6年目 第3話 サッカーから生まれた新事業
「決まりました!」
会議室に飛び込んできた担当者の第一声は、ずいぶんと景気のいいものだった。
「な、何が決まったんだ?」
「AIトレーナーです! 全国展開しているフィットネスジムチェーンへの導入が、正式に決まりました!」
「「おおっ!」」
役員たちからも声が出た。
AIトレーナー。
もともとは京南FCの選手たちの能力を伸ばすために開発したシステムだ。
選手ごとの身体能力やトレーニング履歴を分析し、それぞれに適した練習メニューを提案する。そんな仕組みから始まったものが、今ではノードシードの新規事業として育ちつつある。
最初から順調だったわけではない。
京南FCでの運用実績をもとに、地元のフィットネスジムで試験的に導入してもらい、京都のスポーツ用品会社にも協力してもらいながら、一般利用者向けに改良を重ねてきた。
プロのアスリートと、健康のために週二回ジムへ通う会社員では、求められるものが違う。
運動を始めたばかりの人にも使いやすく、無理なく続けられること。
そうした課題を一つずつ解決してきた結果、利用者からの評価も上がっていた。
そして今回、そのスポーツ用品会社の親会社へ話がつながった。
親会社のグループには、全国に店舗を持つフィットネスジムチェーンがある。
そこへの導入が決まったのだ。
「最初は一部店舗からだよね?」
「はい。まずは三十店舗で導入して、利用状況や効果を確認します。その結果を踏まえて、全国の店舗へ順次拡大する予定です」
「それでも十分すごいよ。おめでとう!
よくやってくれた」
「ありがとうございます!」
担当者の顔は、満面の笑みだった。
その表情を見て、俺までうれしくなる。
ノードシードには、これまでもさまざまな事業が生まれてきた。
だが、今回のAIトレーナーは少し特別だ。
何しろ、京南FCを作らなければ、おそらく生まれていなかった事業なのだから。
「いやあ、しかし……」
俺は椅子の背もたれに体を預けた。
「まさかサッカー事業部より先に、AIトレーナーの方が全国展開するとはなあ」
会議室に笑いが起こった。
「社長、サッカー事業部だって順調じゃないですか」
「そうなんですけどね。こっちはまだ京都府リーグですから」
「毎年昇格してるんでしょう?」
「ええ。でも、全国まではまだまだ遠いですよ」
サッカー事業部は、今年で六年目。
京都府リーグの一部まで上がってきたものの、その上には地域リーグがあり、さらに全国の舞台が待っている。
一方、AIトレーナーは一足先に全国へ羽ばたこうとしていた。
少しだけ先を越されたような気もする。
もちろん、悔しいというよりは、うれしい気持ちの方がずっと大きい。
「まあ、サッカーから新しい事業が生まれたんです。こんなにありがたいことはありませんよ」
俺がそう言うと、担当者は少し照れくさそうに笑った。
「まだ導入が決まっただけですから。ここからが本番です」
「そうだね。引き続き頼むよ」
担当者が会議室を出ていく。
その背中を見送りながら、俺は改めて思った。
サッカーのために始めたことが、サッカーとは別の場所でも誰かの役に立つ。
こういう広がり方も、悪くない。
ただ、いきなり会議室に飛び込んで来るのはいただけないな、後で説教だ。
◇
「ところで、佐藤さん」
会議が終わったあと、廊下で伊東が妙に改まった声を出した。
「はい?」
「いや、佐藤さんとお呼びしていいものかと思いまして」
「どういうこと?」
「久世さん……でしょうか。それとも、社長夫人とお呼びした方が?」
「会社では佐藤で通してね」
即答だった。
「なるほど。了解しました、社長夫人」
「伊東君?」
「冗談です、冗談!」
伊東が笑いながら両手を上げる。
佐藤さんは呆れたようにため息をついた。
久しぶりに見る、懐かしい光景だった。
佐藤さんは、しばらく育児休業を取っていた。
