迷いと秘密
(リドディエ様に、嘘をついてしまったわ……)
リシーロが地下牢に捕らわれてから1週間後。
エクリーユは、自己嫌悪に陥っていた。
(あれはあくまで、私の願望……。あの子を気にせずに過ごすなんて、無理よ……)
四六時中リドディエと一緒に過ごせれば、楽しさや幸福感が勝るのだろう。
しかし、彼は何かと仕事が忙しい。
1人でじっとしている時間が多いからこそ、瞼を閉じれば嫌でも大嫌いな妹の姿を思い出してしまうのだ。
(黒百合の花に埋もれたら、少しは冷静になれるかしら……?)
エクリーユは気分転換も兼ねて、寝室の外に出た。
廊下を経由して寝室の窓から見える花壇の前にやってきた少女は、美しく咲き乱れる花々へ、勢いよく身体を埋めた。
――香しい匂いが、鼻を劈く。
(不愉快なはずなのに、心地よさを感じるなんて……。どうかしているわね……)
エクリーユは何度か浅い呼吸を繰り返し、母国を思う。
(あんな国、滅びてしまえばいいと思っていた……)
リドディエに連れ去られてから、彼の国の評判は悪化する一方だ。
王族の仲で唯一まともに国民たちと対話ができていたはずの男は、最愛の妹を失い――壊れてしまった。
エクリーユを取り戻すために私利私欲の限りを尽くし、この国に攻め入ることしか考えていない。
そんな彼を見かねた国民たちはレジスタンスを結成し、ムガルバイトを王座から引き摺り下ろす日を虎視眈々と狙っている。
(でも、いざあの国が立ち行かなくなって……。ムガルバイト兄様が、命を落とすかもしれないと思ったら……。なんだか、モヤモヤとした気持ちが消えないのよね……)
家族の仲で唯一、虐げられていた自分に手を差し伸べてくれた。
最愛の兄を大嫌いになったはずなのに、彼の行く末が気になって仕方がない。
(どうして……?)
己に問いかけたところで、答えは出なかった。
(私はリドディエ様が、好きなはずなのに……)
これほどまでに遠く離れた兄を思うのは、よくない傾向だ。
早く忘れなければと思うのに、目を閉じる度にムガルバイトの顔が思い出される。
(一方的に別れを告げなければ、よかったのかしら……)
エクリーユは、己がリドディエに連れ去られる直前の光景を思い出す。
強い怒りに支配された姉は、妹が腕に纏わりついても突き飛ばす様子のない兄に失望し、ムガルバイトと決別した。
(もしもあの時、彼を信じ続けていたら……。私はここで、兄様に助けを求めていたのかしら……?)
陛下と想いを通じ合わせた今となっては、どうでもいい話だ。
どんなに彼との未来に未練をいだいたところで、なんの意味もない。
だが、もしも――。
まだ彼が、己に愛を注いでくれると言うのなら――。
「ねぇ、兄様。もしも私が、まだあなたに未練があると言ったら……。喜んでくださる……? それとも……」
リシーロの主張を真に受けるのであれば、遠く離れた地で異能を使い、黒百合の花に埋もれるエクリーユの姿をどこかで見ているのだろう。
ムガルバイトは転移魔法を使えない。
だが、この会話を聞いていれば――きっと次に顔を会わせた時、彼の本心が聞けるだろう。
(そこで私が好きだと言ってくださったところで、何かが変わるわけではないけれど……)
これは自分たち兄妹の決別に必要な、儀式のようなものだ。
まだ未練が残っているような態度を取っておき、己を絶望の淵へ叩き落とした兄を同じ目に遭わせるための――。
「エクリーユ!」
だから、血相を変えた陛下が己の元へ駆けつけてきた時は驚いてしまった。
まさかリドディエが、こんなにも自分を心配してくれるなど思いもしていなかったからだ。
「リドディエ様?」
「無事か!」
「ええ……。考え事をしていただけですもの」
「なぜ、こんなところで……!」
「その言葉、そっくりそのままお返しするわ」
「騎士の報告を聞いた。エクリーユが、黒百合の花壇で倒れていると」
「それは……」
いろいろと語弊のある報告を受けたのならば、リドディエが焦るのも無理はないだろう。
「リドディエ様も、寝転がってみてはいかがかしら。黒百合に囲まれて寝そべると、心が落ち着くのよ」
「まったく、君は……。そんなところに惚れた僕も、悪いんだろうな……」
彼は紫色の瞳をどこか困ったように和らげたあと、エクリーユの隣に横たわる。
「ふむ……。確かに、不思議な感覚だ……」
「でしょう? ここに来なければ、一生体験出来なかったわ」
背中から伝わる寝心地があまりいいとは言えぬ固い土の感覚、ツンと鼻につく黒百合の匂い――。
2人がそれを堪能しながら、無言の時を過ごしてどのくらい経過しただろう。
徐ろに、陛下が口を開く。
「後悔していないか」
「何を?」
「僕の手を取ったこと」
「まさか。私、陛下にはとても感謝しているのよ? リドディエ様がいなければ……。今も兄様から、離れられなかったもの……」
エクリーユは真紅の瞳を細め、ムガルバイトの姿を脳裏に思い浮かべようとした。
しかし、その光景をすぐに打ち消す。
彼が兄に嫉妬すると言っていた話を、思い出したからだ。
「あの男の話を妹から聞いて、どう思った」
「そう、ね。もしもの可能性に、思いを馳せたわ」
「どんな?」
「それは、秘密」
「なぜだ」
「リドディエ様が聞いたら、怒り狂ってしまうもの。私はいつだって、あなたに笑ってほしいと思っている。だから、言わない」
こちらの主張を耳にしたリドディエは、どこか呆れたように肩を竦める。
その後、静かに声を発した。
「懸命な判断だな」
「褒めてくださるなんて、思わなかったわ。どうもありがとう」
「僕はあの男から君を、無理やり奪い取った身だ。エクリーユがまだ、あいつに未練があるのなら……」
紫の瞳が、切なげに揺れたのは一瞬だけ。
即座に瞳の奥底に確かな決意を宿らせ、彼ははっきりとした口調で告げた。




