0年目 第7話 一人目
第7話 一人目
俺はプロサッカー選手にはなれない。
そんなことは、もう分かっていた。
阪東大学四年。
田中和弘、二十二歳。
ポジションは右サイドハーフか右サイドバック。
小学生の頃から、ずっとサッカーを続けてきた。
大学生にもなると、競技者として続ける人はグッと減った。
そして、たまに会った人は大体こう言う。
「え、まだサッカー続けてるの!?
プロになるの?」
この手の質問は真面目に答えても意味がないことに気がついた俺は、「なれたらいいっすね〜」と曖昧に返すしかなかった。
なれるなんて思っていないのに。
今まで別に弱いチームばかりだったわけじゃない。それなりに強いと言われるチームでレギュラーだった。
足もそこそこ速い。
運動量にもそこそこ自信がある。
右サイドならそこそこどこでもできる。
そこそこ、だ。
そこそこの俺にはプロは遥か雲の上の存在だった。
今までスカウトから声がかかったことは一度もなかった。プロからはもちろん、大学だって一般入試で入っている。
だから、自分はプロにはなれないと思っている。
なぜサッカーを続けているか、と言われると、好きだから、という答えになる。
お遊びよりも真剣にやってこそ面白いと思う。
なので、できれば社会人になってもサッカーを真面目に続けたいと考えている。
◇
「また落ちた」
スマホに届いたメールを見ながら、俺はため息をついた。
不採用。
これで何社目だったか。
周りにはもう就職先が決まった奴も増えている。
サッカー部でも、
「東京行くわ」
「地元戻る」
なんて話をする奴が増えた。
社会人になったらサッカーはやめると言っている奴の方が多い。続ける奴なんてひと握りだ。
フットサルくらいはするかな、と笑っている。
それが普通なんだと思う。
「……まだやりたいんやけどな」
ただ俺は、もう少し本気でサッカーを続けたかった。
休日に趣味でやるとかじゃない。
練習して。
試合に出て。
勝つためにやる。
そういうサッカーを、まだやめたくなかった。
となると選択肢として挙がるのは、社会人サッカー部を持つ一般企業。
ただ、その手の企業はそもそも大企業だったり、スカウト以外では募集していなかったりする。
そこそこの俺が、大企業に入れるのか。
ダメ元で受けてみるが、当然うまくいかない。
サッカー部を持たない企業に就職して、別の社会人チームに所属することもできるけど……
両立、難しいだろうなぁ。
人生、うまくいかない。
そんな風に思っている時だった。
大学のサッカー部の監督から呼ばれた。
◇
「田中、卒業してもサッカー続けたいって言ってたよな」
「はい。できればですけど」
「一個、話が来てるぞ」
「え?」
思わず聞き返した。
「社会人チームですか?」
「まあ、社会人チームやな」
なんだ、その言い方。
監督が一枚の紙を俺に渡した。
社会人チームとは練習試合などで関わりがあるので、関西圏なら大体知っている。
しかし、そこには聞いたことのない名前が書いてあった。
京南FC。
「……京南FC?」
「新しくできるチームらしい」
新しく?
「来年から京都府リーグに参加する予定や」
「へえ」
京都府の会社か。
大学卒業後も本気でサッカーを続けられるなら、悪くない。
「何部ですか?」
「六部」
「……六部?」
思わず聞き返した。
六部。
六部って。
「京都府リーグって六部まであるんですか?」
「あるから六部言うてるんやろ」
それはそうなんだけど。
「一番下ですか?」
「一番下や」
ですよね。
どう反応したらいいんだ。
「会社のチームらしい。ノードシードって会社、知ってるか?」
「名前だけなら」
IT系だったと思う。
就活中だから会社の名前を目にする機会は増えていた。
少なくとも、怪しい会社ではなかったはずだ。
「そこの社長がサッカーチーム作るらしい。お前、一回話聞いてみたらどうや?」
「俺にですか?」
「社会人でも本気でサッカーを続けたい選手を探してるらしい」
「本気で」
いい言葉だ。
監督はそう言ってから、少し考える。
「まあ、チームの方はまだ何とも言えん。何せこれから作るチームやからな」
でしょうね。
府六部だし。
「ただ、会社はちゃんとしてる。選手も正社員として雇うらしいぞ」
「正社員?」
そこには反応した。
「会社で働きながらサッカーする形らしい。給料も普通に会社から出る。条件面はかなりいいだろう」
「それはいいですね」
もう一度、渡された紙を見る。
京南FC。
さっきまでと、少しだけ見え方が変わった。
「まぁ、話だけでも聞いてみます」
◇
家に帰ってから、ノードシードについて調べた。
会社のホームページも見た。
思っていたより大きい会社だった。
IT企業。
業績も悪くなさそう。
採用情報を見る。
福利厚生を見る。
給与を見る。
「……普通にいい会社やん」
むしろ。
俺が今受けている会社より条件がいいんじゃないか?