そして先日、職場に復帰したばかりだ。
ちなみに、今のやり取りで察してもらえたかもしれないが……。
俺と佐藤さんは結婚した。
子どもも生まれた。
以上。
いや、別に隠していたわけではない。
会社の人間はもちろん知っているし、結婚したときにはそれなりに祝ってもらった。
サッカー事業部には田中の時と同様に炭酸水のシャワーで祝福してもらった、俺だけ。
世界広しといえどこれだけ寛容な社長は俺しかいないだろう。
「そういえば社長」
伊東がこちらを向いた。
嫌な予感がする。
「何?」
「一部の社員の間で、社長に新しい異名がついているのをご存じですか?」
「……聞きたくないな」
「社員に手を出した極悪社長、だそうです」
「ひどっ!」
思わず抗議すると、伊東は腹を抱えて笑った。
「いやあ、社長がそんな人だったとは」
「絶対面白がってるよな?」
「もちろんです」
「そうなの、嫌がる私を無理矢理……」
隣で佐藤さん──ここでは佐藤さん呼びで許してくれ──まで演技をしている。
「ちょっとそれはシャレにならないから許してくれ!」
「冗談よ」
と笑っている。
まったく、いい妻を迎えたものだ。
噂によるとスイーツ品評会から、ノードシードの奥様連合が発足し俺の社長の座を虎視眈々と狙っているらしい。
冗談はおいておこう。
「それにしても、復帰早々大きなニュースですね」
佐藤さんが話題を変えた。
「AIトレーナーのこと?」
「ええ。私が休んでいる間にも、会社はずいぶん変わったみたい」
「そうですね。サッカー事業部も、ほかの事業も、少しずつ大きくなってますから。
AIトレーナーのスポーツテック事業は一足飛びに大きくなるかもですが」
「でもサッカー事業部の空気は変わってなくて安心したわ」
「どういうところです?」
「この会議室の雰囲気とか、交流戦とか。
何というかみんな真面目なんだけど殺伐としてないし」
「なるほど」
「良く言えばおおらか、悪く言えば大雑把」
「それって褒めてくれてるの?」
「もちろん」
伊東がまた笑った。
俺も言葉にはしにくいが、そういう空気感みたいなものは、いくら会社やサッカー事業部が大きくなっても大切にしたいと思う。
「あ、そうだ」
佐藤さんが時計を見た。
「あなた、今日は保育園のお迎え大丈夫?」
「もちろん。今日は俺が行く予定だったでしょう」
「そうだったわね。じゃあ、よろしく」
ノードシードには、社員が利用できる保育園がある。
うちの子も、今はそこにお世話になっている。
会社を作った頃には、社員の子どもを預かる施設まで用意することになるとは思ってもいなかった。
だが、こうして実際に利用する立場になってみると、そのありがたさがよく分かる。
「社長が保育園にお迎えですか」
伊東が感心したように言った。
「そりゃもう、父親ですからね。
伊東もたまにはお迎えに行けよ」
「極悪社長からいろいろ無茶振りされなきゃ迎えに行けるんですけどね」
「す、すんまへん!」
佐藤さんの笑い声が、廊下に響いた。
◇
業務をパパっと片付けて子どもを保育園に迎えに行く。
まだまだやることは残っているが修ちゃんを優先だ。
──残りは寝かしつけた後にやるのだ
待ってろよ、修ちゃん。
修ちゃんと言うのは俺たちの子どもの名前だ。
元気な男の子でもう直ぐ1歳になる。
保育士さんがこちらに気がつくと修ちゃんを抱っこで連れてきてくれる。
「今日もお利口さんにしてましたよ〜」
「おお〜、今日もえらかったな〜」
と高い高いをする。
周りにも同じようにお迎えに来ている社員が何人かいた。
「あ、社長、お疲れ様です」
「おう、お疲れ様〜」
「ばいばい」
修ちゃんもちゃんと挨拶してくれる。
本当何て可愛いんでしょこの子は。
抱っこをしたまま近所を散歩する。
京南FCの練習風景を見せて英才教育を施したいところだが、今は出来なくなっている。
