お手柄の猫
――目覚めた直後、隣で国王が寝ていることに気づいた。
(この場合、婚約者はどんな行動を取るべきなのかしら……?)
男女交際の知識に疎いエクリーユは、何が正解かなどさっぱりわからない。
だから彼女はこういう時に頼りになる乳母に聞いてみようとあたりを見渡し、棚の上に置かれていた呼び鈴を鳴らそうとして――できなかった。
「なぁん」
そこにはベルの代わりに、ちょこんと腰を下ろす黒猫の姿があったからだ。
「黒猫さん……?」
「んにゃ?」
こてりと首を傾げた小動物は、尻尾をふりふりと振って目を閉じたまま微動だにしない主の様子を見つめる。
「にゃあー!」
その後すぐさまこちらが困っていると気づいたようで、何かに閃く。
『ご主人を起こせばいいんだね!』
獣は嬉々として、リドディエの頬に猫パンチをお見舞いした。
「う……っ」
「な、なんてことをするの!?」
「んにゃー?」
小さな呻き声を上げた陛下の瞳が、ゆっくりと開いていく。
『どうして怒るの?』
小動物は自分がどんな恐ろしいことをしていたのが自覚がないようで、エクリーユが驚く理由がわからないと不思議そうにする。
「大変。リドディエ様が怒り狂う前に、黒猫さんは……っ」
「僕に一体、なんの恨みがあるんだ……」
「にゃっ!?」
黒猫に対して「逃げろ」と警告するのが、一歩遅かったようだ。
リドディエは使い魔の尻尾を鷲掴むと、嫌がる小動物を宙吊りにした。
「んにぃ……!」
「寝坊してしまったようだな……」
「お、おはようございます。リドディエ様……」
「ああ。おはよう」
彼は勢いよく獣を左右に揺すったあと、空に放つ。
獣はくるくると空中で回転すると、最終的に床の上で綺麗な着地を披露した。
その様子を観察し終え、あまりの華麗さに心を奪われた少女はパチパチとそれを喜んだ。
「猫さん、凄いわ」
「にゃあん」
黒猫は「えへん」と胸を張り、「もっと褒めて」と言わんばかりにかわいらしい鳴き声を響かせる。
(癒やされるわね……)
そんな光景を目にしてニコニコと目元を緩めていると、隣で寝そべっていた彼に強い力で身体を引き寄せられる。
何事かと陛下の顔色を覗えば、不満そうにこちらをじっと見つめる紫の瞳と目が合った。
「リドディエ様……?」
「今、一番近くにいるのは僕だ」
「ええ……。それはもちろん、よく理解しているわよ……?」
「使い魔を気にするのは、僕がいない時だけにしてくれないか……」
「そうね。陛下と一緒にいられる時間は、とても貴重だもの。大事にしなければ……」
エクリーユは恐る恐る、自ら彼の腰元に優しく触れた。
そこはゴツゴツとしており、触り心地がいいとは言えない。
(筋肉質な身体って、こういう人のことを言うのかしら……?)
少女は好奇心を止めることが出来ぬまま、その感触を確かめるように何度も指の腹を使って撫で回す。
「く……っ」
リドディエは時折押し殺したような呻き声を上げては、青くなったり赤くなったりと百面相を繰り広げている。
ひとしきり触り心地を確認したあとにようやくその姿を目にして、慌てて指を離した。
「ご、ごめんなさい。触れないほうが、よかったかしら……?」
「いや……。問題はそこではなく……」
「もう、私からは……」
「好きなだけ触ってくれ」
エクリーユが遠慮する素振りをみせれば、リドディエはむしろ触ってくれと言わんばかりに懇願してきた。
「そう……? では、遠慮なく……」
不思議そうにこてりと首を傾げた少女は、おずおずと彼の指先に触れる。
(よく鍛えられた身体をしているわ……)
筋肉質でゴツゴツとした感覚が物珍しく感じたせいか。
エクリーユは思わず、呆然と発してはならない声を紡いでいた。
「男の人って、みんながまったく同じ作りをしているわけではないのね」
「誰と、比べているんだ」
「きゃ……っ」
「あの男か」
「え、ええ……。こんな風に異性と密着する機会は、ムガルバイト兄様とリドディエ様くらいしかなかったもの……」
ムガルバイトのことを思い出していると、それに嫉妬した婚約者がエクリーユを強く腕にいだく。
その勢いに押された少女は、慌ててリドディエのほうがずっと好ましいと言い訳のように口にする。
「陛下はがっしりとしていて、頼りがいがあるわよね? 私を抱き上げる姿も、危なげがないし……」
「そう、か……」
彼は納得しているのか、していないかのか。
曖昧な言葉で濁したあと、疲れたように苦笑いを浮かべた。
「あの男のほうがいいと言われたら、どうしようかと思った」
「言わないわ。だって私、あの人よりもあなたのほうが好きだもの」
昔の男よりも今の自分が好きだと言われて、喜ばない人間はいないだろう。
彼は紫の瞳を優しく和らげると、少女を抱きしめる力を強めた。
「ああ……。僕の黒百合……」
「名前で呼んで。リドディエ様」
「エクリーユ」
リドディエは極まった様子で、少女に愛を叫ぶ。
「君を心の底から、あ――」
「陛下!」
しかしそれは、突如乱入してきた彼を呼ぶ騎士の声によって阻まれる。
(どうして愛を囁こうとすると、邪魔が入るのかしら……?)
エクリーユが不愉快そうに真紅の瞳を歪めていれば、「そんな顔をするな」と言わんばかりに彼が言葉の続きを発する。
「愛している」
その単語が聞けただけで、満足だ。
(まるで、魔法のようだわ……)
憂鬱な気持ちが、一瞬で吹き飛んだ。
(私に必要だったのは、異能ではなくて……。自分に無償の愛を注いでくれる人だったのかもしれないわね……)
エクリーユは自分も同じ気持ちだと伝えるように、彼を呼びに来た騎士の前であることも忘れてリドディエの身体へ抱きつく力を強めた。
「許可を得る前に、本題に入ったほうがよろしいかと……」
「で、では! 僭越ながら、申し上げさせて頂きます! アティール王国の第3王女が、広場で問題を起こしております……!」
妹の名が騎士の口から飛び出た直後、リドディエがこちらの表情を覗き込む。
恐らく、体調を崩していないのかと心配だったのだろう。
(兄様とあの女の婚約を聞いた時は、苦しくて堪らなかったわ……)
――しかし、彼と想いを通じ合わせた今は違う。
(私には、リドディエ様がいてくださるもの……。彼は私のどんな我儘も受け入れ、あんな女には靡かない……)
だからきっと、大丈夫だ。
己に何度も言い聞かせたエクリーユは、妹に立ち向かうと決めた。
(今日は無理でも、いつかは必ず倒す。私は絶対に、負けないわ……!)
真紅の瞳に憎悪の感情を宿したエクリーユは、口元を綻ばせて妖艶に微笑む。
そして、彼に強請る。
「連れて行ってくださる?」
「喜んで。我が愛しの姫君」
2人は離れないように指先を絡め合い、かつてシンボルツリーがそびえ立っていた広場を目指した。