次に京南FCを検索してみた。
ノードシードの採用ページしか出てこなかった。
そりゃそうか。
つまり今持っているペラ紙以外の情報はないってことか……
京都府リーグ六部。
会社員として働きながらサッカー。
将来は上のカテゴリーを目指す。
……将来って、どこまでだ?
まさかプロかな?
本気でってことなので、可能性あるな。
ただ……最短で上がっていって何年だ?
府リーグを上がって、その上に地域リーグがあって、さらにその上もある。
順調にいったって何年かかるんだ?
十年以上はかかるんじゃないか?
プロを目指すにしても、自分の現役の間には届かないだろう。
でも正社員。
「あ、話が来ていると言っても普通の面接みたいな質問も来るかもしれないな。会社情報ちゃんと見ておこう」
サッカーを続けられるかもしれない。
この思いが頭から離れなかった。
◇
数日後。
俺はノードシードの本社に来ていた。
普通の面接よりも緊張する。
ITの新しい会社なので綺麗なオフィスだ。
受付のお姉さんも美人だった。
案内された部屋に入る。
待機部屋には俺一人だった。
うおお、緊張してきた……
この待機部屋での待ち時間が嫌なんだよなぁ。
一挙手一投足、見られているんじゃないだろうか……
面接室に案内されると、中には三人の男がいた。
一人はWebで事前に調べたから知っている。社長だ。
ただ、思ったよりも若い。
「初めまして。ノードシード代表の久世です」
しまった、先に自己紹介されてしまった。
失礼じゃないかな。
「田中和弘です。本日はよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
二人目。
でかい。
そして怖い。
「監督の岡本や。よろしくな」
「よ、よろしくお願いします」
この人が監督か。
でかい。
めちゃくちゃ怖そうなんだけど。
大丈夫かな。
そして三人目。
「初めまして、隠岐です。今日はわざわざ来てもらってありがとうございます」
笑顔。
良かった。
普通に話せそうな人がいた。
「田中君、そんな緊張せんでええよ。別に今日ここで入るかどうか決めてもらうわけちゃうから」
「あ、はい」
「まず話しましょ」
この人が一番話しやすそうだ。
◇
最初に、京南FCについて説明を受けた。
来年から京都府リーグ六部に参加する。
ノードシードのサッカー事業部として活動する。
選手は基本的にノードシードの社員。
会社の仕事をしながらサッカーをする。
地域活動もする。
練習場もこれから整備する。
そして。
「最終的にはプロを目指します」
社長が普通の顔で言った。
おお、やっぱりか。
「……プロですか?」
「はい」
「府六部から?」
「府六部からです」
本気で言ってるのか?
俺の顔に出ていたんだと思う。
社長が笑った。
「やっぱりそういう反応になりますよね」
「す、すみません」
「いや、普通だと思います。まだ何も実績ないですし」
分かってるんだ。
「でも、本気ですよ」
さっきまで笑っていた社長が、その時だけ少し真面目な顔になった。
「本気」
その言葉は自分の心に染み込んでいった。
「時間はかかると思います。でも、一つずつ上がっていきます」
府六部からプロ。
普通に考えれば無茶だ。
なのに、絶対になれる、と思っているように見えた。
そこから給与や勤務条件について説明を受けた。
聞けば聞くほど、会社員としての条件は悪くない。
というより、頭下げてでも入りたい。
親や友達にも胸張って言える。
ただ、やっぱり引っかかる。
本当に大丈夫なんだろうか。
俺が黙っていると、隠岐さんが口を開いた。
「田中君は、卒業してからどうしたい?」
「え?」
「サッカー」
隠岐さんは俺を見ていた。
「まだ続けたい?」
少し迷った。
でも。
「はい、続けたいです」
自然に答えていた。
「どれくらい?」
「どれくらい?」
「プロになりたいのか。それとも、仕事しながらでも本気で続けたいのか。趣味でもええから続けたいのか。色々あるやん」
そう言われると難しい。
「プロは……正直、もう厳しいと思ってます」
監督の岡本さんが黙って俺を見ている。
「でも、まだ本気でやりたいです」
言ってしまった。
「就職もしたいです。でも、サッカーもまだやめたくなくて」
自分でも、何を言っているのかと思う。
どっちも欲しいと言っているだけだ。
でも隠岐さんは笑わなかった。
「ほな、ウチは結構合ってると思うで」
「……そうですか?」
「だって、両方やるチームやから」
両方。
「仕事もする。サッカーも本気でやる。どっちか捨てろって話ちゃうから」
それから隠岐さんは、さっき説明されたことをもう一度話してくれた。
でも。
なぜか、さっきより分かりやすかった。
会社では正社員として働く。
その中で仕事も覚える。
サッカーも本気でやる。
もしサッカー選手として終わる時が来ても、仕事までなくなるわけではない。
その間にクラブは上を目指す。
上がれば、もっと高いレベルでサッカーができる。
「田中君が何年サッカー続けるかは分からんけど、その間に俺らが上がっていけばええわけやし」
「俺らって、隠岐さんも選手なんですか?」
「ちゃうちゃう。俺はスカウト」
「スカウトなんですね」
「一応」
一応?