「ジャージャー!」
修ちゃんが叫ぶ。
そう、京南FCのメイングラウンドでは、大きな重機が動いていた。
長年使ってきた土のグラウンドは、今、人工芝化の工事の真っ最中なのだ。
本当は選手の皆にこの天使を自慢したかったが、修ちゃんも喜んでいるし問題ない。
工事現場を眺めながら思い出す。
創設当初から使い続けてきたグラウンド。
雨が降ればぬかるみ、晴れが続けば砂ぼこりが舞う。
練習後にグラウンドを整備するのも、選手たちの日常だった。
もちろん、それはそれで思い出深い。
だが、今後さらに上のリーグを目指すなら、練習環境の改善は避けて通れない。
そこで、思い切って人工芝に改修することにしたのだ。
……もっとも、話はそう簡単ではなかった。
役員会では、当然のように厳しい指摘が飛んできた。
『人工芝にしたら、どれだけ売上が増えるんですか?』
『今の土のグラウンドでは駄目なんですか?』
『将来の張り替え費用も必要ですよね?』
どれも、経営者としてはもっともな質問だった。
正直なところ、人工芝にしたからといって、サッカー事業部の売上が急に増えるわけではない。
それでも、安定した練習環境を確保することは、選手の育成や新たな人材の獲得につながる。
ジュニアスクールにも活用できる。
何より、これから地域リーグ、その先の全国を目指すなら、いつまでも今の環境のままというわけにはいかない。
そうした説明を重ね、ようやく承認をもらうことができた。
会社全体の業績が好調で、財務的に余裕があったことも大きい。
もちろん、維持管理費や将来の張り替え費用まで含めて、きちんと予算を管理することが条件だ。
承認されたときの日下の渋い顔は、今でも覚えている。
……しばらくは、大きな設備投資の話を持ち出さない方がいいかもしれない。
現在、京南FCはメイングラウンドの工事に伴い、サブグラウンドや外部施設を使って練習している。
排水設備や下地の工事も必要なため、完成までは二、三か月ほどかかる予定だ。
その間の練習場所の確保は、なかなか大変だったらしい。
「ジャージャー!!」
「修ちゃん、そろそろ帰ろうか。
お父さん、おなかすいちゃったよ」
嫌がる修ちゃんを何とか連れて帰った。
その後も迎えに行く度に工事現場に連れて行けと騒ぐのだった。
◇
人工芝化の工事が進む一方で、ノードシード本社のすぐ隣でも、別の大きな計画が動き始めていた。
京南市スポーツパーク。
以前から市と協議を進めていた、公共スポーツ施設の整備計画だ。
本社の周辺には、まだ利用されていない広い土地が残っている。
その一角を活用して、市民が気軽にスポーツを楽しめる場所を作ろうという構想だった。
「ようやく、ここまで来ましたね」
市の担当者との打ち合わせを終え、俺は資料を閉じた。
計画自体は、ずいぶん前から話し合っていた。
だが、公共施設を作るとなれば、土地の利用計画から建設費、完成後の運営方法まで、決めなければならないことが山ほどある。
ノードシードだけで決められる話ではない。
京南市を中心に、地元企業や京南FCのスポンサー企業にも協力してもらい、少しずつ計画を具体化してきた。
そして今回、ようやく工事が始まることになったのだ。
スポーツパークは、市が所有する公共施設になる。
市民が利用できるサッカー場や多目的広場、トレーニングジムなどを整備し、子どもから高齢者まで幅広く利用できる場所を目指している。
ノードシードも、一部施設の建設費を負担する。
ただし、今回はサッカー事業部のためだけの投資ではない。
施設の予約や会員管理、決済などのシステム開発にも関わるし、ジムの運営にも参画する予定だ。
そして、そこにはAIトレーナーも導入する。
「自分たちで開発したシステムを、実際の施設で使ってもらえるわけですからね」
担当者が資料を指さした。
