3-8 絵美の「覚醒」の兆し
クアッド結成から五年。
誠司と篤史は三十二歳になり、十九歳になった優希は八咫烏内部のカレッジで高度な情報戦略を学んでいる。
そして十二歳の絵美は中学生となり、その才能を静かに開花させていた。
篤史は「あしながおじさん」として陰ながら彼女を支援し、誠司は正体を隠したまま、リモートでの家庭教師を続けている。
そんなある日、絵美の通う中学校で事件が起きた。
高齢の教師が届いたフィッシングメールのリンクを不用意に踏み、学内ネットワークがランサムウェア(身代金要求型ウイルス)に感染したのだ。
宿題を届けに職員室を訪れた絵美は、パニックに陥る教師たちの中心にあるPC画面を覗き込んだ。
「先生、何かあったのですか?」
「神宮さん! 大変なの、皆川先生のPCが乗っ取られて……犯人がIPアドレスを入力しろって。
教えないと学籍データを全部バラ撒くって脅してきているのよ!」
状況を瞬時に理解した絵美は、震える皆川先生の手からマウスを奪い取った。
「私が代わります。……相手の指定はIPアドレスですね?」
絵美は迷いなく、入力欄に『0000:0000:0000:0000:0000:0000:0000:0001』と打ち込んだ。 直後、画面に嘲笑するようなメッセージが躍る。
『くくく、入力したな。
情報漏洩しないなんて嘘だ。
今から貴様らのサーバーを順にフォーマットしてやる。
まずはFドライブからだ。
自分の愚かさを呪え!』
教師たちが悲鳴を上げる中、絵美だけは「大丈夫です、落ち着いて」と冷静にチャット欄へ返信を打ち込む。
『……それは困ります』
『もう遅い! Fドライブ消去完了。
次はEドライブだ!』
『なんてことを……』
絵美がわざとらしく肩を落とす演技を見せると、横にいた情報処理担当の教師が画面の「不自然さ」に気づき、ハッとした表情で絵美を見た。
絵美は悪戯っぽくウインクを返す。
「落ち着いてください。
そもそも、うちの学校のサーバーに、FやEなんてドライブレターは存在しませんよね?」
それを聞いた情報処理の教師が、ニヤリと笑った。
「……そうか! やるな、神宮」
「ええ、先生」
犯人の画面では、今も『Dドライブ、消去開始!』と威勢のいいログが流れている。
「これは典型的なスクリプト・キディ(既存のツールを流用するだけの低級ハッカー)ですね」
「ああ、おまけに中身を精査もせず、ループバックアドレスに攻撃を仕掛けるマヌケだ」
絵美が入力したのは、IPv6のローカルホスト・アドレス。
つまり、犯人は「自分のPC(自分自身)」に対して消去コマンドを実行し続けているのだ。
絵美はトドメに『なんてこった』と打ち込み、小声で「お前がね」と呟いた。
直後、犯人の通信が途絶えた。
自らのシステムを破壊し、ネットワークごと自滅したのだ。
絵美は手際よくタスクマネージャーからブラウザを強制終了し、念のためのウイルススキャンを実行して皆川先生にPCを返した。
「終わりました。
でも、学校のセキュリティが脆弱すぎます」
予算不足を嘆く教師たちに、絵美は微笑んで言った。
「それなら、私の知り合いに『ギガ・レイド』の最高技術責任者(CTO)がいます。
相談してみましょう」
大手周辺機器メーカーの名前を聞いて慌てる大人たちを余所に、絵美はスマホを取り出し、篤史を呼び出した。
数十分後、校門に一台のインテグラが止まる。
中から現れたのは、篤史と、普通のサングラスをかけた誠司だった。
状況を聞いた誠司は、愛娘の鮮やかなハックに驚きを隠せなかった。
「……見事な対処だね。もう家庭教師は要らないかな?」
「! いえ、まだまだ教えてほしいことが沢山あるんです!」
必死に食い下がる絵美。
誠司は「冗談だよ、続けるさ」と優しく返したが、絵美はその落ち着いた声に、なぜか胸の奥が温かくなるような、懐かしい感覚を覚えていた。
誠司はプロの視点から、コストを抑えたクラウド型WAF(Web Application Firewall)の導入を提案した。
篤史も「最初の顧客なら二割引きだ」と太っ腹な提案をし、校長たちは二つ返事で契約。
誠司はその場で、まるで事前に準備していたかのような手際でシステムのアップデートを完了させた。
この年、絵美の情報処理の成績が学年トップになったのは言うまでもない。
そして誠司は確信した。
彼女の中にある「ノーフェイス」の血は、既に目覚め始めているのだと。
もし「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、下記の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援をいただけると、執筆の大きな励みになります!
皆様の応援が、物語を完結まで導く力になります。
よろしくお願いいたします!