横を見ると、なぜか社長と岡本監督が笑っていた。
何なんだろう。
この人たち。
◇
話が終わった後。
俺は会社の中も少し見せてもらった。
働くことになるかもしれない職場。
そして。
練習場になる予定だという場所。
「……ここですか?」
土だった。
「はい」
社長が答えた。
「まだ土ですけど」
まだ。
ということは。
「芝になるんですか?」
「将来的には。ただ、最初は土ですね」
やっぱり土なのか。
「照明も付ける予定です」
なぜか岡本監督が少し満足そうな顔をした。
「照明、大事やからな」
「はい。最近知りました」
最近?
大丈夫なのか、このクラブ。
不安になる。
でも。
少し面白かった。
何もない。
本当に何もない。
まだ選手もいないらしい。
俺が入ったとしても、試合ができる人数すらいない。
それなのに。
ここにグラウンドを作る。
選手を集める。
チームを作る。
府六部から始める。
その先を目指す。
プロまで。
無茶苦茶だと思う。
でも。
少しだけ。
その中に自分がいるところを想像してしまった。
◇
その日の夜。
両親に話した。
当然、最初は心配された。
新しくできるサッカーチーム。
京都府リーグ六部。
そこだけ聞けば、俺だって心配する。
でも。
ノードシードという会社のこと。
正社員として採用されること。
給与のこと。
仕事のこと。
サッカーのこと。
全部説明した。
父親はしばらく会社について調べていた。
母親は、
「ちゃんとした会社なの?」
と何度も聞いてきた。
「会社はちゃんとしてる」
そこだけは自信を持って言えた。
「サッカーの方は?」
「……まだ何もない」
「ふうん」
サッカーについてはあんまり興味ないんかい。
まぁ、そんなものか。
でも、自分で何もないって言って笑ってしまった。
でも。
不思議と嫌じゃなかった。
これまで就活では、自分が会社に選ばれる側だった。
面接を受けて。
結果を待って。
落とされる。
その繰り返し。
京南FCも、最初は同じだと思っていた。
でも。
今日会った人たちは少し違った。
俺が何をしたいのか聞いてくれた。
サッカーを続けたいと言ったら。
続けたらいいと言ってくれた。
仕事もしたいと言ったら。
両方やればいいと言った。
そんな場所があるとは思っていなかった。
プロにはなれない。
多分。
それは変わらない。
でも。
だからといって。
今日サッカーを諦める必要もないのかもしれない。
◇
数日後。
俺は電話をかけた。
相手は隠岐さんだった。
『はい、隠岐です』
「あ、田中です」
『田中君! どうした?』
相変わらず明るい。
「あの、この前の話なんですけど」
『うん』
少し緊張した。
就職先を決める。
サッカーを続ける場所を決める。
多分。
俺にとっては、かなり大きな決断だ。
でも。
答えはもう決まっていた。
「俺、京南FCに行きたいです」
電話の向こうが一瞬静かになった。
そして。
『ほんまに!?』
声がでかい。
『ちょっと待って! 社長! 岡本さん!
伊東くんも佐藤さんも!』
遠くで何か聞こえる。
『田中君、今どこ!?』
「家ですけど」
『ちょっとスピーカーにするわ!』
何で?
『田中君!』
今度は別の声。
社長だ。
「はい」
『ありがとう!』
「いえ……」
『京南FC、選手第一号です!』
え、第一号。
早まったか?
そうか。
俺が最初なのか。
『よろしくお願いします!』
社長の声が聞こえる。
その向こうから、
『これでやっと一人やな』
という岡本監督の声。
『一人からですよ!』
『十一人まであと十人やな』
『控えも必要ですって!』
『分かっとるわ』
電話の向こうが騒がしい。
俺は思わず笑った。
大丈夫なのか。
このチーム。
今でもそう思う。
でも。
「よろしくお願いします」
そう答えた。
田中和弘。
二十二歳。
阪東大学サッカー部。
プロ経験なし。
代表歴なし。
全国的には無名。
就職活動、苦戦中。
そんな俺が。
京南FCの最初の選手になった。




