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兄と妹

 ――戦争はある日突然、なんの前触れもなく起きた。


「陛下! 現在、国境でアティール王国の軍勢と我が騎士団が交戦を開始いたしました!」


「あの男は」


「戦場にて、自ら指揮を取っています!」


 騎士の報告を受けたリドディエは、寝台の縁に座って黒猫を膝上に乗せていた婚約へ視線を向ける。

 その後、こちらに手を差し伸べた。


「エクリーユ。一緒に来てくれないか」


「戦場なんて……。炎しか操れない私は、足手まといになるだけだわ」


「いや。そんなことはない。君が僕のそばにいることは、あの男を完膚無きまでに叩きのめすために必要なんだ。協力してほしい」


 そこまで望まれてしまえば、断るのも逆に失礼だ。

 少女は小さく頷くと、戦場行きに同意した。


「わかったわ。陛下の望みなら、喜んで」


「なぁん」


 エクリーユの膝上で戯れていた小動物が、ぴょんっと飛び降りて床の上に転がる。

 自分は戦場について行っても、足手まといになるだけだと悟ったのだろう。


「黒猫さん。お留守番、よろしくね」


「にゃあ」


 獣と別れを告げた第一王女は、最愛の国王とともに戦場へ赴いた。


 *


「やぁ。待っていたよ」


「兄、様……」


「リシーロから聞いたんだろう? 僕が異能を使って、監視していること。なのに……所構わずイチャイチャと……。何度、気が狂いそうになったか……」


「君の弟を通じて、伝えたはずだ。僕たちにかかわるなと」


「そんな命令をされて、はいそうですかと素直に受け入れるはずがないだろう?」


 そこで待ち受けていたのは、アティール王国の王となったムガルバイトだった。


(目に、光がないわ……)


 リドディエと一触触発な雰囲気を醸し出す兄の瞳には、精気がない。

 エクリーユを彼に奪われ、嫉妬心でどうにかなってしまったのかもしれない。


「たとえ身体だけではなく、心までもその男のものになったとしても――俺は必ず君を取り戻してみせる。そうじゃなきゃ、今まで優しくしてやった意味がないだろう?」


「兄様……。それは一体、どういう……」


「唯一の味方が俺しかいなれば、エクリーユは自分だけを好きになってくれる。今までの行動はすべて、君を妻として娶るための布石さ」


 心ここにあらずな異常とも言える状態のムガルバイトを好きになるなどあり得ないのに、兄はさらに自分が思わず聞き返してしまうほどに恐ろしい発言をした。


「アベティーラの血を引く連中が全員、馬鹿で助かったよ。そのおかげで、異能を発現できないエクリーユは落胤だと信じ込ませることが出来たんだから」


「何を……」


「ああ、でも……。王妃は手強かったな。腹を痛めて産んだ子が無能だと信じたくなくて、随分抵抗していた。その結果リシーロが生まれたのは、誤算だったなぁ……」


 彼が口にする真実は、素直に受け入れたくないことばかりだった。

 幼い頃、自分だけに見せてくれた頼りがいのある兄という幻想が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。

 リドディエから兄に2面性があることを知らされていなかったら、今頃泣き崩れていただろう。


「あれ? そんな反応をするってことは、リドディエから、教えてもらってなかったのか。なら、言わなきゃよかったな……。これ以上君の好感度を下げても、いいことなんて何もないのに……」


「全部、兄様が仕組んだことなの……?」


「そうだよ。俺がエクリーユを孤立させるために、裏で手を回したんだ」


「どうして、そんなことを……!」


 悲しみよりも怒りに打ち震えた少女は、声を荒らげた。

 しかし――そんな妹の態度は想定済みとばかりに、彼は悪びれもなく語る。


「君が好きだからに、決まっているじゃないか」


「それは、愛とは呼ばないわ!」


「じゃあ、俺がエクリーユに向けるこの感情は、なんと称するべきだと言うの?」


「狂ってる……!」


 エクリーユが勢いよく吐き捨てた言葉を反芻した彼は、どこか困ったように肩を竦めて告げる。


「狂気、か。それは、ちょっと違うかな。俺とリドディエは、君に強い執着心と独占欲をいだいている」


「陛下とあなたを、一緒にしないで!」


「同じだよ。彼がエクリーユを奪い取らなければ、君は俺を好きになっていた」


「違うわ……!」


 ムガルバイトの目は、笑っていなかった。

 少女は必死に彼の主張を否定すると、己の耳を小さな手で塞ぐ。


「君は自分を愛してくれる人なら、誰でもよかったんだ。リドディエじゃなければいけない理由なんて、存在しない。そうだよね?」


「私、は……っ」


 エクリーユは唇を噛み締め、言葉を詰まらせた。

 反論できない時点で図星だと都合のいいように解釈したムガルバイトは、口元だけを綻ばせて妹を誘う。


「恋人ごっこなんかやめて、俺と本当の夫婦になろう?」


 兄は第2王女が生まれてからずっと、自らの異能を使って監視を続けてきた。

 当然、この国に連れ去られてからリドディエとともに過ごした、2人だけの時間も遠く離れた地で盗み見ているのだ。


 たくさんの愛を注がれ、何をするわけでもなく、大好きな人と静かに暮らす日々。


(リドディエ様は、私のささやかな願いを叶えてくださっただけなのに……。それを恋人ごっこと許されるのは、我慢ならないわ……!)


 エクリーユの奥底から、堪えきれない憎しみの渦が巻き起こる。

 少女は怒りに身を任せ、次々に兄へ質問をし始めた。


「ムガルバイト兄様は、私が好きなの?」


「もちろんさ。ずっと、大好きだよ」


「家族に虐げられる妹の姿を見て、どう思った?」


「もっと苦しんで、涙を流して、俺に縋ってくれたらいいのになぁって、考えていたかな」


 兄はずっと、家族に加害される自分をかわいそうだから助けてくれたわけではない。

 己の欲望を満たすためだけに、手を差し伸べたのだ。


「それはどうして?」


「どれほど苦痛をいだいたとしても、俺のことを思い浮かべれば心が軽くなる。エクリーユの味方はたった1人だけだと、印象づけたかったからさ」


 長年隠されていた気持ちを本人の口から聞かされたエクリーユは、真紅の瞳に憎悪を滲ませて吐き捨てた。


「あなたって、本当に最低な人間ね」


「あははっ。褒め言葉として受け取っておくよ。憎しみの籠もった蔑む視線も、最高だ……!」


 兄の豹変を間近で目にしたイトゥクは、顔を真っ青にして怯えている。

 彼が危険人物だと言うのは、この場にいる全員の共通認識なのは明らかだ。


(ムガルバイト兄様が、こんな人だと思わなかったわ)


 少女はムガルバイトとの決別を決心すると、怒気を孕んだ声とともに言葉を発した。


「あなたはリドディエ様が自分と同じだと言うけれど、決定的な違いがあるわ」


「へぇ? 例えば、どんな?」


「陛下は、私が苦しんでいるところを見た時、一緒に悲しんでくれた。仄暗い喜びを胸にいだくあなたとは、違う……!」


 自分を愛してくれる2人の男。

 そんな彼らの違いを口にした妹の姿を目にした兄は、どこか悲しそうに目を伏せる。

 その後、肩の力を抜いてぽつりと呟いた。

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