最愛の姫君(リドディエ)
(余計なことを……)
無理して異能を使い続けたエクリーユは、揺れる馬車の中で目を閉じていた。
胸元に寄りかかり、苦しそうに眉を顰める彼女が少しでも安らかな眠りを貪れるように、リドディエは額にかかった前髪を退けた。
(あの男が不審な動きをしていないか、もっとしっかりと監視をしておくべきだったか……)
あのシンボルツリーはただ樹齢が100年を超えているだけだ。
あれを破壊したところで、保守派国民が悲しむくらいで言うほど影響力はなかった。
(ただの嫌がらせなら、いいんだが……)
あの男のことだ。
理由もなく、こんな行動をするわけがない。
(ほかに目的があるとすれば――)
リドディエには、思い当たる節が一つだけあった。
それは彼女の妹リシーロ・アベティーラが、植物の異能を操る少女だということだ。
(僕がエクリーユではなく妹のほうを頼るように仕向け、彼女を絶望させようとしたのか……?)
その作戦は、ムガルバイトが考えたとは信じたくないほどに稚拙だった。
大樹を元に戻したいから、さして交流のない隣国の姫に頼る――。
(舐められたものだ……。妹のほうが提案したとしか思えぬ発想だな……)
己がどれほどエクリーユを愛しているか知るあの男が、他の女をけしかけてくるわけがない。
そんなことをしたところで、空振りになるなどわかりきっているからだ。
なのになぜ、そんな行動をしたのか――。
(稚拙な作戦を了承するほど、エクリーユを取り戻したがっていると考えるべきだろうな……)
ムガルバイトは、第2王女を妹として見ていない。
それは誰がどう見ても明らかだった。
彼女が彼を兄としてではなく、1人の男として愛を注いでいるのと同じように――あの国の兄妹は、誰もがどこかおかしい。
それは、エクリーユも例外ではなかった。
(必要以上に己を責め、その命を投げ出そうとする。笑顔こそ見せてはくれるようにはなったが……。他者を信じられず、国民たちから賞賛の言葉を得ても喜ぶような素振りを見せなかった)
長年虐げられて来たのだ。
普通の王族としての反応を求められたところで、難しいとわかっている。
それでも――リドディエは、どうしても諦めたくなかったのだ。
自分の隣で、屈託のない笑顔を浮かべる彼女の姿が見たい。
そう一度でも願ってしまったら、駄目だった。
(君はどうしたら、僕に絶対的な信頼を置いてくれるのだろうか……?)
エクリーユの反応を見ている限りでは、自分が狂おしいほどに婚約者へ入れ込んでいることに気づいていないように見える。
それは恐らく、時間が解決してくれるのを待つしかないのだろう。
(しかし、僕たちには……)
2人には残念ながら、そんな悠長なことを言っている暇がなかった。
己と同じか、それ以上に――彼女を愛する絶対的な自信を持つ男が、エクリーユを狙っているからだ。
(早く、君の心が欲しい……)
焦ってはいけない。
いつだって平常心を保ち続けていれば、いつかはきっと彼女が振り向いてくれる。
そう信じたい気持ちと、嫌われてもいいから多少強引に押していかなければ、彼女のハートを射止めることなど難しいのではないかと言う不安が交互に過った。
(エクリーユを想いすぎて、おかしくなってしまいそうだ……)
リドディエは最愛の婚約者を抱きしめる力を強める。
すると、ちょうどいいタイミングで馬車が止まり――扉が開く。
「陛下。到着いたしました」
「ああ。ご苦労だった」
「はっ」
御者に挨拶を終え、少女を起こさないようにしっかりと抱き上げて乗り物から降りる。
「陛下……っ!」
彼女の部屋と化した私室へ歩みを進める途中で、テラマと出会う。
侍女は青白い顔でぐったりと己の胸元ぬ寄りかかって目を閉じる主の姿を目にして絶句していたが、その理由を知る資格が自分にはないと判断したのだろう。
すぐに唇を噛み締め、その場で恭しく頭を垂れた。
「楽にしてくれ。エクリーユは異能を使い、疲弊している」
「姫様が……」
「彼女が落ち着いたら、君を呼ぼう。それまで、下がってくれるか」
「かしこまりました……」
乳母はそのまま部屋に入らず、廊下で呼ばれるのを待つことにしたようだ。
リドディエは扉を開けるために従者を呼ぶのが面倒で、自らドアノブに手をかける。
そうして、寝室へ足を踏み入れた。
(エクリーユ……)
王は彼女を寝台に横たえたあと、窓の外に視線を移す。婚約者がここで寝泊まりをする前に美しく咲き乱れていた白百合の花は、見る影もない。
今は、エクリーユから頼まれた黒百合が植わっている。
(僕はやはり、彼女に似合うの白百合だと思うのだが……)
本人が大嫌いな妹と同一視されるのが嫌だと言ったのだから、仕方ない。
(どちらにしても、エクリーユが魅力的な女性であることは代わりがないのだから……)
細かいことを気にする時間がもったいない。
そう考えたあと、寝台の縁に腰かけた。
「ずっと、そばにいてくれ。僕の最愛……」
――眠り姫は王子のキスで、目覚めるらしい。
彼女は王女で、自分は国王だ。
おとぎ話とまったく同じ関係にはなれないが――さすがに唇同士を触れ合わせれば、エクリーユも己が本気で愛していると気づいてくれるかもしれない。
(僕は、君だけが好きだ。心の底から、思い続けている……)
最初は、ただの好奇心だった。
誰に対しても壁を作るムガルバイトが、楽しそうに妹と過ごした思い出話を語る姿に興味が湧いた。
