4-5 ハイエナの晩餐
カラン、というドアベルの音が、今は処刑台へ続く合図のように聞こえた。
作業着を纏った男二人が、埃っぽい靴音を鳴らして入り口に近いテーブル席に陣取った。
一人は日に焼けた首筋に無造作なタトゥーが覗き、もう一人は手慣れた手つきでスマートフォンの画面をスワイプしている。
『お嬢様、対象のデバイスを特定。
……極めて攻撃的です。
彼らはWi-Fiを介さず、独自の指向性アンテナでこの店のバックボーンを直接叩こうとしています。
レポート送信まで、猶予はありません』
絵美の視界に展開されたARコンソールが、激しいパケットの衝突を告げる火花を散らす。
男たちの持つ端末から、目に見えない無数の触手が伸ばされ、店の防壁を力任せに抉り取ろうとしていた。
それはハッキングというより、電子的な「不法侵入」に近い粗暴な手口だった。
(わかってるわよ。……近づかなきゃ始まらないわね)
絵美はトレイを胸に抱え、一度だけ深く息を吸った。
視界の端で、カウンターの奥にいる誠司の動きが止まっている。
彼は何も言わない。
だが、その沈黙は「しくじれば、俺が出る。だがその時、この店は終わる」という最後通牒のようでもあった。
彼女は作り物の「新人店員」の笑顔を貼り付け、男たちのテーブルへと歩み寄る。
「……いらっしゃいませ。
ご注文はお決まりですか?」
「ああ。
ブレンド二つ。
あと、これ、充電させてくれねえか?」
タトゥーの男が、無造作にモバイルバッテリーとケーブルをテーブルに置いた。
それは客としての正当な要求を装った、物理的な「毒」の差し込みだった。
ケーブルの端子には、接続した瞬間にホスト側のデータを吸い出す、ハードウェアレベルのクラッキングツールが仕込まれている。
もしこれを店の電源に繋げば、隔離されていた内部サーバーにまで「悪意」が届いてしまう。
『お嬢様、チャンスです。
そのケーブルに、こちらから「毒」を逆流させます。
F-Tailの同期を開始してください。
射程距離、五十センチ。
……彼らの暗号化キーを、過負荷で焼き切ります』
「かしこまりました。……お預かりしますね」
絵美は震える指先を隠すように、恭しくそのバッテリーを受け取った。
指先が男のデバイスに触れるか触れないかの距離。
トレイの裏側に貼り付けたF-Tailが、かすかな熱を帯びる。
注文を取り、メニューを下げる。
そのわずか数秒の接客という名の“白兵戦”。
絵美の脳内では、F-Tailが吐き出す超高精度の攻撃コードが、男たちの端末のOSを内部から食い破っていた。
「……ブレンド二つですね。
少々お待ちください」
絵美が背を向けた瞬間、男の一人が不審そうに自分の端末を叩いた。
画面が異常な速度で明滅し、背面からは電子部品が焼けるような嫌な臭いが漂い始める。
「……おい、電波が死んだぞ。
おまけに熱ぃ。
なんだこれ、ハメられたか?」
男が椅子を蹴り、剥き出しの殺気を絵美の背中に向けた、その時だった。
「マスター、いつもの。
……それと、こちらの紳士たちに、私から最高級のガトーショコラを。
少し『頭が冷える』やつをね」
静かな、だが通る声が店内に響いた。
いつの間にか奥の席に座っていたのは、仕立てのいいチャコールグレーのスーツを纏った老紳士だった。
手には古びた文庫本。
彼は一度も本から目を離さず、ただそこにある空気を支配していた。
『お嬢様、驚愕の演算精度です。
この老紳士……個体識別コード照合。
「八咫烏」所属の連絡員。
マスターの位階――「大天使」直属の防衛ユニットと推定されます』
セバスの冷静な分析が、絵美の脳内に響く。
大天使。
その場違いなほど神学的な称号が、目の前で静かにネルを振る父の背中と重なった。
「ジジイ、ガトーショコラなんて頼んでねえぞ。
ぶち殺されたいのか」
ハイエナの片方が立ち上がり、懐の「得物」に手をかけようとする。
だが、老紳士は動じない。
文庫本をテーブルに置く、そのわずかな所作に伴い、店内を不可視の結界が覆い尽くした。
「まあ座りなさい。
ここのマスターは気難しくてね。
客が騒ぐと、コーヒーの味が落ちるのを何より嫌う。
……君たちの雇い主も、君たちがここで『消える』ことは望んでいないはずだ。
なにしろ、大天使の逆鱗に触れれば、君たちの雇い主の銀行口座ごと、この世から消滅することになるからね」
老紳士の言葉に、ハイエナたちの顔色が変わった。
自分たちの正体と、その背後にあるパワーバランス……「八咫烏」という組織の底知れなさを突きつけられたのだ。
誠司が、静かにカップをソーサーに置いた。
その音が、店内の張り詰めた空気を切り裂く。
「……絵美。
三番テーブルだ」
「……はい」
絵美は、毒気を抜かれて動けない男たちの前に、優雅なケーキの皿を置いた。
男たちは、誠司のサングラス越しの視線と、老紳士の底知れない微笑みに挟まれ、自分たちが「巨大な鳥の巣」の中に迷い込んだ羽虫であることを悟ったようだった。
「……チッ。
味が合わねえ店だ。
行くぞ」
タトゥーの男が札を叩きつけ、逃げるように店を飛び出していく。
彼らが持っていったスマートフォンは、もはや二度と電源が入ることのない鉄の塊へと成り果てていた。
カラン、というドアベルの音が、勝利の鐘のように響いた。
絵美は膝の力が抜けそうになるのを堪え、カウンターを振り返る。
「パパ……今の人たちは……」
「客だ。
……それ以上でも、それ以下でもない」
誠司は冷たく言い放つと、老紳士の方を向いた。
「余計な真似を。
ケーキ代は、ツケにしておくぞ」
老紳士は楽しげに肩をすくめた。
「厳しいね。
だが、新しい『使い魔』は筋がいい。
大天使の羽の下で眠らせておくには、少し惜しいくらいだ。
彼女は君が思うより、ずっと鋭い『嘴』を持っているようだ」
店内に、再び平和なコーヒーの香りが戻る。
だが、絵美は知ってしまった。
父は、ただのマスターではない。
そして自分は、いつの間にか、引き返せない領域の「入り口」に立たされているのだということを。
もし「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、下記の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援をいただけると、執筆の大きな励みになります!
皆様の応援が、物語を完結まで導く力になります。
よろしくお願いいたします!




