」
そう言ってレータとカイルの毛深い身体をさすり、いとおしそうに笑顔をうかべた。
そこまで言われると、2人とも悪い気はしなかった。
ここでナタリアは、カイルとレータの服がないことを思い出した。
そこで従者たちが持っていた荷物の中から、予備のマントのようなもの2着を取り出す。
従者も含め何人もの集団で領内を回っていたので、服装や身の回り品などは予備をいくつか用意していたのである。
「寒いでしょ。人間に戻るなら、とりあえずこれを着て」
といって、カイルとレータにそれを見せた。
カイルとレータが変身を解いてそれを着るのを、ナタリアはわざわざ自分で手伝った。
着替えの間、ナタリアの合図で、村長たちは反対側を向いて見ないようにしていたのは言うまでもない。
着替えが済むと、全員そろって村の中心部に戻っていく。
最後にナタリアは、「ベルダ村は、風景も人の心も本当にすばらしかったです」と一同に告げて馬車で去って行った。
こんなハプニングがきっかけで、カイルとレータはナタリアが大好きになった。
身分違いで感じていた距離感が一気に縮まった感じだった。
特にレータはナタリアと時々手紙をやりとりするほどの仲になった。
* * *
それから1年半ほどの間、2人はおおむね村で従来通りの暮らしをして、力仕事をしたり、侵入者と戦ったりした。
あの死神戦闘団と呼ばれる野盗を壊滅させて村を守ったのも、山に入って行方不明になったベアタを救出したのも、この時期だった。
さらに時折、他の土地でまた敵国との戦闘に加勢することもあった。
良いのか悪いのか、カイルとレータは戦争への参加を繰り返すたびに、最初の頃に感じたような精神の衝撃や苦痛を感じなくなっていった。夜に泣いて眠れなくなったり吐き気を催したりすることもなくなった。
ともあれ、この物語の第1章と第2章あたりの時点に行き着いたわけである。
そのうちに、伯爵から重大な新しい仕事の指示が届いた。
第4章 終わり
いよいよ次章から後半にはいり、大きく物語が動きます。
ご期待ください!