その気持ちは次第に、恋慕へと変化し――いつか、強い執着心へと生まれ変わる。
(あの男は僕に彼女の話をすることで、優越感に浸りたかっただけだ)
最愛の妹がどれほど可愛らしく、自分に懐いているのか。
それを自慢して、「俺の女」と印象づける。
こちらが羨ましがる度に、彼が心からの笑顔を浮かべていたのがその証拠だ。
(彼にとって誤算だったのは……。僕がエクリーユを、本気で愛してしまったことだろうな……)
他者に興味関心をいだいている姿を見たことのない自分が水面下で彼女を欲し、その機会を虎視眈々と狙うなど、想像がつかなかったはずだ。
(使い魔に異能の目覚めを促させたタイミングも、最高だった……)
王である自分は、よほどのことがない限りこの国を離れられない。
そのため黒猫へ、彼女の力になるように命じて送り出したのだ。
その結果、彼女は内に秘めたる異能を開花させ、ムガルバイトと決別している。
エクリーユの想定外の行動と相まって、不意打ちに成功したリドディエは――こうして最愛の婚約者を手に入れた。
(彼女に無断で唇を奪ったことが知られたら、嫌われてしまうだろうか……)
寝込みを襲うなど、紳士としてはあるまじき行動だ。
それをよくわかっていても、逸る気持ちを抑えきれない。
(どうか、目覚めないでくれ……)
リドディエはそんな身勝手な思いをいだきながら、彼女の唇にそっと揺れようと試みる。
しかし――その思惑が、実を結ぶことはなかった。
「リド、ディエ……様……?」
――最愛の婚約者が、目を覚ましたからだ。
口づけをする前に己の作戦が失敗したことを悟り、バツが悪そうな顔をして身体を起こそうとする。
しかし――エクリーユは、それを許さない。
「ま、待って……!」
「く……っ」
それはけして強い力ではなかった。
その気になればいくらでも振り払えるはずなのに、なぜか拒めず――彼女に胸元を引っ張られたリドディエはバランスを崩し、エクリーユを押し倒す羽目になった。
「す、すまん……」
「い、いえ……。こちらこそ……」
こちらが寝台に両手をつき謝罪をすれば、婚約者も気まずそうに視線を逸らす。
少女は寝起きだが、この出来事によって眠気はあっという間にどこかへ飛んでいったようだ。
「もっとたくさん体力をつけて、異能の訓練をするべきね……」
「そんなことは……」
「自分でもよく、わかっているの。毎回異能を使ったあとに倒れ伏していては、お荷物にしかならないって……」
彼女は悲しそうに目を伏せると、己の願望をポツリと呟いた。
「リドディエ様に守られるだけではなく……。陛下の隣で、背中を預けられるほどに成長したい……」
「エクリーユ……」
「そのためには、ここでゆっくり身体を休めている暇はないわ」
「無理をするな。時間はまだ、たっぷりとある」
「いいえ。私たちは、急ぐべきよ」
真紅の瞳に決意を込めた少女は、はっきりとした口調で意思を伝える。
先程までの自信が無さそうな表情とは打って変わった反応に、リドディエは驚きながらも婚約者に問いかけた。
「なぜ、そう思った」
「シンボルツリーの倒木……。あれは、イトゥク兄様の仕業よ」
エクリーユは倒木の原因が自らの兄にあると宣言したあと、そう考えた理由を述べる。
「あの人たちは、陛下がリシーロに助けを求めてくるのを待っているの。もしも私があの木を燃やしたと知られたら……。きっとあの女が、思い通りにならない怒りをぶつけてくるわ」
彼女に取って妹は忌々しい女でもあり、己の身に危害を加える恐ろしい存在だ。
婚約者が怯えるのも無理はない。
「和平条約は白紙に戻り、戦争にでもなったら……!」
「心配いらない。うちの兵は、あのような卑怯者たちが暮らす国に負けないほどの武力を誇っている」
「勝ち負けなんて、どうでもいい……。私のせいで、みんなの安全が脅かされるのよ……! そんなの……っ」
リドディエは最愛の少女を安心させるように、優しい言葉をかけた。
「大丈夫だ」
「でも……っ」
「これは君のせいではない。僕があの男と決別した時点で、こうなることは決まっていた」
しかし彼女は、いつまで経っても落ち着きを取り戻す様子がない。
王はエクリーユを抱きしめる力を強めると、少女の目をまっすぐ見つめて告げた。
「エクリーユは僕のものだ。君も、民も、守ってみせる」
「リドディエ様……」
真紅の瞳を潤ませた少女は長い逡巡の末、ぽつりと呟く。
「私もあなたを、好きになりたい……」
それはリドディエが、心の底から欲していたもので――。
彼女は驚く己の唇に狙いを定めると優しく触れるだけの口づけを落とした。
「不思議ね……。ただ、唇同士を触れ合わせただけなのに……。こんなにも幸せな気持ちになれるなんて……」
エクリーユは口元を、柔らかく緩めた。
その破壊力たるや、とんでもない。
リドディエもまた優しく微笑んで喜びを露わにすると、2人は寝台の上で抱き合う。
「僕も、同じ気持ちだ」
「ふふ。伝わってくるわ。リドディエ様の想い……。暖かくて……」
多幸感に包まれた少女の身体はまだ、全快とは言えないようだ。
睡眠を求める身体を無理やり動かし続けるのは、やめるべきだろう。
「今は何もかもを忘れて、休め」
リドディエは彼女の目元を大きな指先で覆い隠すと、婚約者の耳元で囁いた。
「ん……。おやすみ、なさい……」
抵抗するとばかり思っていたが、意外にも異を唱えられることはない。眠気に抗いきれなかった彼女は、こうして再び夢の国へと旅立っていった。