「新しい機能の検証にも使えますし、ほかの自治体やスポーツ施設への提案にもつなげられます」
「そうですね。全国チェーンへの導入も決まりましたし、こちらも楽しみです」
AIトレーナーが、全国のジムで使われる。
そして本社の隣にも、その技術を活用するスポーツ施設ができる。
数年前には、想像もしていなかった展開だ。
「ちなみに、京南FCの試合もできるんですよね?」
「はい。必要な設備を整えて、リーグ側の承認を得られれば、地域リーグの公式戦会場としても利用できる計画です」
「それはいいですねえ」
思わず笑みがこぼれた。
もちろん、京南FCの普段の練習場は、今人工芝化しているメイングラウンドを使う。
スポーツパークはあくまで市民のための施設だ。
それでも、地元に試合会場ができることには、大きな意味がある。
これまでは、試合のたびに別の会場へ足を運んでもらうことも多かった。
京都府内の会場といっても、京都府も中々広い。
遠いときは日本海側の方まで行かなければならないことも多かった。
本社のすぐ隣で試合ができるようになれば、社員も、ジュニアスクールの子どもたちも、地域の人たちも、もっと気軽に応援に来られるかもしれない。
そして、もう一つ。
俺には、以前から考えていることがあった。
「ここで交流戦を開催できるようになったら、面白いでしょうね」
「交流戦ですか?」
「ええ。当初は単なるスクール同士の試合だったんですが、今やスポンサー企業や屋台まで出るちょっとしたお祭りになっているんですよ。」
俺は窓の外へ目を向けた。
「これを拡大して地域の子どもたちが大勢集まる大会にしたいんです」
サッカーの試合だけではない。
スポンサー企業がブースを出して、地元の農家が野菜や果物を販売する。
親子で参加できるイベントを開いて、ジムでは運動体験もできる。
京南FCの選手たちが子どもたちと交流し、試合が終わったあとも家族で楽しめる。
そんな一日があってもいい。
「それは、かなり大きなイベントになりますね」
担当者が笑った。
「ええ。せっかく作るんですから、スポーツをする人だけじゃなく、地域の人たちみんなが楽しめる場所にしたいですね」
◇
打ち合わせを終えたあと、俺は本社の窓から外を眺めていた。
すぐ近くでは、京南FCのメイングラウンドの人工芝化工事が進んでいる。
その向こうでは、スポーツパークの建設に向けた準備が始まっていた。
六年前。
この辺りには、まだ何もない土地が広がっていた。
サッカークラブを作ると言い出したときも、周囲からはずいぶん心配されたものだ。
それが今では、京都府リーグ一部まで上がってきた。
選手たちのために開発したAIトレーナーは、全国のジムへ導入されようとしている。
そして、会社の隣には、市民のためのスポーツパークができようとしている。
ずいぶん遠くまで来たものだ。
もっとも、サッカー事業部の目標はまだまだ先にある。
今年の目標は、京都府リーグ一部で優勝し、地域リーグへの昇格を果たすこと。
その先には、さらに高い壁が待っている。
それでも、こうして一つずつ積み重ねていけば、いつかは届くのかもしれない。
俺は、工事の始まった土地をもう一度眺めた。
今はまだ、重機と資材が置かれているだけの場所だ。
だが、いつかここに子どもたちの歓声が響き、京南FCの試合を応援する人々が集まる。
交流戦の日には、地域の人たちでいっぱいになる。
そんな光景を想像すると、自然と頬が緩んだ。
サッカーを始めたことで、会社に新しい事業が生まれた。
会社が成長したことで、今度は地域のスポーツ環境を変えることができる。
そして、そこからまた、新しい何かが生まれるかもしれない。
「……面白くなってきたな」
誰に聞かせるでもなく、そうつぶやいた。
窓の向こうでは、今日も重機が動いている。
俺たちの挑戦は、まだ始まったばかりだった。
──打ち切りじゃないぞ。




